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男女の親友、その理由と関係が変化するとき
Heterosexual friends
「男女間の親友は成立するか」というテーマは、「恋と愛の違い」と同じぐらい、よく語られる恋愛談義ネタだと思うんですが、好意や親密さは恋愛と重なりますから境界線を引くのは難しいですよね。
今回は、「男女間の親友は成立するか」ということを通じて、人と人との関係について考えたことを "note" します。
ちなみに、私は「男女間での親友は成立する」派です___。
人と人の関係について
人と人の関係は、互いの認識や同意によってカタチ作られていくものだと思っています。
例えば「恋人」という関係は、互いの ”好き” という気持ちを確認しながら、そういう関係になっていくと思うんですよね、その際、大半は ”告白” というストレートな確認を伴ったりするんですが、中には自然とそういう関係になっていく方々もいたりしますよね。
”告白” をしなくても、お互いが認識し合えれば関係は成立するものなんだと思います。
さらに進んでいくと ”結婚” して「夫婦」という関係になったりしますが、”婚姻” するとなると、法上の契約も伴う強固な関係のカタチなんですが、籍は入れなてなくても、互いの同意のもと ”事実婚” というカタチで成立してることもあるので、関係というのはそれぞれの間で認識し合えれば成立するものなんですよね。
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そんな人と人の関係は多種多様で、中には社会的な契約を伴うものもありますが、その大半は明確な確認がないまま、自然とカタチ作られていってます。
当然、互いの認識を確認し合うことってあんまりないので、互いの認識は多かれ少なかれ ”ズレ” てることが普通ですよね。
だから「友だち」といっても、お互い、そう思ってるだろうな~って想像し合いながら少しずつ安定した関係になっていくんですよね。
まあ、相手のすべてが好きというわけではなくて、苦手なとこもあったりするんだけど、調整力を働かせて、それなりの関係を保ってることも多いです。その場合、普段、目に見えなかった ”ズレ” が顕在化した時は、やっぱり、それまでの関係が変化しちゃうものなのです。
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「男女間の親友」も同様で、互いに ”何でも相談できる特に仲の良い友だち” って認識があれば、全然、普通に成立します。
ただ、そのカタチに別の要素、たとえば ”どちらかに恋人がいる” などの状況が連動している場合は、若干、不安定な要素があるのでしょうね。
関係が変化するとき
たとえば ”相手に恋人が既にいる” ので、恋愛には進展しなさそうな状況があって成立している「男女間の親友」の場合、その相手が失恋しちゃったりしたら、互いの認識に変化の要素が生じますよね。
相手に恋人がいることで安定していた関係だったのが、”寂しさ”とか、”誰かに頼りたい”とか、”元気づけてあげたい”とか、互いの認識に ”ズレ” が出てきて、関係が変化していく感じで.......。
また、たとえば「幼なじみ」という要素で安定していた「男女間の親友」なんかでも、成長に伴って変化があったりして、”意外と可愛いな”とか、”けっこう頼りになるじゃん”とか、”意識させるきっかけ”があると、関係が少しずつ、時には突然に変化することがあるものです。
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「男女間の親友」は、普通に成立しますが、友だち以上の特別な関係だけに、互いの認識の ”ズレ” が生じやすいのかもしれません。
「男女間の親友」は成立しない派の方は、変化しやすい関係であることをもって、長期間は成立しないという意味で言ってるのかもしれませんね。
そう思うと「男女間の親友」で安定してる関係というのは、ホントに貴重なことだと思います。
< 間奏 : 「Missing」by 久保田利伸 >
「震える瞳が語りかけてきた 出会いがもっと早ければと...」なんて、好きの大きさだけでは、どうしようもないんですね。
社会的な関係の中で
人と人との関係の中では、社会的につながる関係もありますよね。
たとえば「クラスメイト」だったり「ゼミ仲間」、「同僚」「先輩・後輩」や「先生と生徒」「上司と部下」などなど、社会的に大まかに定義されている関係はたくさんあります。
男女間であっても、そんな社会的要素が、関係を安定させているのでしょうね。
