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学歴は「ある」人が気にするものなのか、「ない」人が気にするものなのか。【学歴の恩恵を信じるという意味では同じなのかもしれないというお話】

普段、日常生活を送る上で、ほとんど気にすることがないことの一つに学歴があります。

毎日のように仕事で、○○大学がどうのこうのという話をしていていながら我ながらあきれるほど学歴に興味がありません。

ちなみに、勤務塾の塾長の学歴すら気にしていません。担当されている英語のスキルや教授法などは、気になりますが、学歴は全く気になりません。

そんな私ですが、もちろん身近に学歴にこだわる人が存在します。

面白いのと感じるのは、それは、学歴が「ある」人であったり、逆に「ない」人であったりすることです。

「ない」代表例は父で、家庭の事情で大学に進学できませんでした。いち早く社会に出て、妹や弟の学費を出す立場だったこともあるのか、過剰なほどの学歴へのこだわりがありました。

父が若いころは、大学進学率が2割とか3割の時代でもあったこともあり、社会に大卒の希少価値があったことで、大卒の優遇がある一方で、不条理な差別に苦しんだこともあるのでしょう。

また、社会に出て出会ったのが、学歴の「ある」人で学歴にこだわる人でした。
若いころいきなり、「あなたはどこの大学を出ているのかね」と聞かれたときはびっくりしました。

今になって思うのが、その人は眼前の人間がどの大学を出ているのかを知ることで、知的水準であったり、教養のレベルを推し量り、どのような接し方をすればいいのかのマインドセットを整えられていたのでしょう。

そして、程なく気が付いことは、学歴の「ある」人で、学歴を気にする人は、概ね「仕事ができない人」でもあることでした。

学歴に対して、相反する立場の人で学歴に対してこだわる理由が何となくわかってきたのは、おじさんと呼ばれる年齢になってからでした。

私が考える学歴にこだわる人は、「学歴によって得られる恩恵がある」と信じている人なのではと思っています。

学歴がなかった父からすれば、学歴がないことによって、生じた不利益を通して、世の中には、学歴によって恩恵を得ている人がいるに信じるに足る経験があったのでしょう。

一方で、仕事ができない学歴のある人からすれば、自分には学歴があるのに、それを実感できないのはなぜなんだということになるのではと思います。日本は学歴社会なんだ。いい大学を出ないといけないと思って一生懸命に勉強し、学歴を得たのに、現実は何なんだ。そんな恩恵などないじゃないか!ということになるのかなと思います。

「学歴による恩恵」というものはそもそもあるのかと言われれれば、それはやはり「ある」のだろうと思います。ただ、それは学歴の恩恵があると思う人たちのイメージよりは実態は小さいものなのかもしれません。

確実に言えることは、新卒で就職活動するときで、ここでは確かに学歴による恩恵はある。日本の企業は、いまだに新卒採用にこだわっていますので、ここでは、横一線で比べられるので、学歴があれば、間違いなく有利でしょう。

ただ、それは、「学歴フィルター」で淘汰されない程度の「ろ紙」レベルの粗さくらいなのが現実なのではと思っています。

30歳を過ぎてしまうと、高学歴と仕事のバランスは社会的評価としてついて回ってきます。高学歴なのに仕事ができない人は、学歴のない仕事ができない人よりも評価が厳しくなる。
人間のルサンチマンに火をつけて、実態以上の過小評価となる場合もあるように思います。

学歴は、その言葉が示す通り、イベントとしては過去の事です。過去の事を他者から評価されることは、現実にはあまりありません。

評価は現在を起点に未来に開かれれているからでしょう。

なので、結果として学歴の恩恵は限定的にならざるを得ない。学歴は、社会人になってしまえば、その恩恵はx軸にへばりつくような減衰曲線のような極限値0になるのはやむを得ないのではと思います。
賞味期限は、10年あればいいのかもしれません。

官僚の方々の出世競争や、医学部教授の椅子取りゲームなど、学歴がビルトインされている構造がある世界でも、結果として学歴は入場券以上の意味はないのではと思っています。

あと、業界的には塾業界は、学歴がものを言うと信じられている業界の一つでしょう。しかし、現実は学歴(この場合は、難関大突破歴でしょうが)でなんとななるほど甘くはありません。

自分ができることと、他者にできるようになってもらうことは、全く別の事だからです。「似て非なる」の典型的例だと思っています。
そもそも学歴にこだわる人は、興味関心のベクトルが自分に向く自己愛が強い方が多いことも結果としてこの仕事にはマイナスの影響力があります。

周囲とうまくやっていく能力が微妙な高学歴の人がたまにおられるので、この業界が最後の砦なんだろうなと思うことはよくあります。
塾業界は、高学歴の人の最後の墓場のようなところはあるのかなと思っています。

個人的は、学歴などあってもなくても、そんなことはさっさと打ち捨てて未来に目を向けた方が心身ともにスッキリするのではと思っています。

学歴にこだわることは、劣等感や優越感といった人間の醜さを可視化させることになってしまうと思うからです。それは他者にとってあまり見ていていい気分にするものではない。

その意味でも、学歴は過去の事と割り切って思考から除外する方が、周囲の人たちもラクになるのではと思います。

学歴はあってもなくても限定的と実態はどうであれ、そう割り切る方が、余計なエネルギーを浪費しなくていいのではと思います。


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