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カラフルでピッチカートな世界

 pizzicato world

ピッチカート(伊: pizzicato)とは、本来は弓でひく弦楽器の弦を指ではじくことによって音を出す演奏技法である。


 今回は、私の ”note” に、時々、登場していたピチカート・ファイヴを主役にして ”note” していきたいと思います。
 

 ピチカート・ファイヴは、小西康陽さん、高浪慶太郎さん、鴨宮諒さん、佐々木麻美子さんの4人で、1984年に結成されたバンドです。
 その後、鴨宮さんと佐々木さんが脱退し、1988年~1990年は、ボーカルにオリジナルラヴの田島貴男さんを迎えて3人体制となります。
 さらに、1990年からはボーカルが野宮真貴さんに変わり、1994年には高浪さんが脱退し、以降、解散する2001年まで2人体制です。
 バンド名にファイヴが付きますが、結成から解散まで1度も5人になったことはないんですよね。そのせいか、あまり”バンド”って感じはしなくて、特に野宮さんが加入してからは”ユニット”と呼んだ方がしっくりくる感じです。


CBSソニーレコード時代

 その昔、「ミュージックトマトJAPAN」という、PV中心の音楽深夜番組があったのですが、そこで、時々PVが流れてたんですよね。
 なんの曲だったか、全く記憶にないんですが、CBSソニー系のアーティストがよく登場していた番組だったので、メジャーデビューアルバム「カップルズ」からの選曲だと思うのです....

 無名のバンドだったけど、それなりに流れてて、制作側からは期待されてたんじゃないかと思うんですよね。ただ、それまでバンドと言えば”ロック”だった自分には、正直、あまり響かなかったんですよね。


 自分が初めて購入したピチカート・ファイヴのCDがこちら

『月面軟着陸』(1990年5月)

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 ピチカートファイヴは、たくさんのCDを出してるのですが、このCDはリミックス盤で、それまでの曲をアレンジしたり再構成した盤です。
 初代ボーカルの佐々木麻美子さんと、二代目の田島貴男さんの曲が聴けるので、ベスト盤みたいな感じなんですが、途中、実況放送やインタビューみたいなのも入っていて面白いアルバムでした。

 ただ、購入した理由は、このデザインなんですよね。いわゆる”ジャケ買い”ってやつだったのです。
 歌詞とかが書いてるライナーノーツがですね、小さいんですよね、普通のより...。中のCDが見えてるという、この特異なデザインが新鮮で、当時、美術を勉強していた自分に刺さった感じでした。

 聴いてみると、田島貴男さんのソウルフルなボーカルに魅かれて、時期を遡って購入したのが

『Bellissima!』(1988年9月)

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 このCDジャケットが、また洒落てたんですよね。
 田島さん作の「惑星」や、高浪さん作の「ワールドスタンダード」、小西さん作の「これは恋ではない」など、三人の個性が絶妙にブレンドされた傑作アルバムだと思うのですが、インタビューとかで読むと、小西さん的には「真面目過ぎた」と、ちょっと自戒してたりしてますね。



日本コロンビア時代

 三代目ボーカルとして、野宮真貴さんを迎えて、心機一転、レコード会社を移籍して活動を始めるのですが、この野宮真貴さんの自由で変幻自在のビジュアルイメージが、ピチカートファイヴの世界観にピッタリはまったんでしょうね。

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 いわゆる「ハッピー」で「キャッチ―」で、そして「グルーヴィー」な、ピチカートサウンドが完成したのは、野宮真貴さんのビジュアルが加わったおかげと言っても過言じゃないと思うんですよね。

 レコード会社も変わって、解き放たれたように、月刊企画みたいなノリで、4月連続リリースなんかをやってたのですが、私にとって、ピチカートマニアになるきっかけが、この企画が決定打になったような気がします。


「最新型のピチカート・ファイヴ」(1991年6月)

最新型

「超音速のピチカート・ファイヴ」(1991年7月)

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「レディメイドのピチカート・ファイヴ」
(1991年8月)

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『女性上位時代』(1991年9月)

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 「女性上位時代」以外は、ミニアルバムだったんですが、この連続リリースにはビックリでした。
 ジャケットデザインがまた、どれもファッション誌みたいで素敵だったんですよね~、かっこいいです。
 内容の方も、たとえば「最新型のピチカート・ファイヴ」では、いきなり結婚式のスピーチみたいなのから始まったりするんで、なんか音楽というよりも、いろんなイメージを集めて集めて作ったコラージュ作品みたいな感じだったのです。