職場の「同僚」なんかは、目的のため、安定した人間関係が求められるので、互いの認識を共有しながら(時には全体のために我慢もしながら...)関係がカタチ作られていきます。
でもまあ、一緒に過ごす時間が長くなれば、社会的関係以上の思いになっていくのも必然ですよね。
特に規則で制限してなければ、「同僚」という社会的関係にプラスして「友だち」や「恋人」になっていくことは自然なことです。
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これが「先生と生徒」という社会的な関係であると話が少し違います。
法的には強い制限が設けられているのですが、先生だって人間なんで、生徒と恋愛することはありますよね。
でも、関係というのは、互いの認識や同意によってカタチ作られるのですから、先生側が断固として「先生と生徒」であるなら、恋愛に進展することはありません。
そこに、教師側に不安定な要素、たとえば、ドラマみたいなシチュエーションへの憧れや、秘密を持つことの背徳感、そしてセックスへの興味などなど、”ズレ”を生じさせる気持ちが出てくるから関係が変化するわけで、そこに、恋愛感情を模した関係を作っているのであれば罪はありますよね。
もちろん「先生と生徒」から「恋人」「夫婦」みたいにきちんと関係を変化させていけた人もいるのですが、そういう方は、他の要素に左右されず、互いの気持ちを大事に育てられた人たちだと思うのです。
関係を変化させるためには
なかなか進展しない関係を変化させたい時は、誰かしらあると思います。
進展しないということは、ある意味、安定した関係だと思うのですが、好きだったら「友だち」から「恋人」へ変化させたいですよね。
進展しないまま関係が安定しているのは、相手から自分への認識が「友だち」で留まっているからであって、その認識の "ズレ" を大きくする要素を入れて行けば、関係性を変化させていけるのではないかと思います。
自分の思いを伝える ”告白” は、認識の変化をもたらす、もっともシンプルな手段ですが、その前に、相手の自分への認識について考えてみると良いと思います。
変化させるスピードや、「友だち」となっている他の要素(相手に好きな人がいたりとか...)がないか、趣味嗜好などなど
相手のことを考えながら、変化の要素を加えていくことができれば、関係は少しずつ変わっていくものだと思います。
まあ、人の気持ちですから、いい方向に変化することもあれば、悪い方に変化することもありますので、そこは注意が必要ですよね。
時には「友だち」のままの方がいいということも.....
< 間奏 : 「Hello,my friend」by 松任谷由実 >
「もう二度と会えなくても 友だちと呼ばせて」という歌詞は切ないですが、タイトルの Hello の意味を考えると、さらに切ないのです。
変化を恐れないこと
短いスパンでは安定していても、長いスパンで見れば、少しずつ関係は変化していくものです。
たとえば、どんな仲の良い「夫婦」であっても、一生変わらない関係ではないと思うんですよね。
子どもができると「父親と母親」って関係もプラスされるし、セックスレスになってきたり、ずっと恋愛関係ではいられなかったりします。
それでも「家族」としての関係は安定することもありますよね。セックスはしないけど仲がいいなんてことは多いと思うし、離婚しちゃった「夫婦」でも「父親と母親」の関係ではうまくやってたりと、互いの認識が合っていれば、関係は安定するのです。
長い間、一緒に過ごせば、当然、いろんな "ズレ" も出てきますが、安定した関係でいる「夫婦」というのは、互いの認識の変化をうまく合わせてると思うんです。
変化がないと、刺激もなくなっちゃうんで、ちょっとした変化を楽しみながら、大きな "ズレ" を生まないことが大切なんだと思います。
< 間奏 : 「また君に恋してる」by 坂本冬美 >
「また、君に恋してる 今までよりも深く」.....この歌の君って、どんな関係の人なんでしょうね。
つらつらと "note" してみましたが、男女間の親友ということを通じて人と人の関係を考えるのは楽しいですね。
世の中には人目をはばかる関係というのもありますが、いろんな関係の中で、私たちは生きているのですね_____。
※『セックスと嘘とビデオテープ』1989
スティーブン・ソダーバーグ監督のデビュー作であり、史上最年少の26歳でカンヌ国際映画祭パルム・ドールを受賞することになった作品。
タイトルは登場人物たちの関係を表しているもの
夫は愛人と”セックス”でつながっている。
夫と妻は”嘘”でつながっている。
妻はある男と”ビデオテープ”でつながっている。
今回、なぜか、この映画を思い出してしまいました。
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