キタ。ミナミ、そしてナカ。
この記事は、2024/02/02 に追記しました。
その街には、キタとミナミとナカがある。
《急》
その街には、キタとミナミとナカがある。
ナカで暮らす人々の憩いの場として建てられた、大きな図書館と、大きな公会堂は、人を立ち止まらせ、顎を上へ向けて。歩かせる。
世界中にある建築物は、過去の偉人の贅沢品かもしれないが。
それを残そうと試みた 目に見えない人々の結晶に、
後世は足を止めて見上げるのだなあと思った『後世』の一人が、これを記す。
中之島公会堂を建てるのに莫大な寄付をした岩本栄之助と、その末路。
どうも気になった私は、立ち止まってその功績の記された年表を見た。おかしい。違和感に首を傾げた。
そして、現代的価値観で過去の人を否定するのは何だかちがうと思って。承服しかねる結末に、『なんでだす』と足を運んだのは、栄之助の仕事場。証券取引所の、だれでも入れるギャラリーだった。
北浜の大恩人の20年程先輩に、おディーン様こと、五代友厚たんがいる。おディーン様が建てた証券取引所…の、ギャラリー。分かったことは、栄之助が辿った道が『分からなかった』という事だ。
そしてその足は。『なんでだす』という思いに突き動かされたその足は。ナカと言えばの、図書館へと向かった。ぎしぎしと鳴る階段の音がすき。ずいぶんと低い位置に 手すりがあるなあと思っていたら、車椅子用のレールだと毎回気付く。(学習力のたらない子。)ちょっと古い落ち着く図書館へ。
その図書館のパソコンの検索機でカタカタと『岩本栄之助』の名前を打つ。
借りられる本と借りられないものがあって。借りられるものを借りた。
郷土史家の人の、記した本でおもしろかったけれど読みにくかった。あまりに読みにくい本で、返却日ぎりぎりまで読まなかった。流石になと思って、返しに行く道すがらの電車の中でざっと読んだ。そして、図書館に着いてもまだ閉館時間まであったので。ぎりぎりまで読んだ。そのごく短い時間ですっと入ってきた内容こそが。
いまの自分にとっての、身の丈にあった咀嚼出来る範囲内での。岩本栄之助に対する見解だったなと思う。
「士魂商才の人やった。」
そのひとことで。あぁ、そうかとなった。
アバカスを見ていたから理解出来たことだった。
他にも心にスッと入ってきたのは、
「岩本栄之助は、(株主)仲買人の仲間のみならず、後に近松門左衛門の研究をする何とかさん(◯◯さん、名前忘れた)など。沢山の色んな分野の仲間がいて。
なぜだか、人を惹きつける魅力のある人だった」
と。ああ。そうか。だから私は。縁もゆかりも無いけれど。その魅力とやらに惹き寄せられて、ぐるぐる小さなナカの冒険旅をしたのだなと。少しだけ承服しかねていた心がやわらいだ。
「お見合いの席で、どこかで(遊園地だったかどこかで。)お相手と待合わせをしていて。自分のお友達に着いてきてと必死に頼んで。当日行ってみると、お相手が家族連れでやって来て。まずい、お友達に、隠れろと。お友達が帰ろうとしたら、帰らないでえ。着いてきてええ。お願い。物陰に隠れてずっと着いてきてええ。」と。
なんと、ほっこりする話が残っている人をなんだと。
この見解に辿り着くまで時間は要したけれど。現代的価値観で否定したまま終わらなくてよかったと思うし、何より疑問に思ったら少し動けば教えてくれる資料や資料館があるこの土地は。いいえ、置かれたこの環境は。あまりにも凄い環境にいるのだなあと思う。
そして、ここに。無念の死でも、非業の死でもなく。
人には役割がある。 その人物は、否定されようがされまいが、めいいっぱい生きた。やはり、北浜の大ばか者である。
《走書き》
【携帯に残っていた「現代的価値観」により否定したあれやこれや。※思考の展開途中の走書きです。】
孔子もスティーブ・ジョブズも、
ヒトラーも、岩本栄之助も。
なりたくてたった訳じゃない。
それぞれ『なりたかったもの』があったけれど なれなくて、自分のやりたい事とは違うところで見出されて。見出されたは良いけれど、自分はこれとちゃうねんなと。
やりたかった事を、完全に捨てきれずに、拗らせて皆くるしむ。
いくら北浜の大恩人と後世に言われても、生きてる身内泣かしたらアウトだよ。
《ヒトラーと織田信長を視ていて思うこと》
政を生業にする人は、
芸術が分からなくて
興味がないくらいがちょうどいい。
信長は、『興味がなかった』からどうでもよくて祇園祭を壊さなかった。
ヒトラーは、『興味があった』から身内ですら「ヒトラーさん、これは残しておきましょうよ。」というものまで壊しに掛かった。
※下のリンクの掲載順は、実際の行動順というか時系列です。
