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黙読の音(おん)。

(全文読めます。)


  関西人が自ら話すことばを、わざわざ調べたりはしない。しかしそんなわざわざを何となく。そういえばやった事があるなと思った。


  『大阪ことば学』という本がある。最後まで読んでいないけど。現在進行形の『最後まで読んでない(=今 読んでいます)』という意味ではなく、

なんや最後の方は 肩凝って 『読むのをやめた』という意味である。

  何故読むのをやめたのかと言うと だんだん 活用形ばかりが出てきて、(未然 連用 終止 連体とかいう あれ) ただでさえ放し飼いにされて、我が物顔で闊歩する関西弁を、恥ずかしげもなく 紹介してはって、見てるこっちがしんどいわと思いまして、なんや眠たぁなりまして やめさせて頂いたという意味の “読んでいない”。


  そもそもその本に出会ったのは、なんばグランド花月の前の でかい本屋さんだった。今はもうない。別の店になっている。とにかくでっかい本屋さんだった。待合せをしていて、待っている間に出会った。

  妙に惹き付けられたのは、そのタイトルだけでなく『はじめに』という所だった。当時3月11日から 1年とか2年とかしか経っていなくて、我々関西人には忘れがたい 1月17日のことがそこに書かれていたからだ。因みにわたしは1月17日の事は覚えていない。

  そこには1月17日に “家が潰れて” 体育館に避難した親戚かなんかに、同じく “家の倒壊は免れたけど” 被災した親戚が駆け付けた…とある。

必要なものはあるかという意味で

『いま、なにが欲しい?』と尋ねたら 

『 家が欲しい。』とか言う。

  だが 言われた方も負けてはおらず

『そら、わしかて欲しい』と切り返したそうな。

  このやりとりを聞いた作者は、当時 遠方(関東)からテレビの中継かなんかで観ていたらしく、『このことばがある限り(活きている限り) 京阪神は大丈夫や』と思ったらしい。


  他にもその本には、関東の“動物園”の猛獣の檻には、貼紙で

「猛獣が “暴れだす” と大変に危険ですので、檻に手などを 決して入れないでください」

と書かれているのに対し、天王寺動物園の猛獣の貼紙には 一言

「噛みます。」

としか書かれていないとか。


(今はあまり見かけないが)  関西の電車の扉には 指を挟んだら危ないという意味で、

『指詰め注意』と書かれてあるのだが、他県民から見れば やーさんを連想するらしいとか。

(は、恥ずかしい(*/ \*) )

  117に電話して、晴れか雨か聞いているのに 低気圧のことなんか聞いていない。(本は大分 古いものです。携帯で調べなはれというまっとうなご意見は届かないのです )

  取って付けたような回りくどい事をペラペラ並べ立てるのを好まない合理的な考えの地域とか、

なんか 分かるような、分からんような事を色々書いていた。気がする。


  そしてそんな本を読んだことを忘れて、生活していたある時。

ここのプラットホームで私に寄せられたコメントで意外な事を言われた。

  それは私が見きり発車で徒然した内容で、ちゃんとしたものを書きたいけど書かれへんといった内容だったのだが、『この文章を読んでいて、なぜ自分が 長文を読むのが苦手なのか分かった気がします。リズムがあると読みやすい。ことばは、説明にもなれば詩にもなる』と寄せていただいた。


  ( リズム? まって リズム? 私、文章の中でそんな ズンチャかしているのだろうか。アチャラカではなくて?)とか思ったが、確かに私の普段の書くのものは、黙読の音(おん)を 自分の心地いい音階にしていると思った。

  それで、『なんで自分が黙読の音(おん)を心地よくする事に “ 重きをおいているのか ” 』という問にたどり着いたとき、やはりそこには哀しいくらいに情けない土壌のルーツが見え隠れした。気がする。(出来ることならずっと隠れといてほしいけど…)


