ゴールデン☆コンビ(作詞家:康珍化と林哲司とのコンビ楽曲たち)
the best match
世の中には、たくさんの名曲がありますが、その中で、記憶に残る作詞家・作曲家コンビっていたりしますか?
山口百恵さんの阿木燿子/宇崎竜童の夫婦コンビ
こちらは姉弟の来生えつこ/来生たかおコンビ
おニャン子といえば秋元康/後藤次利コンビ
夫婦でも姉弟でもない小室みつ子/小室哲哉コンビ
安全地帯なら松井五郎/玉置浩二コンビ など
皆さん、数々のヒット曲を生み出してきたコンビですが、私にとって印象的だったコンビが、作詞:康珍化さんと作曲:林哲司さんのコンビです。
今回は、このコンビの名曲を振り返りながら、康珍化さんの歌詞について ”note” していきたいと思います。
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康珍化さんといえば、代表曲「桃色吐息」のように、女心を歌った歌詞に定評がありますが、自分にとっては、男女の別れの場面での感情の機微を描く作詞家さんというイメージなのです。
その康珍化さんが描く歌詞が、林哲司さんの洒落たメロディに乗ると、ちょっと大人が香る名曲となるのです。
「悲しい色やね」上田正樹(1982年10月)
別れを切り出された直後の女性の心情を描いた曲。
この頃は、まだ、このコンビを知らない時代だったのですが、後で知って、康珍化さんが大阪弁の歌詞を?!みたいに驚いたのです。
ひとつ間違えば演歌なんですが、上田正樹さんの声ともマッチして忘れ難い曲になってるんですよね。
ちなみに途中の歌詞で ~おれのこと好きか? あんた聞くけど...♪ って箇所があって、この歌は女性目線の曲だったことに気づくのです。
『悲しみがとまらない』杏里(1983年11月)
この曲の歌詞もけっこうインパクトがあって忘れられないですね。
友だちの女性に自分の彼氏を会わせたら、二人が恋に落ちちゃった!って歌なのですが、ほんと悲し過ぎる... こんなシチュエーションの心情を曲にしてしまうなんて、なんか大人ってエグい... と、少年は感じていたのです。
さて、続いてアイドル編です。
「北ウイング」中森明菜(1984年1月)
様々な作曲家の曲を歌った中森明菜さんでしたが、康珍化/林哲司コンビ作品もあります。
この歌は、別れた後も、やっぱり気持ちを忘れられない女性が、外国にいる彼を追いかけて空港から飛び立っていく!という場面を歌ったものです。
後先考えず行動に出てしまった彼女の恋愛の行方は想像するしかないのですが、外国まで追いかけていくその感情を、康珍化は”愛の不思議な力”と解釈しているのです。
おそらく、自分が康珍化/林哲司コンビを意識し始めたのは、この曲だったのです。
「天国にいちばん近い島」原田知世(1984年10月)
今回、紹介する歌の中で、唯一、別れの曲ではありません。
映画の主題歌となったこの曲と、原田知世さんの前作「愛情物語」の主題歌が康珍化/林哲司コンビでした。
幸せなはずなんですが、何か寂しさを感じてしまう曲なのです。
「もう逢えないかもしれない」菊池桃子(1985年9月)
実は、菊池桃子さんの曲のほとんどを手掛けているのが林哲司さんなのですが、作詞の方では秋元康さんとのコンビが多いんです。
そんな中、一曲だけ康珍化さんとコンビを組んだのが、この曲でした。
恋愛にも発展していない二人だけど、別れの時が近づいてきている。
もう逢えないかもしれない... そんな心情を歌ったこの曲は、ただの可愛いだけの歌ではないのです。
余談ですが、菊池桃子さんのアルバムは、ほぼ林哲司色で構成されていて、もはや林哲司 feat 菊池桃子といった風情のアルバムだったのです。
近年のシティポップブームの中で、菊池桃子さんの歌が人気になっているのもその事情からなのです。
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さて、ここまでは女性目線の歌ばかりを紹介してきましたが、康珍化の男性目線の歌ももちろんあります。
歌っていた代表が ”杉山清貴&オメガトライブ” です。
”杉山清貴&オメガトライブ” は、2年ちょっとの短い活動期間の中で、7枚のシングルと5枚のアルバムを残しているのですが、そのシングル全てが康珍化/林哲司コンビなのです。
1「SUMMER SUSPICION」
2 「ASPHALT LADY」
3 「君のハートはマリンブルー」
4 「RIVERSIDE HOTEL」
5 「ふたりの夏物語」
6 「サイレンスがいっぱい」
7「ガラスのPALM TREE」
曲数でいえば、秋元先生作詞の曲の方が多いと思うのですが、シングル曲は一貫してこのコンビでした。
基本的に別れの曲や、男女の恋の駆け引き、誘惑といった、大人の世界観の歌が多かったのですが、その中でも、シングル曲のほとんどが、ふられる場面の心情の歌だったりするんですよね~。
でも、ちょっとマイナーコードのメロディには、そんな歌詞がぴったりなのです。
「SUMMER SUSPICION」(1984年4月)
「RIVERSIDE HOTEL」(1984年10月)
「サイレンスがいっぱい」(1985年5月)
なんとなく、アーティストっていうには歌謡曲寄りだし、バンドというには自作曲が少ないし、ちょっと立ち位置が微妙なグループだったのですが、「和製AORのプロジェクト」だったと考えると、しっくりきたりするんですよね。
その中心を担っていたのが康珍化/林哲司コンビだったのです。
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リリース時期を確認してもらえば、この康珍化/林哲司コンビが強い輝きを放ったのが1982~1985年あたりの期間というのが分かると思います。
80年代後半からは、このコンビが見られなくなっていったのは残念なのですが、康珍化/林哲司コンビは間違いなくゴールデン☆コンビだったのです。
(作詞家関係note)
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