プロ野球選手となるために最も必要な能力とは何か【慶応義塾大・清原正吾選手の決断に思うこと】
慶応義塾大学野球部の清原正吾選手が、野球を辞める決断をされたとのこと。
私が言うまでもなく、清原選手は、ライオンズやジャイアンツで活躍された元プロ野球選手の清原和博さんのご子息です。
類まれな運動選手としての高いポテンシャルを持ち、本格的に野球に復帰したのが大学からという経歴にもかかわらず、四年生で慶大の四番打者の座を勝ち取るのですから、並みの選手ではありません。
厳しいNPBには届かなかったものの、独立リーグなどからはすぐにオファーが出るのも当然の選手なのだろうと見ていました。
不足している経験を補えば・・・という見方はあったのは間違いないでしょう。
そんな清原選手が、野球を辞める決断をする。
それなりのニュースバリューがあるのも当然でしょう。
清原選手の決断の背景には、いろんな要素があるかと思いますが、やはりプロになるためには欠くことのできない要素があり、自分にはそれが足りないという判断があったのかもしれません。
それは、野球に対する「執着」なのではと推察しています。
亡くなられた水島新司先生の『野球狂の詩』(講談社漫画文庫)は、女性投手・水原勇気の話がよく知られていますが、これは週刊連載となった以降の展開で、それまでは不定期連載で、短編としていろんな選手が描かれています。
個人的には、里中満智子先生とコラボされた富樫平八郎を軸に描く「ガッツ10番」が好きでしたね。
短編で描かれる世界は、まさに野球への執着が蠢く狂気の世界。
キャラクターの一人、歌舞伎俳優の顔をもつ国立玉一郎を通して、
「この世界にいる人間は、すべて野球狂なのだから」という趣旨のセリフを水島先生は書いています。
並みのレベルでの「野球が好き」では到底やっていけない。文字通り野球に狂わないとやっていけない。
そんな野球狂の集まりでも、シーズン終盤は「野球をしなくていいという喜び」に満たされる世界でもある。
もう野球を(今シーズンは)しなくていいという解放感という心のスキが「江夏の21球」のきっかけになった。
その意味では本当に恐ろしい世界とも言えます。
清原選手が所属する慶応義塾大学は、多くのプロ野球選手を輩出しています。ソフトバンクホークスには主力として活躍されているOBが多数います。
そんな環境で、清原選手は、自分が真の「野球狂」になれるのかを冷静に判断されたのかもしれません。
仮に私の仮説が正しいのであれば、そのような視点を持てる清原選手は、今後広い意味でも社会人として立派に活躍されることでしょう。
未来のある若者を応援したいなと思っています。