弱小政党は、〇〇できてナンボだと思う理由【れいわ新選組の衆議院沖縄1区での候補者擁立騒動に思うこと】
衆議院選挙に向けて沖縄1区で、ひと騒動起こったとか。
日本共産党が、唯一小選挙区で議席を持つこの沖縄1区に、れいわ新選組が候補者を立てたからのようです。
結局は、れいわが候補者を下ろすことで落着となったようです。
私はこの間、公党間の駆け引きという視点で、推移を見守っていました。
この選挙区で議席をもつ赤嶺政賢さんは、私も尊敬している議員さんでもあります。「赤嶺さんの選挙区に候補者を立てるのは言語道断」と共産党が反発するのは当然です。
沖縄では、自民勢力に対峙する枠組みとして、「オール沖縄」があり、それに反する行為でもあるという視点からも、批判を受けていました。これも理解できるところです。
ただ、この反発は、れいわ新選組の執行部としては、織り込み済みだったでしょうから、それでもあえて、沖縄1区での擁立を強行したとみるのが自然な理解でしょう。
これは、れいわ新選組が日本共産党に揺さぶりをかけたのではと私は理解しています。
日本共産党といえども、小選挙区での議席の獲得は非常に困難です。そのため、小選挙区で少しでも多くの候補者を立てて、比例票を掘り起こすことは、党勢拡大にとって必要なことでもあります。さらに、地方議員も多く、人的リソースも豊富な全国的な組織であるがゆえにできることでもある。
それが、れいわ新選組のような小政党にとっての見え方としては、
となる。
大阪5区の共産党の議員さんは、党の重鎮なので、難しいとは思うものの、現職のいる千葉11区、東京14区は譲歩してもらいたいというのが、れいわ新選組の本音でしょう。
こればかりは、共産党にお願いするしかない。
でも、相手が「そんなん、知らんがな」となれば、「喧嘩」を売りに行くしかない。
それが、日本共産党のアキレス腱とも言える沖縄1区での候補者擁立ということではと思っていました。
これは、日本に限った話ではないと思いますが、強い者(組織)は、常に弱い者(組織)に対して、圧力をかけてきます。政治もパワーゲームであるので、これもまた当然のこと。この国では、強者が発する空気が弱者を支配する構造もあります。
だからといって、弱い側が「はいそうですか」と簡単に引き下がらないことは私は重要なことだと思います。強者の弱点を突いて、乾坤一擲、矢を放つ戦いをすべきだと思いますし、その点からいえばれいわの行動は、理解できるところがあります。
窮鼠猫を嚙むという言葉もあるように、強者に安心感を与えることはよくない。反撃せず、唯々諾々と従っても反転攻勢のチャンスが出てくることはありえないからです。
今回の沖縄1区で候補者をあえてぶつけてきたことは、弱者だからって黙っていないという意思表示だったと見ていましたし、どこかのタイミングで引くという選択肢は最初からあったでしょう。
れいわとしては、沖縄1区になぜ候補者を立てるんだ!という批判の声をテコに、
沖縄4区での不透明な候補者擁立劇を問題にしているんだ!
共産党の東京14区、千葉11区に譲歩をしてほしい!
という言い分を出せたことで、とれるものはとったということなのでしょう。
もちろん、赤嶺さんのようなレジェンド級の議員さんの選挙区でやるのは、決してお行儀のいい行為とは言えません。ただ、それでもやるときはやらないといけないという考えは必要であり、それを捨ててしまうのは、打つ手の選択肢としてよくないのだろうとも思います。
これまで日本共産党は、野党共闘の名のもとに、立憲民主党へ多大な譲歩をしてきた。しかしながら、その見返りはほとんどありませんでした。それは、強者の地位を利用して、立憲が共産にほとんど配慮をしてこなかったからです。なので、今回の立憲と共産の決裂は、共産党に同情できるところがある。
今回の沖縄1区の騒動は、同じ構図が立場を変えて、共産とれいわに起こっていたことを可視化させました。今度は共産が強者の立場。共産党には、野党を引っ張るリーダーとしての寛容さを見せるチャンスでもありましたが、それを潰したように私にはみえています。
共産党に対しては、弱者のれいわ新選組がなぜ沖縄1区に候補者を立てたのかの意図をもう少し見てもよかったかなと思います。観測気球も上げず、条件反射のように、党幹部が批判の会見を行ったのは、拙速だったかなと私は思います。
れいわは、最初からどこかのタイミングで候補者を下ろすだろうという読みはあってしかるべきでした。共産が大人の態度をみせて、握手して和解を印象づけることもできたでしょうし、そうなれば赤嶺さんの選挙にもプラスになったはず。沖縄1区で、山本代表の応援演説も可能となったかもしれません。
表層的なことしか知らない私が、好き勝手に言っていますが、当事者間では、表に出せない軋轢があったのかもしれません。ただ、有権者の判断というものは、「表に出ていること」でしか判断できないのも事実かなとも思っています。
あと、今回のれいわ新選組の行動は、弱者だからと言って引き下がらず、喧嘩を売ったことは、野性味溢れる行動として好印象でした。
しかし、れいわ新選組に対しては、保守の方は当然としても、リベラル界隈の批判もすごかった。
これは、ひとえにれいわ新選組の行動がお行儀が悪いからでしょう。
謎のマナー講師がはびこる、トーンポリシングとの親和性のある国民性が背景にあり、「空気を読め」という圧力は、私の想像以上に強いことを理解させられました。
個人的には、いろんな学びがある騒動だったと感じています。