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大人の実感の話

 Real feeling of an adult


 今日又は明日が成人式の方が多いのでしょうね。
 例年通りとは行かないのでしょうが、新しい時代の成人の皆さんに心からお祝いを申し上げます。

 さて、私も数十年前に成人式を迎えたわけで、今回は、その当時感じてたことを”note”します。


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 自分の場合、子供の頃は、成人式を迎えたらすっごい「大人」になるんだろうなどと勝手に思ってたですが、いざ、自分が成人してしまうと、

 ....う~ん、成人って、こんなもの?

 みたいに、なんか、うまく「大人」を実感できなかったことを憶えています。



「大人」の定義を考えてみると

 身体的な「大人」
 法的な「大人」
 経済的な「大人」
 精神的な「大人」等々

 様々あると思うのですが

 当時、大学生だった自分はというと、「大人」の定義としては、身体的、また、法的には「大人」に該当していましたが、経済的には自立してないし、精神的な面でも「大人」とは言えなかったような気がします。

 そのため、「大人」の実感がなかったのだと思うのですが、という事は、自分の中では ”経済的な「大人」” と ”精神的な「大人」” が、本当の意味での「大人」の条件と考えていたのだと思います。

 ”経済的な「大人」”はわかりやすいですが、じゃあ、”精神的な「大人」”とは?
 と考えると、成人式から倍以上の年齢を重ねてきた今の私としては、やはり ”責任” なのではないかと思います。

 責任の取れる言動ができること

 それが、私の考える ”精神的な「大人」” なのです。

 

 じゃあ、50代となった自分が ”精神的な「大人」”になれているかというと...  多少、自信が揺らぎますが、まあまあ、なれているかな....  ぐらいですね。w

 まあ、経験も増えて、何事にも動じない部分が出てきたり、自分を中立的な立場において考えることができるようになってきて、まあ「大人」の感性みたいなものは身についてきたように感じます。
 ただ、責任の取れる言動については、まだまだ失敗も多い気がするので、失敗に対して無責任にならないように気を付けることは実践できているかな.....

  まあ、50年生きてきてもそんなもんです。

 

 そこには、あまり年齢には関係ないのかもしれませんね。
 若くても「大人」の人は大人だし、私より上の世代にも「大人」になりきれてない人もいたりして... 
 様々な価値観のある中、ホントの意味で「大人」になるというのは、難しいことなのかもしれません。

 お正月に実家に帰ると、年老いた親から、あれはどうだ、これはどうだといろいろ言われたのですが、親にとってはいつまでも子どもなんだなと思いながら、新たな成人の皆さんにもエールを贈るのです。