村上春樹ワールドが確立された「初期三部作」の備忘録
The Starting Point of "HARUKI" World
久しぶりに村上春樹さんについて記事を書こうと思います。
その昔、別のブログで書いていたメモをまとめておきたいと思ったからなのですが、すでに村上春樹さんについては多種多様な研究がなされているので、似たような考察もすでにあるかもしれません。
また、見当違いの部分もあるかもしれませんが、あくまで個人的な考察としてご了承ください。
初期の三部作は、村上春樹さんのデビュー作である「風の歌を聴け」(1979.7)に続く「1973年のピンボール」(1980.6)と「羊をめぐる冒険」(1982.10)の三作品を総称しているものです。
主人公の〈僕〉、その友人の〈鼠〉、主人公行きつけのバーの〈ジェイ〉が共通して登場し、「〈鼠〉三部作」や「青春三部作」などとも呼ばれています。
処女作にはその作家のすべてが詰まっている。
と、よく言われますが、村上春樹さんの場合、初期の三作品を通じて、そのスタイルが確立されていった感じなのです。
以降の作品には、この「初期三部作」とつながってる部分がたくさんあって、つながりを意識して読むと、村上春樹作品を、より深く楽しめると思うんですよね。
単純なデータが中心の備忘録的な記事ですが、できるだけネタバレは避けながら "note" していきたいと思います。
*以下、内容に触れる部分があります。
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『風の歌を聴け』(1979)
【視点及び構成】
全編を通じて〈僕〉の1人称で構成されている。
※途中、ラジオのDJが挿入される。
【時代設定】
1970年8月8日~26日
【舞台】
主人公の故郷の海辺の街
【主な登場人物】
僕:主人公
鼠:僕の友人
ジェイ:僕の行きつけのバーのマスター
左手が4本指の女の子:僕がバーで知り合った女性
【死んだ恋人のこと】
・三人目の相手だった。
・図書館で知り合った仏文科の女子学生。
・翌年の春休みにテニスコートの脇にあるみすぼらしい雑木林で首を吊って死ぬ。
・21年の人生だった。
・何故彼女が死んだのかは誰にもわからない。彼女自身にわかっていたのかどうかさえ怪しい。
【デレク・ハートフィールド】
・架空の小説家。
・書いた小説のほとんどが冒険物と怪奇なもの。
・1938年に飛び降り自殺する。
※架空の小説家であるが、細かく設定されていて、後書きにも登場するため、実在すると勘違いされて問い合わせが相次いだ。
【井戸のこと】
・ハートフィールドの小説「火星の井戸」で登場する。
・死を望んだ青年が、火星の井戸を降りていくが、奇妙な力に包まれて過ごし、出てきた時には15億年が経過していたというエピソード。
The Beach Boys『California Girls』
『1973年のピンボール』(1980)
【視点及び構成】
序章の後、1人称の<僕の章>と、3人称の<鼠の章>が(基本として)繰り返される構成
【時代設定】
1973年秋(『風の歌を聴け』の3年後)
【舞台】
<僕の章>では、翻訳事務所を開いた東京が舞台となり、<鼠の章>は『風の歌を聴け』と同じ海辺の街が舞台となっている。
【主な登場人物】
<僕の章>
僕
双子の姉妹208と209
翻訳事務所の共同経営者の友人
翻訳事務所の事務の女の子
ピンボール・マニアの大学講師
<鼠の章>
鼠
ジェイ
設計事務所に勤める女
【死んだ恋人のこと】
・名前は直子。
・駅のプラットフォームを縦断する犬の話。
・直子は1961年、町の洋館に移り住む。
【井戸のこと】
街の井戸職人のエピソードが語られ、〈僕〉が井戸に小石を投げ入れることが好きだと語る。
【土星生まれと金星生まれの相手】
一時期、見知らぬ土地の話を聴くことが好きだった〈僕〉が話した相手の中には、土星生まれと金星生まれの者もいて、それぞれの星の話が挿入される。
【ジェイが鼠に言った台詞】
「ゆっくり歩け、そしてたっぷり水を飲めってね。」
(そして、この台詞は『アフターダーク』で繰り返される... )
【主人公の得た教訓】
「物事には必ず入口と出口がなくてはならない。」
(鼠取りに捕まって死んだ若い鼠から得た教訓)
Bobby Vee『Rubber Ball』
『羊をめぐる冒険』(1982)
【視点及び構成】
全編〈僕〉の1人称で語られる構成
※鼠からの手紙や十二滝町の歴史などが挿入される
【時代設定】
1978年7月~秋(『1973年のピンボール』の5年後)
【舞台】
東京~北海道、札幌~旭川~十二滝町
【主な登場人物】
僕
耳のモデルのガールフレンド
翻訳事務所の共同経営者の友人
離婚した妻
鼠
ジェイ
誰とでも寝る女の子
いわし(僕の飼っている猫)
先生(地下社会の大物)
先生の秘書
先生の運転手
いるかホテルの三本指の支配人
羊博士
羊男
【井戸のこと】
僕が牧舎で羊たちと対面した時、彼らの目は不自然なほど青く、まるで顔の両端に湧き出した小さな井戸のように見えた。と評した。
Nat King Cole『South of the Border』
◎三部作の考察
<物語の視点や構成>
