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ニューミュージックな夜【第2夜:オフコース編】


 私の悩みの一つに、オフコースの名曲「秋の気配」をいつ聴くか問題があります。

 最近は、10月でも暑い日があるし、ハッと気が付くと秋が過ぎ去って冬が近づいてることもあって、「秋の気配」を感じるタイミングが難しいんですよねw。(←そんな大きな問題なのか?)

「秋の気配」1977.8

 作詞・作曲 : 小田和正/編曲 : オフコース

 私の中の秋は、「秋の気配」から始まるんです…

 ということで、私の出会った "ニューミュージック" の記事を書いてるんですが、第2夜は、オフコースについて ”note” していきたいと思います。


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オフコース

 小田和正、鈴木康博を中心に結成され、1970年、「群衆の中で」で東芝音楽工業(後の東芝EMI)からメジャーデビュー。
 メンバーの脱退により、1972年からは小田・鈴木の2人体制となるが、サポートメンバーだった清水仁、大間ジロー、松尾一彦の3人を、1979年に正式メンバーとし5人体制となる。

 実は2人組時代が長かったりするオフコースなんですが、私が知った時は、既に5人体制だったので、私にとっては5人のイメージが強いです。

 オフコースと初めて出会ったのは、恐らく「ベストテン」だったと思います。ただし、ご存知の通り、オフコースは歌番組には出演しないバンドだったので、「ベストテン」でもいつも欠席でした。
 なので、歌っているとこは見た事なかったのですが、曲はなんとなく知ってるぐらいの感じでした。
 そして、その時、大ヒットしてたのが、5人編成になってからの最初のシングル「さよなら」でした。


「さよなら」1979.12

 作詞・作曲 : 小田和正/編曲 : オフコース

 小学生にとってはセンチメンタルすぎる歌なんで、当時は、それほど~って感じでした。

 多分、オフコースの曲としては「さよなら」よりも、西城秀樹さんがカバーした「眠れぬ夜」の方が印象が強かったです。


「眠れぬ夜」1980.12

 作詞・作曲 : 小田和正/編曲 : 船山基紀

 レーベルも違うし、今、思えば、どういう経緯でこのカバーが実現したのかは分かりませんが、これがオフコースの曲だというのを後から知って、(当時は)意外に思ったのを憶えてますね~。
 けっこう歌いやすくて好きな曲だったのです。

 ただ、オフコースになると、小学生の自分にとっては静かな曲を歌うバンドのイメージで、そこまで好きになる感じでもなかったし、同級生たちの間で話題になることもありませんでした。

 でもですね、中学校に上がると、オフコースに対する温度はまったく違ってたんです。
 先輩達には、オフコースの熱烈なファンの方も多くて、合唱コンクールでも歌われてたりして、あの中学時代、もっとも人気のあったバンドのひとつになっていました!

 「さよなら」の後も着実にヒット曲を出していたし、ニューミュージックのカテゴリーでいえば、間違いなくオフコースが中心だったんじゃないかと思うんですよね。
 それぐらい人気が過熱していたと思います。

 そして、「さよなら」の後のヒット曲と言えば…

「Yes-No」1980.6

 作詞・作曲 : 小田和正/編曲 : オフコース


「時に愛は」1980.12

 作詞・作曲 : 小田和正/編曲 : オフコース


「I LOVE YOU」1981.6

 作詞・作曲 : 小田和正/編曲 : オフコース


「言葉にできない」1982.2

 作詞・作曲 : 小田和正/編曲 : オフコース


「YES-YES-YES」1982.6

 作詞・作曲 : 小田和正/編曲 : オフコース


 リリース順に並べてみましたが、何でしょう、”神曲” といってもいいほどの名曲ぞろいですよね~、いや、すごい!
 ちなみに、この並びって、活動休止中の1983年にリリースされたベスト盤『YES-YES-YES』のB面と同じなんですね。(アーティスト非監修盤でしたが、初心者の自分にとって、このベスト盤はよく聴きました)


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 私が中学2年の頃、オフコースの人気は最高潮を迎えていて、日本武道館連続10日間公演がニュースになったり、歌番組には出演しない彼らのドキュメンタリーや特集、スペシャル番組『NEXT』が放映されたりしたんです。
 その中でも、印象的だったのは、やっぱりあの有名なシーン…  武道館公演での最終日(1982.6.30)、「言葉にできない」を歌う小田和正さんが声を詰まらせる場面です。

「言葉にできない」

   at 1982.6.30 武道館コンサート

誰のせいでもない
自分がちいさすぎるから
それが くやしくて 言葉にできない
la la la・・・・・・ 言葉にできない

あなたに会えて ほんとうによかった
嬉しくて 嬉しくて 言葉にできない
la la la・・・・・・ 言葉にできない

 何も知らなかった当時の自分としては、小田和正さんのこの涙は達成感によるものと考えていて、本当の意味が分かるのは、もっと、ず~っと後の高校時代のことでした。

 結成メンバーであり、ずっと一緒にやってきた相方の鈴木康博さんが1983年に脱退するのですが、この武道館公演の前に、すでに脱退は決定されていて、二人にとって最後のライブがこの時だったのです。

 後になって、いろんな事情を知ってしまうと、あの武道館公演や、スペシャル番組『NEXT』なんかの見方が変わっちゃうんですよね。


『NEXT SOUND TRACK』1982.9

 そのスペシャル番組『NEXT』のサントラがリリースされるんですが、5人のオフコースの最後のアルバムでした。

 実は、私にとって初めて聴いたオフコースのアルバムだったのですが、なんかオフコースらしからぬポップなジャケットだったし、収められてるヒット曲も少なかったので、それほどは聴かなかったんです。
 ただ、いろんな事情を知った後に聴くと、なんかですね、これも心にしみるんですよね~
 特に、小田和正さんの「NEXTのテーマ -僕等がいた-」と、鈴木康博さんの「流れゆく時の中で」は、それぞれの惜別の歌って感じがして切ないのです。


「NEXTのテーマ -僕等がいた-」

 作詞・作曲 : 小田和正/編曲 : オフコース

あの頃確かに 僕等がいたね
誰れも知らない 僕等がいたね
何も見えない明日に向かって
走る僕等がいたね

「流れゆく時の中で」

 作詞・作曲 : 鈴木康博/編曲 : オフコース

めざすものは 今も変りはしない
信じるままに 僕は追いかけてゆくよ
新しい波は いくつもいくつも
寄せては返し 消えてく
流れゆく この時の中に
僕は何を残して ゆけるだろう


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 鈴木康博さんの脱退後も4人で活動を続けていたオフコースですが、1989年に解散することになります。
(ちなみに同じ年にチューリップも解散するので、なんか、昭和とともに、ニューミュージックも終焉を迎えた感じでした。)

 その後、オフコースはイベント的に再結成することもなく、現在に至ります。



(関係note)



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