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意外に使える!?「パーキンソンの凡俗法則」の活用例【人間の性質を理解することで、余計なイライラから解放されるかも】

人間は、言葉によって思考する

あたりまえのことですが、それを実感するときはどんな時かと言われると、その一つに「新しい言葉を知ったとき」というのはあるのかなと思っています。

若いころから、常々気になっていたことがあります。それは、些細なことにこだわる人の存在です。

随分と前のことですが、数学の解答例を作って生徒さんに配布したことがありました。それをたまたま見たベテランの先生から、∴(ゆえに)の使い方が間違っているという指摘を受けました。

その時は、そういうものかなと思っていましたが、たまたま、その先生が作ったプリントを拝見する機会があり、その先生も私と同じような使い方をされていました(^^♪

これは、どういうことのなのかなと思っていたところ、時系列的には随分後ですが、これをパーキンソンの凡俗法則の一種ではないかということを知りました。

これは、結構大事な視点なんだなとその時、理解したものです。パーキンソンの凡俗法則は、組織の問題点を論じていますが、個人レベルでの適用も十分にできるのではと思っています。

ご主人が料理に詳しい女性から、「夫は、料理に詳しいから、どうでもいいことに突っ込まれて困る」という話をされたとき、このパーキンソンの凡俗法則の事を知っていると、女性の不満も理解できるように思いました。

ご主人は、料理に詳しいがゆえに、いちいち口出しをしてしまう。この場合は、マンスプレイニングも入ってくるでしょうが、本質より些細なことに口をはさむという点では、パーキンソンの凡俗法則に類するものという理解でいいのではと思います。

パーキンソンの凡俗法則を知っているからといって、口出しされる「被害」から逃れることは難しいかもしれませんが、そういう現象となる発言者の背景を知ることで随分とスッキリするものです。

人間は知っていることは、つい言及せざるを得なくなるという性質があるものなのでしょう。それは、パーキンソン教授が法則に値すると思える人間に共通する普遍性のあるものなのではと思っています。

実際には、口に出して言及するかどうかは、その人の個性にも依存するものなのでしょうし、その人が置かれている立場などにも影響されるものではあるのでしょう。

ただ、そういう現象に対して、人間の一つの側面であるという理解が進むことは、日常生活を安寧に送るための一つの知恵なのかとも思っています。


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