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昔の"名邦題"洋画劇場

 洋画の ”邦題” に関する記事です。

 毎年、様々な映画が公開(配信)されてるんで、数多くの ”邦題” を目にしますよね。
 まあ、近年は単純に原題をカタカナに変換したタイトルや、カタカナ+日本の副題みたいな組み合わせが多くて、総じて無難なタイトルに落ち着いてる感じがします。
 カタカナにすれば、基本、原題通りなんで可もなく不可もなくなんでしょうが、第95回アカデミー賞で作品賞を受賞した『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』みたいな長いやつは、忠実といえど、私みたいなオジサンには辛いんです。(最初から『エブエブ』で良かったんじゃないかと…)
 昨年観た映画には『ヒューマニスト・ヴァンパイア・シーキング・コンセンティング・スーサイダル・パーソン』てのがあったんですが…

アリアーヌ・ルイ・セーズ監督

 多分、"あえて" このタイトルにしたんだと思うし、その意図も分かるんですが、さすがに…  長すぎですよね(読むだけでも辛いっす)w

 私の統計では、原題をそのままカタカナで表記する ”邦題” が多くなってきたのは1970年代以降のことで、それまでは、出来るだけ日本語で ”邦題” が付けられていたように思います。
 それはまだまだ英語に馴染みがない時代、もちろん配信やレンタルビデオは無く、映画は映画館でしか観れなかった時代、多分、日本公開作品数も限られていた時代、 そんな時代は、”邦題” が今より重要な役割を担っていただろうと想像できます。
 多分、いろいろ練られた部分があったに違いないのです。

 今回はそんな時代、'50~'60年代中心の、いわゆる昔の映画の ”邦題” について、その工夫を楽しんでいきたいと思います。(セレクトは私の好みなんでご了承ください!)


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◎ ”邦題” の分類について

 今回のnoteでは、原題からの ”邦題” について、翻訳方法を踏まえながら以下のように分類し、「カタカナ変換」以外の区分について紹介していきます。

「カタカナ変換」
 原題の読みをそのままカタカナにしたもの
 ※例『スターウォーズ』『ジュラシックパーク』等
「直訳」
 原題を直接日本語に訳したもの
「意訳」
 原題を基に、一部、映画の内容を踏まえて変更したり、加除してるもの
「超訳」
 原題に基づかず、映画の内容を踏まえて付けられたもの


◎言い回しの妙が光る「直訳」邦題

 当然、”邦題” を付ける際は「直訳」が基本なんですよね。
 ただ、「直訳」であっても日本語の使い方によっては、なかなか印象的なタイトルになってたりするのです。

『風と共に去りぬ』

 原題:Gone with the Wind 1939年(米)

 ミッチェルの長編小説のタイトルが、そのまま使われていて、純粋な「映画の ”邦題” 」ではないんですが、この ”邦題” も名作だと思います。
 原題は『Gone with the Wind』なので、ほぼ「直訳」なんですが、最後の「去りぬ」という言い回しが何とも印象的なのです。
 何もかも失った主人公スカーレットの孤独を表したタイトルなんですが、「風と共に去った」や「風と共に過ぎ去った」ではなく「去り」ですからね~、この "" 一文字が光るのです。


『紳士は金髪がお好き』

 原題:Gentlemen Prefer Blondes 1953年(米)

 ハワード・ホークス監督のマリリン・モンロー映画です。
 ちょっと軽い感じの ”邦題” なんですが、ほぼ「直訳」なんです。
 ただ「紳士は金髪好き」や「紳士の好みは金髪」ではなく、語尾を「~お好き」という言い回ししてるがいいんですよね。
 いわゆる "紳士上位時代" をいじってる感じがするんです。
 モンロー映画としては1959年の『お熱いのがお好き』で意匠が繰り返されています。



 そして、この区分で、私がもっとも好きなのは、ラストが印象的過ぎたあの映画です。


『太陽がいっぱい』

 原題:Plein Soleil 1960年(仏・伊)