岩本栄之助関連・またはナカにご興味ありましたら、①④⑤をどうぞ。
《序・起》
①
② ハクナマタタ 《副筋》
③ ウィッグ 《副々筋》
《破・承》
④
《破・転》
⑤リンク内の目次 『屋根をかける人』と『福沢諭吉』がナカ関連。
《目で見る『ナカ』》
・中之島図書館
(夜・ヨルナカノシマ)
図書館内は、美しいので撮影OKですが、他の方のご迷惑になるような撮影はご遠慮くださいというのが書かれてあります。美しいので他の方の映え写真を検索してみてね。建築に詳しくなくても眺めちゃう八角形です。
・館内 一階・新聞室付近。
昼・ヒルナカノシマ
・中之島図書館に行くまでの道すがら。
・中央公会堂(中之島公会堂)
・加島屋本家/大同生命
朝ドラ『あさが来た』の主人公・広岡浅子さんの嫁ぎ先。そしてこの跡地に、大同生命のビルがある。
大同生命。
・三井住友銀行
そして大同生命のお隣には、あささんの実家・三井家の、三井住友銀行。
・堂島米市場の跡―世界における先物取引所の先駆け―
なんかあるなあと思って歩いてみました。大同生命の本社からすぐ近くです。『あさが来た』でも、あささんが嫁いですぐ街を散策していて、米市場で働く人と思われる人に「邪魔だどけー」と言われていて活気溢れる感じで描かれていましたが。距離的に、意外とすぐ近くなのであながち間違っていないのかなあと思いました。フィクションはときどき、嘘に見せかけて本当を描きがちです。(^^)
この時はよく分かっていませんでしたが。
江戸時代。藩の収入源はお米で、全国のお米がここに集められていたっぽいです。福沢諭吉のお父ちゃんも、藩の命令でここで藩の財源をやり取りしていたとか。そして、諭吉のお兄ちゃんもパパと同じ仕事をして、(家督を継いで。)すったもんだあって、藩から飛び出してきた諭吉もここへやって来たそうです。漢字は忘れましたが、『ごかいかたまい』と言って財源の管理は下級武士の役割だったそうです。でもそれ、生活にこまった下級武士がもしくすねていても分かんないんじゃないのとか、諭吉の本を眺めていて思いました。
・「企業家ミュージアム」という寄り道(文)
あと、ここで言っておかなきゃ書き忘れちゃうので言っておきますと。今回このナカの旅をぐるぐるとしている一貫で、「企業家ミュージアム」という場所に行きました。
栄之助の結末について初めて違和感を覚えたのは、ふらふらと。中之島公会堂の展示室に入ったのがそもそもの始まりだったのですが。
そこでOSEギャラリーと、
企業家ミュージアムという場所を知って
行ってみました。
それで、企業家ミュージアムに行って率直に思った感想なのですが。
(日本やばいな)と、思いました。
何がやばいと思ったのかと言えば。
現在(2023年現在)、日本は円安です。
円が安いから、海外の観光客が多いです。
それで私もその程度の情報なら見聞きしておりました。そして、企業家ミュージアムに行ったとき。外国人観光客の方が、海外に来てまでちゃんと勉強をしている事に(日本はやばいな)と思いました。
正直、今回「岩本栄之助」という今後わたしの人生にさして影響を与えなさそうな人物に出会い沢山の寄り道をしました。故にわたしは、自分の暮らす環境下に、「企業家ミュージアム」というものがあることを知りませんでした。閉館前というのもあって、日本の方は見かけませんでした。
それでも、イヤホンガイドなのかGoogle翻訳なのか分からないけれど、使えるものはとことん使って吸収しようとしている他国の団体の学生さんに成長のない30年の間に生まれた身としては、やばいと思いました。
そしてOSEギャラリーでも、
そもそも『先物取引』というのは海外の考え方だけど。
世界的に有名なアルファ・ロメオ・メラメラみたいな。
お名前の。先物取引の父みたいな人が居て。
その人が、
「先物取引という名前や概念はなかったと思うけど、世界的にみて日本の堂島が、今日でいうところの『先物取引』の先駆けみたいなところやでぇ」
と言ったらしく。
(※こんなにもっちゃリした言い方かどうかは、
知り合いではないので分かりませんが。)
世界中で経済学というものを学ぶ人は、まず始めにこの事を学ぶし。ハーバードかケンブリッジか分からないけれど有名な大学では、すごくすごく当たり前のことで逆にそれを知らないわたしたちは、やばいと思ってしまいました。
(…あの、熱弁していたからそっとしておいたけれど、アルファ・ロメオ・メラメラってなに。わらい止まらんの、私だけ? ※何かそんな雰囲気のお名前の人です。(;´∀`))
