見出し画像

「新しい戦前」は、なぜ優れたコピーなのかを考える【「新しい」顔をして次の戦争はやってくる】

8月15日の終戦の日に合わせて、琉球新報社が社説を発表しています。

その中で、なるほどと思うことがあったので書いておきます。

昨年末のテレビ番組でタレントのタモリ氏が「新しい戦前」と語って注目された。「新しい」という言葉は前向きなニュアンスも含んでいないか。再来させてはならないという意味を込めて「新たな戦前」と言いたい。

社説より

この指摘は、とても的を射ていると思います。何がそうだと言っているのかというと、「新しい」という言葉に前向きなニュアンスが含まれているという指摘です。

このタモリさんの発言、かなり多くの人に刺さった言葉だと思っています。正直、ここまでの拡散力があることに驚いています。

その理由を考えてみると3つの点に秘密があると思うようになりました。

一つ目が、パラダイムの転換。
今年の終戦の日でも使われましたが、戦後〇〇年という視点は、これからも平和が恒久的に続くという前提があるから戦「後」というわけであって、

今は戦「前」ですよね?

という視点は、多くの人たちが無意識に感じていた不安を顕在化させたという点も含め、視点を変える力があったと思います。

そして、二つ目が、「新しい」というポジティブなニュアンスと「戦前」というネガティブなニュアンスの組み合わせであることです。

ジョージ・オーウェルの『1984』のニュースピーク、「戦争は平和」を想起させる訴求力がある。

琉球新報社の社説を書かれている方には、申し訳ないですが、「新たな戦前」では、ここまでの広がりはなかったでしょう。非常に微妙なところですが、政治的なニュアンスが強すぎると感じます。答えを強要するような強さがあると私は感じてしまうからでしょう。

新しい戦前

だと主張というより、客観的な分析としての意味合いが強くなる。だからこそ多くの人が、SNS時代に使いやすい言葉だったのではと思っています。

そして、最後は仮に戦争がやってくるとしても、これまでとは全く違った形でやってくるというという点で、「新しい」ことが真実であろうという点です。

戦争には、必然性が必要です。しかし、そう簡単には必然性は起こらないもの事実。だから、先の日中戦争において、陸軍の関東軍は、柳条湖事件(奉天事件)を起こして、必然性を「創造」しています。

最近では、アメリカが主張し、イギリスが賛同した「イラクのフセイン政権は大量破壊兵器を保持している」は、事実ではなかった。

また、現在のロシア、ウクライナの紛争でも何が正しい情報なのか錯綜している面があります。

私たちには、その「新しい」必然性は、新しいがゆえに事前に警戒することが難しい。あるとき、突然提示されることでしょう。衝撃の大きさによっては、思考力を奪い、群集心理がはたらく可能性もある。

その意味で、ポジティブなニュアンスにも警戒が必要なのだと思います。

まだまだ、理由はあると思いますが、これだけでも十分なほど、このコピーは優れていると思います。

その意味で、「新しい戦前」については、この言葉の通りに意識しておく方がいいのかなと思っています。

稀代のエンターテイナーは、チャップリンのように時代の潮目を見抜き、適切な言葉で大衆に何かを伝えてくれるものでもある。改めてタモリさんのすごさを実感してもいます。


いいなと思ったら応援しよう!