 監督:ルネ・クレマン、主演:アラン・ドロン、音楽: ニーノ・ロータのサスペンス映画の傑作です。
 原作では、主人公の名前をとって『The Talented Mr. Ripley』(才能のあるリプリー)だったのですが、ルネ・クレマンはこの映画に『Plein Soleil』というタイトルを付けています。
 それをシンプルに直訳した『太陽がいっぱい』という ”邦題” も印象的で、このタイトルだったからこそ、ここまで愛される映画になったんだと思うんですよね。



◎作品を彩る「意訳」邦題

 原題の「直訳」が味気なかったりすると、作品の雰囲気を強調するような装飾が施されたりするのがこの区分の特徴です。

『麗しのサブリナ』

 原題:Sabrina 1954年(米)

 オードリー・ヘップバーンの『ローマの休日』に続く主演作品です。
 原題の『Sabrinaサブリナ』は、ヘップバーン演じる女性の名前というシンプルなタイトルなんですが、”邦題” では『麗しの___』が付加されています。
 劇中、パリ留学から戻ったサブリナが素敵な女性に成長していたことから "麗しい" が付けられたんでしょうが、実は留学前のヘップバーンも十分麗しいのです。


『小さな恋のメロディ』

 原題:Melody(S.W.A.L.K ) 1971年(英)

 原題の『Melodyメロディ』は、主役のひとりである少女の名前です。
  ”邦題” では『小さな恋の___』が付け加えられているんですが、文脈的には恋する少年少女の間を流れるメロディと読めますよね。
 多分、これはビージーズの主題歌を意識したものだと思うのです。
 英や米では全然ヒットしなかったらしいんですが、日本でヒットした理由の一つは、きっと、この ”邦題” にあったと思うんです。



 さて、この区分で私が好きな ”邦題” は、口笛によるマーチが有名なあの映画です。


『戦場にかける橋』

 原題:The Bridge on The River Kwai 1957年(英・米)

 デヴィッド・リーン監督のアカデミー賞作品『戦場にかける橋』です。
 原題は『The Bridge on The River Kwai』なんで、「クワイ河の橋」や「クワイ河鉄橋」と訳すところを『戦場にかける__』と、大幅に「意訳」しています。
 この部分には、劇中の "鉄橋建設にかける思い" であったり、"敵味方を超えて芽生えた心の橋" が重ねられていて、本当に秀逸な ”邦題” だと思うのです。



◎原題とまったく違う「超訳」邦題

 原題に基づかない区分の邦題です。
 今回の記事では中心のテーマになります。

 基づかない要因の一つは、原題が長い場合です。
 この頃は比較的コンパクトなタイトルが好まれていて、原題を訳しても長すぎる時は、端折ったり、まったく違った "邦題" が付けられています。
 極端な例を紹介すると

『素晴らしきヒコーキ野郎』

原題:Those Magnificent Men in Their Flying Machines or How I Flew from London to Paris in 25 Hours and 11 Minutes 1965年(英)

 原題、長い、長い、長すぎですよね…
 ちなみに、ロバート・レッドフォード主演の1975年の映画『華麗なるヒコーキ野郎』(原題: The Great Waldo Pepper)と関連はありません。



 また、原題に基づかない要因のもう一つは、直訳・意訳しても伝わりにくい場合です。
 その際は、作品内容を体現するような「超訳」”邦題” が付けられるわけで、この ”邦題” が一番センスを求められるのは間違いないし、多分、良し悪し(好き嫌い)が明確に出るのもこの区分です。


現金げんなまに体を張れ』

 原題:The Killing 1956年(米)

 最初に紹介するのは、スタンリー・キューブリック監督の記念すべき初監督作品『現金げんなまに体を張れ』です。
 けっこうB級感の漂うタイトルですよね。
 原題は『The Killing』なんで、本来ならば「獲物」と訳すべきとこを、あえて "現金" を入れ、さらに "現なま" と読ませることで "犯罪" の匂いを強くしています。
 多分、よくある活劇の一本!って感じで付けられたと思うんですが、まさかキューブリックがあんな監督になっていくとは、この時は予想できてなかったんでしょうね。