『一人称単数』なんてタイトルの短編集があるように、村上春樹作品では視点が重要だったりします。
デビュー作の『風の歌を聴け』では、主人公の〈僕〉が回想していくことから始まり、全編を〈僕〉の一人称で進みます。
この一人称の回想パターンは、その後の『ノルウェイの森』『国境の南、太陽の西』『スプートニクの恋人』などに引き継がれていくことになります。
また、『1973年のピンボール』では、1人称の<僕の章>と3人称の<鼠の章>が、交わることなく進んでいくパラレルな構成になっていて、この構成は、その後の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』や『海辺のカフカ』『1Q84』に引き継がれていくことになります。
ちなみにそれぞれの視点の組み合わせは以下の通り
<冒険小説と恋愛小説>
村上春樹さんの小説は、大きく ”冒険小説” と ”恋愛小説” に分類できると考えています。
”冒険小説” の方は、ファンタジー的な色合いがあって、よく分からないものも登場したりします。
その作風の分岐となったのが『1973年のピンボール』で、失われたピンボール台を探索する<僕の章>が ”冒険小説” の原型です。
この<僕の章>が発展した『羊をめぐる冒険』では、羊(または、失踪した鼠)を探索する物語として完成し、現在の春樹さんの ”冒険小説” の基礎となり、『ねじまき鳥クロニクル』や『海辺のカフカ』『1Q84』『騎士団長殺し』と続いていくわけなのです。
また、『羊をめぐる冒険』では不思議な存在の”羊男”も登場してたりして、その後の”リトル・ピープル”や”騎士団長”の系譜を作っていくことになります。
そして、リアリズムで描かれた『1973年のピンボール』の<鼠の章>の方は、”恋愛小説” の『ノルウェイの森』へ発展していくことになるわけなのです。
そういう意味で『1973年のピンボール』は、その後の村上春樹ワールドの原型が現れた重要な作品でもあるのかもしれませんね。
◎繰り返されるモチーフ
<大切な女性の失踪(喪失)>
『1973年のピンボール』では、ピンボール台の探索の物語なんですが、作中では”女性”として扱われているんですよね。
これは、その後の村上作品によく見られる「大切な女性の失踪(喪失)」として読み替えることもできるのです。
『羊をめぐる冒険』の直接の続編である『ダンス・ダンス・ダンス』でも、ガールフレンドの探索から始まるし、『スプートニクの恋人』や『ねじまき鳥クロニクル』でも、同様のモチーフが扱われています。
この「喪失」っていうのは、村上作品で重要なテーマの一つなんですよね。
<自殺した恋人のこと>
その「喪失」の根源を為しているのが『風の歌を聴け』と『1973年のピンボール』で挿入される「自殺した恋人」のエピソードで、『ピンボール』の方では”直子”という名前も、はっきり示されています。
このエピソードが短編「蛍」や『ノルウェイの森』に直結することになるのです。
<井戸のこと>
”井戸”も繰り返し出てくるモチーフの一つです。
『ノルウェイの森』や『スプートニクの恋人』でも印象的なエピソードが出てきますが、何と言っても『ねじまき鳥クロニクル』では重要な場所として描かれていて、『風の歌を聴け』でのデレク・ハートフィールドの「火星の井戸」を彷彿とさせます。
<スピンオフ的な短編>
この「初期三部作」の直接的な続編は『ダンス・ダンス・ダンス』なのですが、もうひとつ、「双子と沈んだ大陸」(『パン屋再襲撃』収録)という、スピンオフ的な位置づけの短編があります。
タイトルでも分かるように『1973年のピンボール』に出てくる双子の姉妹のその後のエピソードなんです。
この短編では、翻訳事務所の相棒が”渡辺昇”という名前であることが語られていたり、また、事務所のとなりの歯医者で受付してる女の子として、”笠原メイ”が登場しています。
”渡辺昇”という名前は、実は、村上春樹さんと親交の深いイラストレーターの安西水丸さんの本名で、短編などにも繰り返し登場しますし、”笠原メイ”は『ねじまき鳥クロニクル』では主要人物の一人として登場することになります。
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以前書いていた「初期三部作」に関するメモをバージョンアップしてまとめてみたのですが、気が付いたら6000文字を越えてしまいました💦
まあ、自己満足の世界なのですが、いろいろと作品間を横に考察してみるのも楽しいのが村上春樹ワールドなんですよね。
もう一度、「初期三部作」を読んでみようかなって気になった人がいれば幸いです。
今回は「初期三部作」に関係するものを中心にしてるのですが、そのうち、以降の作品についてもまとめていければと思っています。
最後に、記念すべきデビュー作『風の歌を聴け』の冒頭の一行を紹介します。
「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。」
村上春樹さんの作品は、最終的に、この一行に集約されていくのだと思うんですよね、きっと…
(村上春樹さん関係note)
(これまでの読書考察note)
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