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メルカリ炎上で明確化した「悪意の人」の存在と踏み込んだ「信用スコア」の進展の是非について【「クレヒス」のネット版「ネットヒストリー」は生まれるか】

メルカリの運営としては、それは、ある日突然の事だったのでしょう。

SNSの一つの投稿から、メルカリが炎上しているようです。

とある事情から、最近メルカリデビューしました。

「売りたい」という事情より、「買いたい」という事情で利用したのですが、探すとやはり不用品というものはあるもので、それを出品してみました。

すると、すぐに気づくのは、買う方にもそれなりにリスクはありますが、やはり、売る方のリスクは大きいということです。

私は、新品未開封のある物を売ったのですが、買った人がもし「話が違う。粗悪な中古品だった!」とクレームをつけたらどうするのかなと思っていました。

なので、仮に上記のアカウントの方が正しいことをおっしゃっていた場合、買う側に悪意のある人が存在することは、ユーザーにとって相当なリスクになるなと思っています。

以下の投稿は正しいという前提でリンクを張っておきます。

問題は、これは、ユーザーのリスクであるだけでなく、プラットフォーム側のリスクでもあるはずですが、メルカリの対応には十分納得いく人ばかりではないようです。

ネットでは、自衛策のノウハウなるものも広まってはいるようですが、ただ、仕組み上、「悪意のあるユーザー」を排除することは非常に難しいとも思うので、高額品の取引を中心に、メルカリ側は手を打たないと信用問題となりかねません(やる気があればの話ではありますが)。

このような商売では、悪意のユーザーに毅然とした態度を示さないと、商売の継続が難しくなるはずですが、メルカリ側にどの程度危機感があるのか、今後明らかになっていくのでしょう(怒りのユーザーは、結構多いみたいですね。この数を甘く見ない方がいい。声を上げていない人もいるからです)。

ただ、そもそもこのネットを媒介としたフリーマーケットについて、行動経済学の観点から考察されている大学の先生がおられてこれが面白い。

レモン市場というキーワードを前提として、

このように結論がでているようです。

https://www.cku.ac.jp/fujiu/lecture/2003/ame060.pdf

つまり、メルカリでは、市場価値のある物を売ることも買うことも、悪意のユーザーを排除できないので、あまり利用すべきではないということなのかもしれません。

私はそもそも不用品しか売るつもりがないので、それはそれで意味があるのでしょうが、レアものや未使用のような「付加価値」があるものは、高額であるほど悪意のユーザーのうまみがあるために狙われやすいということなのかもしれません。

そうなると、安心してこのようなサービスを利用したいとするならば、今後は「信用」を数値化するものは、社会から必要とされていくことでしょう。

まずは、アメリカや中国で広まり、少しずつ日本でも普及し始めている「信用スコア」でしょう。

いこれからの時代、「信用」はとても大事な指標となる。

クレジットカードの利用履歴である「クレヒス(クレジットヒストリー)」が有名ですが、

現在は、マッチングアプリも広まっている時代ですので、信用は広範囲に広がっていくのではと思います。

東大→ハーバード大→財務省→政治家→政党党首という経歴であっても、人として、男性として、将来の父親として「信用に値するか」は、別の指標となるからです。

広範囲にわたる「信用」は今後は大きな財産になる時代が来ているのではと思っています。

今から思うと、↓の記事は、信用というのが一つの指標になる時代を感じていたのかもしれません。

その意味では、今後ネットでの発信や情報の収集は、人間を評価するための一つの指標になるかもしれません。

権力が情報を集めるのは、大問題となるのは当然ですが、一人の人間が、自分の信用を第三者に評価してもらうために、過去にさかのぼって「ネットヒストリー」を公開して、信用を得るということも荒唐無稽のアイデアではないかもしれません。

岡田斗司夫さんは、このような信用が価値を生む時代を予見し、『いい人戦略』として著書にまとめておられますが、今後は他者に対して、余計な悪意をばら撒くことは、人生を生きにくくしてしまう時代がやってきたのかもしれません。

もちろん、これまでだってそうだったのですが、ネットの普及により、その包囲網はさらに狭くなってきたといえるのでしょう。

私は、誠実に生きられない人を排除する気はありませんが、わざわざ人生の貴重な時間を使って相手にするほど暇ではないので、結果として徐々に枠外に追いやっていくことになるのでしょうし、誰もがそのような行動になるのは当然なのかもしれません。

逆に言えば、誠実さを失うことは、多大なリスクとなり、孤立化への道を歩んでしまうことでしょう。

現代は、ディケンズの『クリスマスキャロル』のスクルージのような人はより生きにくい時代になっていくのではと思っています。

それは、ヒロイズム男性のオワコン化とも言えるのではと思います。その意味では、『島耕作』シリーズは、のちの歴史家の分析対象となる作品となるのではと思っています。


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