『翼よ! あれが巴里の灯だ』

 原題:The Spirit of St. Louis 1957年(米)

 リンドバーグの歴史的な大西洋横断飛行を描くジェームズ・ステュアート主演の映画です。
 原題の『The Spirit of St. Louis』というのはリンドバーグの愛機 "スピリットオブセントルイス号" のことです。
 現代なら絶対「カタカナ変換」だったと思うんですが、そういう時代ではなかったんですよね。
 代わってリンドバーグの有名な台詞が "邦題" として使われています。
 ただ、「超訳」であったとしても、原題の持つ愛機との "相棒感" は、この ”邦題” にも生かされてると思うんです。


『007は殺しの番号』

 原題:Dr. No 1962年(英)

 ショーン・コネリー主演の<007シリーズ>第一弾ですね。
 原題は『Dr. Noドクターノオ』なんですが、これ、ボンドが戦う敵キャラの名前なんです。
 タイトルが原題のままだと、知らない人はコネリーが演じてるのがノオ博士だと勘違いしちゃいそうです。
 日本公開時、すでに続編が制作されていたシリーズ一作目ということもあって、"007" という主人公のコードナンバーと "殺しのライセンス" を持つ秘密諜報員をイメージさせるこのタイトルになったんでしょうね。
 その工夫は成功して、現在に至るまで、シリーズの邦題には必ず "007" が付けられるようになってます。


『俺たちに明日はない』

 原題:Bonnie and Clyde 1967年(米)

 原題の『Bonnie and Clydeボニーとクライド』は実在の強盗コンビの名前で、この映画は史実がベースになってるのです。
 ボニーとクライドは、多分、日本ではさほど知られてはなかったのでしょうね。
 アメリカン・ニューシネマの先駆け的な作品で、強烈なクライマックスシーンが有名なんですが、この "明日はない" という、結末を予感させる "邦題" は、間違いなくそのシーンに影響されたものだと思います。

 ちなみに、同じくアメリカン・ニューシネマの傑作、ポール・ニューマンとロバート・レッドフォード主演の『明日に向って撃て!』(1969)も、この『俺たちに明日はない』に倣って付けられたものだと思います。
 原題も同じように『Butch Cassidy and the Sundance Kid(ブッチ・キャシディとサンダンス・キッド)』というコンビ名なんですよね。



 "原題とまったく違う「超訳」邦題" を紹介してるんですが、一応、より分かりやすく映画の雰囲気を伝えようとする努力が感じられると思うんですがどうでしょう。

 最後に、この「超訳」区分で、私の好きな ”邦題” を紹介しようと思ったんですが、絞り切れず…  結局、3作品になってしまいました。(なんかフランス映画に偏ってもいます… )


『大人は判ってくれない』

 原題:Les Quatre Cents Coups 1959年(仏)

 フランソワ・トリュフォー監督の初長編映画です。
 原題の『Les Quatre Cents Coups』を直訳すると「400回の打撃」になるらしいんですが、ひいては「無分別な生活」という意味になる慣用句らしいです。
 400回も罰を受けるような生活ってことなんでしょうね。
 ただ、その原題に付けられた『大人は判ってくれない』というタイトルによって、観客側も、ハッとして、たれたような気持ちになるんです。


『勝手にしやがれ』

 原題:À bout de souffle 1960年(仏)

 トリュフォーに続き、ジャン=リュック・ゴダールの初長編映画『勝手にしやがれ』なんですが、ヌーヴェルヴァーグといえばこの作品です。
 原題の『À bout de souffle』は直訳すると「息切れ」となるらしいのですが、これはこれでゴダールっぽいですよね。
 その原題に対して『勝手にしやがれ』ですからね~、付けた方も思い切ってますね~、なんかパンクな感じで、インパクト抜群なのです。