わたしは、今現在の先物取引のしくみとか聞いてもよく分かりませんでしたが。アイ・アム歴史っ子。今は分からなくても歴史という入口から、自分のペースで 今回の栄之助のように、疑問を追いかけていくんだろうなあと。思いました。
勉強は、強いること。
学習は、まねること。
学問は、自分が疑問に思ったことを学ぶこと。
「人類の進化」に足を引っ張っている代表のような、アナログで。
小利口な。典型的な鎖国型の、一般人だけど。
自分が学ぶことで歴史がまた一歩進むなら。
分からないなら分からないなりに、一つ一つを面白がりながら。
わたしが歴史を進めようと思います。
・ライオン橋
証券取引所の、近くにある成長をしたハクナマタタ。
・中央公会堂の裏(なむか、鳥居。)
中央公会堂の裏。橋を渡って、どんな感じかなと思って歩いてみたらこんなものが。昔の神社の名残のような感じです。目の前が道路。後ろが写真のように空地(というか私有地のような。駐車場)です。
・なんか、橋。
太陽の光が、川に反射して。
その反射した光が また橋の裏を反射させて。
きらきらしていました。日の暮れ掛かる時間帯に観えるマジックアワーみたいなやつです。ターナーが描いていそうな景色です。
・船入橋
字を読んで。へぇ~となったけれど、忘れました。多分、お米の搬入に使うのに。出入りをするのに、使ったところかなと思います。まさか作った側も(江戸時代のナカの人々も。)後世こんなふうに「へぇ~」と訪れるへんなのをみて、変わっとりますなあと言う気がします。座右の銘。しいて言うなら「ノリと雰囲気となんとなく」。なんとなくの先にあるものが、なんとなくでした。
(…え、どういうこと(^_^;))
追記。
Googleレンズにて。文字おこししました。
宜しければどうぞ。(^o^)
さらに詳しくは、こちら。
・すいしょうばし
漢字分かりませんでした。
なぜかこの写真(上記 ぴかーん)を見せたら。
「なんて美しい街なんだ。ここはなんて言う場所だい?」
と。わざわざブラジルの方が翻訳器を使って聞いてきてくれました。
ここはね。
東西南北で言えば。
「東」の方に位置する小さな島国。
その、小さな島国にも、「西」というものがありまして。それが 中々 に ややこしい。
そんな「西」には、これまたややこしく。
「キタ」と「ミナミ」と、「ナカ」とが ありまして。それが本当になかなか。ややこしい。
そんな「ナカ」の街にある、橋だよ。
と。お伝えしておきました。(^o^)
そして、この橋の端っこは。こんな感じ。(※洒落を言っているつもりはありません。)むかし川が通っていたっぽい所です。
この橋を登ったらこんな感じです。
・OSEギャラリー
写真の枚数が多くなっちゃったので、後日OSEギャラリーのみの記事を投稿しようかなと検討中です。撮影OKという事で。動画を撮って編集をしました。
・栴檀木橋(せんだんのきばし)←←追記
よく分かっておりませんが、
(へぇー)という感じです。(・ω・)v
《追記。》
( 諸事情により。追記で画像の加工編集をさせて頂きました。書かれてある文章は、Googleレンズで出来るだけ拾いましたが、Googleレンズも完璧ではないので少し手を加えました。間違っていたらごめんなさい。
どんな事が書かれているのか画像でも垣間見ることが出来ますが、ご興味のある方はこちらをどうぞ。(^^))
関連記事(更に詳しくご覧になりたい方はこちら。)
・書いてても読まない。それが、人。
この辺りをぶらぶら、ブラタモリごっこをしていて思ったこと。それは(なんか京都の碁盤の目ぇに似ているなあ)と思いまして。知り合いの歴史っ子に、
「あの辺り、なんか京都の碁盤の目ぇに(地形が)似てない?」
と、聞いたら
「そらそうやろ。太閤検地の名残やろ、」
「え、そんなん。」
と。
それを疑問に思う方も、思う方ですが。
直ぐに切り返して答える方も、答える方だなあと思いました。そんなことより、本当に太閤検地の影響なのかどうかは、勝手に言っているだけなので分かりませんが。(;´∀`) 責任感がないのではなく、責任感があるからこそ。この土壌では、よくこの言葉を遣う。
「…知らんけど。(訳:好き勝手に言っているだけだから、真に受けないでね。)」
・適塾
医師・緒方洪庵が開いた塾です。医術を学びたい人以外にも、語学(オランダ語)を学びたい人も集まったとか。福沢諭吉が通っていました。
大沢たかおさんのドラマ『JIN−仁−』にて。
武田鉄矢さんが演られた役が、緒方洪庵です。
おわり(*´∀`)
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