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「NG」は本当にNG?
今日は勉強法について。
昨今、毎日観るものは、テレビではなく、YouTubeであるという人は多いでしょう。
家にあるテレビは、電波受像機ではなく、ケーブルテレビのチャンネル、動画配信サービスやネット動画を映すモニターになっている感じがあります。
私の場合は、ニュースのクオリティが劇的に下がったことが引き金になり、テレビをあまり見なくなりました。
観る価値のあるコンテンツが減ったこともそれに拍車をかけているところがあります。
それと反比例して増えているのがYouTubeの視聴です。
仕事柄、教育系のコンテンツをよく観ますが、そこで気になるのは、こういうのは、ダメという動画です。日本人は、このような禁止をアナウンスする動画が好きなのでしょうか。
サムネイルにあるように、両手で×印をつくったアイチャッチ画像している動画は、YouTubeでもよく見る印象があり、正直なところ、かなり食傷気味です。
このようなサムネを自分で撮って、アップしている人を見ると、そのユーチューバーさんの力量を疑ってしまうようになりました。
とはいうものの、どうしてここまで「NG」を啓蒙する人が増えたのでしょうか。
先日、ヤフーニュースに↓のような記事が出ました。
ちょっとこれにはキレました(笑)。
納豆くらい、自分の好きなように食べて何が悪いのかと思わざるを得ません。
NGだと叫ぶ人の言い分にもそれなりの理があるのかもしれませんが、そんな些細なメリットのために、自分がおいしいと思う方法で食べられないのは、明らかにおかしいと言えます。
それは、勉強についても言えます。
このnoteにもYouTubeにも勉強、勉強法について「NG啓蒙家」となっているコンテンツが目立ちます。
先の記事には、納豆製造の業界団体の広報の方が
「食べ合わせを考えてストレスを抱えるよりも自由においしく食べることの方がはるかにメリットがあります」とおっしゃっていますが、全くその通りで、俯瞰して考えてメリットを取ればいいわけです。
なので、NG勉強法啓蒙家たちは、そのような俯瞰した視点があるのかどうかを考えているとは思えません。中には、NGを洗い出すためのNGあるでしょうし、私から言えば、
こんなコンテンツ、打ち捨てとけば?
と思っています。
というのも、そもそもNGは、自分で気づく方がメリットが大きいと思うからです。
他者にとって些細なことでも、自分にとってやってはいけないと強く感じられることがNGなのです。
かつて塾に自習に来ていた受験生が、スマホをなぜか塾長の机の上に置いていました。理由を聞くと、自分はついスマホをいじってしまうので、必要な時だけ触るようにするためですと言っていました。
その受験生は、机の上にスマホを置いて勉強するのはNGだとしていたようです。
NGとはそもそもそのようにして積みあがっていく、カスタマイズ的なものではないでしょうか。
勉強におけるNGとは、東大生とかのカリスマ教育系ユーチューバーから教えを授かるようなものではないのではと思います。
NGなんか気にしていれば、楽しく勉強できないでしょう。勉強は楽しくやることが大切ですし、長く続きます。長く勉強していれば、失敗もしますし、失敗からNGも学びます。そのNGの方がはるかにメリットがあると思います。