『若者のすべて』

 原題:Rocco e i suoi fratelli  1960年(伊・仏)

 最後は『太陽がいっぱい』と同じ1960年に制作され、主演:アラン・ドロン、音楽:ニーノ・ロータ、でも監督はルキノ・ヴィスコンティの『若者のすべて』です。
 ある5人兄弟を軸に話が進むんですが、アラン・ドロンが演じたのが3男のロッコで、原題の『Rocco e i suoi fratelli』は直訳すれば「ロッコとその兄弟」となります。
 兄弟の性格はそれぞれ違っていて、事件を起こす者もいたり、対立したり、慈しみあったりと、まあ、様々なんです。
 それらを総じて『若者のすべて』とした "邦題" は素晴らしいですよね。(兄弟感はスルーなんですよw)
 その後、『若者のすべて』というタイトルは、テレビドラマに使われたり、フジファブリックの曲名に使われたりと、長く愛されてるんです。


 一応、3作品を紹介したんですが、これらの "邦題" は、作品全体の印象から、感覚的に付けられたもののように感じられるんですよね。
 その感性に魅かれたのかなって思います。


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 以上、"邦題" について語ってきたのですが、その良し悪し(好き嫌い)は人それぞれだと思いますんで、あくまで私的なセレクトと了承ください。
 また、皆さんの好きな "邦題" を教えてもらえると嬉しいです。


 自分的に好きな "邦題" を中心に紹介してきたのですが、もちろん、昔の映画にも、何だかな~というタイトルはいっぱいあるんです。
 最後の最後になるんですが、そんないただけない "邦題" を紹介するとともに、私なりに新しい "邦題" を付けてみたいと思います。


◎いただけない"邦題" と "新邦題" 案


『泥棒成金』

 原題:To Catch a Thief 1955年(米)

 まずは、アルフレッド・ヒッチコック監督、ケーリー・グラントとグレース・ケリー主演のロマンティック・スリラーからです。
 この『泥棒成金』って "邦題" はスマートさが無くてあまり好きになれなかったんですよね。
 まあ、宝石泥棒を引退したケーリー・グラントが、悠々自適に暮らしてるとこから付けたんだと思うんですが、ケーリー・グラントは "成金" っぽくないんです。
 簡単に物語を紹介すると、 "猫" と呼ばれた元宝石泥棒の主人公の前に、自分の手口を真似た偽の "猫" が現れたことから、その偽の "猫" を捕えるためにあの手この手の罠をかけてくって感じです。
 原題の『To Catch a Thief』は、この内容に合わせて、慣用句の "Set a thief to catch a thief"(日本では "蛇の道は蛇" の意)の一部を使ってるわけなんです。
 なので、その点を踏まえて新しい「意訳」"邦題" を付けると..

『私を捕らえる方法』や『私の捕らえ方』

 なんて、いかがでしょうか。


『昼下りの情事』

 原題:Love in the Afternoon 1957年(米)

 ビリー・ワイルダー監督がパリを舞台に、オードリー・ヘップバーンとゲイリー・クーパー主演で描いたロマンティック・コメディです。
 この『昼下りの情事』ってタイトルに違和感を感じた人は多いと思うんですよね。
 タイトルだけ見ると、不倫ドロドロって感じなんですが、決して、主演の二人が情事ばっかしてるような映画ではありません。
 むしろヘップバーンは、夜に会うことを良しとしないんですよね。
 だから、原題は『Love in the Afternoon』となってるわけなんです。
 その点を考慮して新しい "邦題" を付けるなら、若干、「意訳」を入れて

『昼下がりの約束』

 『昼下りの情事』というタイトルと比較するとかなりインパクト弱めですが、映画の内容には即してると思うんです。い、いかがでしょう…

(結論) 
 自分で考えてみると、"邦題" って難しいですね…
 文句言ってすみません💦


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