  本には、土壌のルーツとしてこんなことが記されていた。

『せっかく相手が 話を聞いてくれているのであれば、聞いている相手が飽きないように 聞いていて楽しいように。 話す自分も喋ってて楽しくなるように。おもしろおかしく話を “ 工夫する ” のが 嗜み 』なのだとか。

そんなもん嗜んだ経験ありませんけどな、

( ̄O ̄) ( ̄σ・ ̄)

それより、よぅ ここまで 昔に読んだ本のことを ぺらぺら、しかも読んでへんのに 覚えているなと 私の記憶の引き出しの容量にびっくりすると同時に、もっと違うもん仕舞いなはれとも思ってしまう。

  どうやら「お箸の持ち方レベル」で既に存在する その悪しき西の嗜みとやらの中には、工夫するという謎の精神が組み込まれているらしい。

おまけにややこしいのが、

話し方(伝え方・表現)は工夫するけど、話す内容はたいしたことあれへんという…

なんと ややこしからずや。( 孔子も道 説いてるほうが楽しいらしい。道案内は程々でよろしいから 西の生態 説いてえな。いや また説いたら説いたで、未然 連用 終止 連体とか、肩の凝るようなこと言うのかな。) ほら内容がない。証明できた! (*´∀`) (^◇^)

  言っておくけど 劇場の芸人さんは『内容もたいしたことあって』、内容がたいしたことあらへんのが 私のようなその辺歩いていそうな…というか 実際にその辺に歩いている通行人なのである。たぶん。


不思議の国の Western Japan


    少し話はそれるけど 海外の人の話を聞くと、JAPAN is Closed country. 日本は閉じられた国だと言う人がいる。よくも悪くも閉じられている。


彼らは(海外の方は)、気になるらしい。閉じられてるってどんな国?

何故なら 地続きになっている国が多いから、彼らはたくさんの血が混じっていて当たり前だから、自分は なに人で、アインでんティティはどこにあるのか。(おい志村出てきたぞ。間違っているのに直さねぇぞ、そのまま進めようとしているぞ) 

ルーツはどこなのか。精神はどこに根付くのか。


  閉じられた国の私たちには、考えもしないような事で もがいたり 悩んだりもしている。『僕はイエローでホワイトでちょっとブルー』という本が いちばん分かりやすいかもしれない。

そして日本という国に少し詳しい海外の方は、更にこう言う。


「主張は言ってくれなきゃ、分からないけど 日本人は言ってくれない。(主張しない) 」


ごめんよぉ 私たちには、私たち同士(日本人同士)にしか伝わらない 日本語という名の不思議な受信機で “ 遊ぶ癖 ” があるのよ。自分がその受信機を持っていることに 気付いていない人達が多いのよとしか言えない。


更に彼らはこうも言う。

「その中でopen mind で接してくれるのが、西日本エリア」だと。


おい、やめてくれ…あ、ごめんなさい。つい心の声が。f(^_^;



どうやら私たちは、私たちによく似たちょっと変な人たちから ちょっとだけ興味を持たれている。



そんな変な人たちに。

西日本エリアはopen mindという、海の向こうの方々へ。

母国語でもない字が読めて、

日本語のへんなニュアンスを汲み取れて、たまたま目に触れた文章が この内容もたいしたことあらへん文章やった方へ。


私はここに 『open mind ではない西日本エリアの人もいるよ』と伝えよう。

Closed mind の 人達は、またの名を『静かなる関西人』ともいう。


彼らの特徴は、サイレント。サイレントトーキングである。そしてみている人と、自分が心地のよい音階で喋る。


黙読の音(おん)で奏でる彼らは、結局のところ うるさいのであると。


わたしはわたしでわたしに思ふ。



『 黙読の音(おん)。』 完。



クダラナイコトガスキー原案

『しずかなる西日本』より

シランコトガスキー原作

『静かなることイキらん如し』

日本語訳:小林栄一

装丁(ヘッダー 表紙):beriko

チーム:柑咲亭

制作統括:柑咲



≪参考≫


この記事が かたや剛さんの記事にて紹介されました。↓


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