完成したのに、「完成したよ」という投稿をすっかり忘れておりました。布です。
布です。
眺めておいてください。
いつもあそんでくれる皆さまへ。(まえがきと結論・急)
いつもあそんでくれる皆さまへ。
完成したよ。(*´∀`)
おわり(^o^)
待て。まてまて。
これだけ見ても何のことやら。
始めにご説明しておくと。(まえがき・序)
始めにご説明しておくと。
いちばん「初め」から、こういう事をやろうと思ったわけではありません。起承転結の結のみ見ると、とても器用な人と思われるかもしれませんが、ちがいます。ちょっとクレイジーなだけです。近くには居てほしくないけれど、遠くで視ている分には ゆかいな子です。誰も見ていない所で、静かにあそぶどこにでも居る普通の人です。(普通がいちばん、むずかしいんだかんなっ。ƪ(‾.‾“)┐)
元の始まりはこうでした。(破)
いつもあそんでくれる方は、
すっ飛ばしてくださいね。(^o^)
元の始まりはこうでした。
絵を描きました。
それは、わたくしが ほぼほぼ 初めてなくらいに、ヒトを描いたものでした。(それまでは、とてつもなくたま〜にディズニーの白雪姫とかを描くくらいでした。)
わたくしが初めてヒトを描いたのが、米倉涼子さんで、ミュージカル『シカゴ』の米倉涼子さんを描きました。米倉涼子さんを描いたなら、アムラさんも描かなくちゃ(もとい描きたいな=やってみよう)と。かる〜い気持ちでした。
わたくしが描いた初めてのヒトであるお二人は、
『わたしが描いたらアムラさんはジョジョで、米倉さんはゴーストスイーパー美神令子になっちゃうな。もしくはキャッツ・アイ(だなあ)』と。思うくらいの低いのか高いのか分からない画力でした。
ただ、やってみてたのしかったので。
序に画像加工だいすきっこなので。
だんだんと絵を描きたいからやっているのか。画像加工をやりたいからやっているのか。よく分からない域までいろいろやりました。画力のなさを忍法・加工技術と雰囲気と構図であなたの心を弾ませるの術(…ながいよ(^_^;))を、使い。座右の銘・しいていうなら『ノリと雰囲気となんとなく』でなんとなく繰り返していました。
そこから時が経ち。
目の前に布があったので。
(初めは雑巾が縫えるかなあ。ミシンが欲しいけれど買ってまでやるかなあ…とりあえず自分のやる気を確かめる為の手縫いでした。一体いつまでやる気を確かめているのやら。※お話の本筋とはずれますが、この子はその『やる気とやらを確かめすぎて』しまいには手縫いでワイシャツを縫うこじらせた甜菜です。(;´∀`))
やがて。
(あれ。これ、できるのでは)と。
接着芯におえかきをしました。この世の中に接着芯というものがあるのもあまりピンときていなかった頃、アイロンをして布になむか着くというのに。それからやってみようで、できたという事に感動をして。(できっこないをやらなくちゃというのを、ゆるいスローガンにして。)
出来た…のは良いけれど、完成したものに対して興味はなくて。作品のネグレクトをしがちなのですが。あゝそういえば。ご報告していなかったなあと思いまして。出来たよというお知らせです(^^)
【ミュージカル・シカゴのヴェルマ・ケリー(因みにアムラフェイライトさんです。)を、フェルトと針と糸を使って、最高のステージに立たせてみました。】(おまけ・あそび①)
【Velma Kelly from the musical "Chicago" (by the way, this is AMRA-FAYE WRIGHT ) I used felt, needles and thread to make sure I was on the best stage. 】
【Velma Kelly dal musical "Chicago" (a proposito, questo è il AMRA-FAYE WRIGHT] Abbiamo usato feltro, aghi e filo per farli ballare sul palcoscenico migliore. 】
《同じことを言っているだけです。》
布です。フェルトです。
This is a cloth.Felt fabric.
Tessuto in feltro.
やっと完成しました。
元はと言えば。なんとなく。描けるかなあと。
思いつきでした。
やってみたら思いの外たのしかったので。
おえかきのかみさまとあそびました。
そこから時を経て。
(これ、布でやったらおもしろいのでは)と思いまして。接着芯におえかきをして、布に貼り付けて、縫い物をしてみました。今度は布におえかきをしました。
後で知りましたが、
こういうのを刺繍絵というらしいです。
糸を6本(刺繍糸はMAX6本)にするか、
2本にするか、1本にするか。糸の本数と針の入れ方によって表情が変わって、どうしようかと思いました。
「シカゴ」という作品を演じる為だけに鍛え上げられたパフォーマーの筋肉をどう表情するか、(糸を太くすると力強くて 格好良くなるような気がする)。セクシーで可憐な部分を表現するのに、あえて糸を細くするか。
まだ誰も見たことがないけれど、
私がこの世界にその存在を見てみたい。
だから、つくる。
そんな気持ちで、答えがないことでなやみました。
最後の顔周りが、
最後にして最大の難所で難儀でした。
松下幸之助の細君の名言を拝借すると、
「難儀もまた、たのし」でした。
キートンの自叙伝の最後の目次の言い方を引用すれば、「終わり良ければ全て良し」でした。
ステージ上でスポットライトが当たる角度や、それによって身体にできる影の入射角と反射角をだいぶ なやました。(※入射角と反射角というワード、久しぶりに遣いました。おそらく言葉の遣い方は大いに間違っております。ただ言いたかっただけです。)
なんでこんなことをやっているんだろうと何度も思いましたし、夏の暑い時期にフェルトを見たくないという いやいや期から、放置する期間もありましたが。どうにかこうにか。(※ほぼ放置の期間も含めると、1年位掛かったかなあ。わかんないや)
世界中のシカゴのパフォーマーと、彼らを支える人々と。その情熱に突き動かされて。最後まで出来ました。そうです。物は言いようです。
今年(2024年)の来日公演に間に合わなかったのが、何とも自分らしいなと。まあいいかあと。
甘やかすことにしました。
なぜならわたくしは、
大いなる能力の無駄遣いをする甜菜ですから。
人生は誰しもがままならず、複雑さに耐えて息をする。
ソーシャルメディアを見ていると落ち込むこともあるけれど、
世界中の発信を視ていると(こんな人もいるんだ。あんな人もいるんだ)と。そして、(自分も居ていいんだ)と思えるとびきり最高の出会いがある。私って最高でしょ?そして、私を見つけたあなたはもっともっと最高よ。
そして
私は、ものすごく絵が上手な訳でも、ものすごく手芸が得意な訳でもありません。ただ、できこっこないをやらなくちゃ。日本のロックスター・サンボマスターの名曲のタイトルをスローガンにここまで来ました。さあ。次はどんな景色を見に行こうかな。
追伸:またあそぼうねえ〜ヽ(*´∀`)ノ♪
やわらかく、
くだらなく、
さびないものを。
あわよくば、おもしろくをモットーに。
《おまけ・あそび②》
根性のクレイジー手縫い。
クレイジーを続けるための、画像加工。
バンドの参加♫
フェイスライン大先生。