変化した「東大生」の価値
今回は、東大生について。
今、まさに東大生バブルだなと感じています。
「東大生」が教える勉強法。とか
「東大生」はこのように思考する。とか
テレビもそれに便乗しているのか、東大の名を冠した番組を制作しています。今の若い人は、わりとすんなりこのような現状を受け入れているようですね。
しかし、昔はそうではありませんでした。
「東大生」は勉強ばかりしているので視野が狭い。とか
「東大生」は正解ばかり追求しているので、柔軟性に欠ける。とか
結構、批判もありました。これも時代の変化なのかなと感じます。
個人的には、「どうでもいい」感じもあり、「ふーん」と社会の変化を眺めています。
ただ、一つ問題があるのでは?と感じるのは、「東大生は××をしない」といった暗にこれが正解だと誘導するような情報も発信されていることです。
当たり前ですが、「東大生が語ることが真実とは限りません」。さらに彼らは学生です。このあと人生経験を経ていろんなことを学ぶでしょう。そこから「学生時代に言っていたことは間違っていたな」と感じることも多々あると思います。
例え東大生とはいえ、成長段階にある若者の発言を鵜呑みにしてしまうのは、発言主の問題と言うより受け手に問題があります。何事もそうですが、鵜呑みは良くありません。
英語には、Wonder Boyという言葉があり、若くして成功を収めた人という意味があります。若くして得た成功がその後の人生にあまりいい影響を与えなかったというニュアンスも含まれているようです。
どんな若者の成功も人生の途中経過です。そこに成功の十字架を背負わせる(中には自分で積極的に背負っている人もいるとはいえ)のは社会として健全とは言えないのではと思います。東大に行かなかった方が、いい人生になった人もゼロではないのですから。
東大に行きたい受験生は、東大生の発言は、志望校の先輩の体験談程度に収めておく程度でいいのではないかなと思います。
それよりも、その他の大学の合格者体験からも貪欲に情報を得てほしいと思います。東大生の発言を崇めて過ぎてもあまりいいことはないと思います。
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