「効率的な学び」とは何か
noteを始めて、「効率的に学ぶ」ということを強調して記事を書いておられる人がたくさんいるのだなと気づきました。
「効率的に学ぶ」は、基本的に価値観の問題なのだろうとは思いますが、効率的でなくてもいいのでは?と思っている私にとって、「効率的に学ぶ」ことにこだわる方の、心理的な背景が気になってしまいます。
まず、「効率的に学ぶ」ことが大切だと感じるのは、「効率的に学べないのは、ダメである」と対比していると言えるので、学びに対して優劣の価値観があるのではと感じます。
効率的な学びの大切さを強調されておられる方は、前提として「学びは効率的であるべきである」という価値観にいささかの揺るぎがないのでしょう。
そのような価値観のない人間からすれば、効率的にこだわるのは、なんらかのバイアスを感じなくもありません。
効率にこだわることは、どこからやってくるのかを考えるとやはり、社会的風潮なのでしょう。
特に、起業系インフルエンサーや知的インフルエンサー(司法試験、公認会計士、医学部、難関大合格などの経歴のある方など)の中に効率主義者が多いなと感じます。
このような方々は、「効率的に学ぶことで、結果を出せた」という事実に立脚する成功体験が大きいのでしょう。それは無理のないことだと感じます。さらに自分の優位性の誇示と実利とのマッチングが可能となるのが、「効率的に学ぶ」なのかもしれませんね。
次に「効率的に学ぶ」という言葉に含まれる「一般化、汎用化のイメージ」にも理由がありそうに思います。
「僕が、超効率的な勉強をお教えしましょう」と言われると、「自分にもできそうだ」と感じるものです。
その方がおっしゃる「超効率的な勉強」は、誰でも当てはまるものかは、やってみないと分かりません。よほどのシステムでない限り、単に成功した人の個人的な経験、体験に過ぎないと言えると思います。
記事が氾濫する割には、効果は実感できないものが多いのかもしれません。
あと、「効率的に学ぶ」ことへの高いニーズもありそうに思います。noteもそうですが、どんな記事が反応が高いかがわかる時代では、誰もが気になるキーワードが分かる時代になっています。
「効率的に学ぶ」は、関心が高いことに気づくことで、このあたりが攻めどころと判断する人が出てきてもおかしくありません。
「効率的に学ぶ」は、社会に存在する人々に潜む「欲望」が生み出したものなのかもしれません。
結果が求められる時代の現代では、必ず出てくるニーズなのでしょう。
「効率的に学ぶ」の真相は、「効率的に(結果を出せるように)学ぶ」なのではと思います。現代人は、それだけ結果に追い立てられるいるとも言えなくもありません。それは、私だった同じです。
ただ、結果にコミットした、効率的な学びは、楽しいのでしょうかね。学びって寄り道や脱線も結構楽しいものです。
あと、優劣という点では、「効率的に学ぶ」より「長期的に学ぶ」方が結果はいいのではと思っています。できれば、楽しく学ぶ方が長く続くと思います。
塾業界は、意外に思われるかもしれませんが、長期的に学べるひとが少ない業界でもあります。時代遅れの教え方に固執する人が多いのもそれが原因です。
学びは、本来深いものなので、実相に合わせた方が、それこそ「効率的に学べる」のではと思います。