トランプ、大統領に返り咲くってよ。見えてきた私たちの生きる「今」(2)【嫌われるエリートによる政治支配。「知」による統治の限界と日米のエリートの質の違いについて】
トランプ氏の大統領返り咲きから見えてくる「今」について考えています。
前回はこちら。
テレビをほとんど見ない私は、今回の大統領選挙の情報はもっぱら、新聞からの情報でした。
それを見る限り、トランプ候補の優勢というより、ハリス候補の失速は明らかなようでした。接戦という予想もありましたが、勢いは勝敗を決するほどの影響力をもつもののようで、蓋を開けると、勝敗のカギを握ると言われる接戦州、いわゆるスイングステートでハリス候補は惨敗。これは、民主党政権4年間での自滅と言えなくもありません。
特にバイデン政権のウクライナ支援の在り方は、エスタブリッシュメントの二枚舌を見せつけたこともあり、反知性主義の象徴であるトランプ候補に票が流れたのも無理のないところだろうとみています。
ポスト・トランプの混沌とする社会では、エリートの知的水準の高い思考であっても有効な打開策を打ち出せない現実を見せつけられたわけで、アメリカ市民は、それならばとトランプ氏の行動力に期待したのではと思っています。
前々回の大統領選挙からその傾向は見られており、ヒラリー・クリントンさんの嫌われっぷりには、驚いたものです。
アメリカは、NYTやWSJの論調で動いているわけではないと痛感しました。
アメリカだけではなく、世界的にもエリート層が政治を担い、大衆はそれを見守り、評価するという仕組みに帰着していますが、今、それが大きく揺らいでいると感じます。
日本も例外ではないはずですが、まだ自民党の「細胞壁」がまだ強固に機能していることもあり、表面上は問題が出てきてはいない。
ただ、これも時間の問題で、消費税を代表とする財務省の暴走を政治が止めることができず、足腰の弱った大企業が消費税の麻薬的なうま味に頼り切っている構造では、有効な打開策はなく、悪化する問題のどの地点が「ハードランディングポイント」なのかが焦点になるかの関の山だと私は思っています。
エリート統治による政治システムへの疑念を背景とする大衆の行動が正しいかと言われるとそうとは言えない。そもそも、現代政治は、衆愚政治からの脱却が歴史的な背景にあると思うからです。
比較問題として、エリートが政治をやる方が「マシ」という程度の認識で、市民がそのエリートを監視するという程度の塩梅が実際にはいいのでしょうが、それが難しいのが現実。
ただ、かなり深刻だと感じるのは、この国のエリートのクオリティではと感じます。
少数野党でしかない泡沫政党の党首から具体的な項目を挙げて「経済オンチ」と揶揄されても、しっかりとしたロジックで反論できない現状は一体何なのか。
政権交代のオルタナティブであるはずの野党の代表を務められた方が、「消費税減税すれば、ハイパーインフレになる」というのですから、正直底が抜けているとしか思えない。
仮にハイパーインフレになるというのであれば、そのメカニズムを説明できないければダメでしょう。あの役所の「ご説明の資料」にはなかったのですか?
どうして、こうなっちゃうのでしょうかね。少なくとも政治の分野では、この国のエリート育成はどこかでたぶん間違えたのではと思います。
エリート政治の転換点という意味では、アメリカとこの国では全く事情が違うのではと、改めて感じています。