 また、「レディメイドのピチカート・ファイヴ」の”レディメイド”は”既製品”を意味する言葉なんですが、そんな言葉をタイトルに使うあたり、小西康陽さんのスタンスが見えると思うんですよね。
 60年代、70年代のファッション、ヨーロッパ映画、フレンチポップスなどなど、既にあるイメージを使いながら、新しいイメージを作り出す。それは、自分が勉強してた美術の分野で言えば、マルセル・デュシャン*1の”レディメイド”のコンセプチュアルアートや、アンディー・ウォーホル*2らのポップアートの感覚に近かったんですよね。
 多分、これがピチカート・ファイヴに魅かれた理由なのです。


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 そして、化粧品のCMソングとしてヒットしたのが「スウィート・ソウル・レヴュー」(1993年4月)
 歌詞の中にあるように、世の中には"スウィート"や"キャッチ―"がたくさんあるのです。

 この曲は、ピチカートファイヴのハッピーなイメージを定着させたと言っていい曲で、春の近づくこの時期に聴きたくなる曲です。
 そして、その後も、ピチカートファイブのリリース攻勢は続いていくのです。


『ボサ・ノヴァ2001』(1993年6月)

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 「スウィート・ソウル・レヴュー」を収録した7thアルバム。
 とってもキャッチ―だったのですが、ジャケットデザインは尖ってました。

『EXPO2001』(1993年11月)

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 リミックス盤で、ミキサーにはテイ・トウワ、トミイエ・サトシさん達が参加してました。


 そして、ピチカートファイヴの代表曲とされる「東京は夜の七時」(1993年12月)は、リオパラリンピック閉会式での東京オリンピックセレモニーでも使用されてたのが印象的でしたね。


 この曲は ”子供向けバラエテ番組『ウゴウゴルーガ2号』”の主題歌だったのですが、こんな企画盤も作られてました。

「ウゴウゴ・ルーガのピチカート・ファイヴ」
(1994年2月)

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 そして、深夜番組の主題歌となった「ハッピー・サッド」(1994年4月)では、変わらぬハッピーを届けてくれてます。
 このPVがまた、グルーヴ感に溢れていて、野宮真貴さんが抜群に可愛かったのです。


 この「ハッピー・サッド」が収録された8thアルバム

『オーヴァードーズ』(1994年10月)

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 このアルバムの直前に、高浪慶太郎さんが脱退し、以降、ピチカートファイヴは2人体制となります。
 楽曲自体、ほぼ小西康陽さんの世界になっているのですが、全てのアルバムの中で、もっとも完成度が高いような気がします。

 そして、3人体制を総括するように出されたベスト盤も、よく聴いた一枚です。

『TYO』(1995年3月)

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 この後も「悲しい歌」や「ベイビィ・ポータブル・ロック」など、たくさんのヒット曲を送り出していくことになるピチカートファイヴなのですが、 バンドの変遷の中では、小西康陽さんと野宮真貴さんとの2人体制が、どの体制よりも長く続くことになるんですよね。

 自分的には、一番、のめり込んで聴いたのは、90年代前半の、小西・高浪・野宮の3人体制時代だったりします。
 やはり、高浪さんが脱退したことの影響なんでしょうか、90年代後半のピチカートは安定感がある分、新しい冒険みたいなものが感じられなくなっていったような気がするのです。

 様々なイメージを吸収して、再構成していくポップアート的な手法は、新たなイメージが加わらないと、結局は自己のイメージを繰り返し再生産していくことになるのです。
 ピチカートファイヴが、90年代後半、様々なアーティストとコラボしていった理由も、そのあたりの事情じゃないかと思うのです。

 ただ、筒美京平さん作の「恋のルール・新しいルール」(1998年1月)とかを聴いてみても、メロディーに筒美さんを多少感じるものの、やっぱりピチカートの世界だったりするんですよね。



 ピチカートファイヴは、世界的にも人気があるし、解散する際には、”元祖渋谷系が終止符を打つ”みたいに、記事が新聞に掲載されてたり、やっぱり、その時代のシンボル的な存在だったんですよね。

 そう考えてみると、サウンドや歌詞だけでなく、デザインやファッションなど、トータルなイメージで作品を作り続けたピチカートファイヴは、やりたいことをやりたいだけ自由にやって、やりつくして終われた幸せなユニットだったのかもしれませんね。

 やっぱ最後まで ”ハッピー” だったのです。


『THE BAND OF 20TH CENTURY』(2019年11月)

 小西康陽さんがアップデートしたベスト盤ですが、今、聴いても、あんまり古びてないんですよね。

 



(脚注)

*1  マルセル・デュシャン
 デュシャンは、20世紀の美術に最も影響を与えた作家の一人と言われているフランス生まれの美術家。普通の男子用小便器に『泉』というタイトルを付けた作品(1917年)など、既成の物をそのまま、あるいは若干手を加えただけのものをオブジェとして提示した「レディ・メイド」を数多く発表した。

*2  アンディー・ウォーホル
 
ウォーホルはアメリカの画家・版画家・芸術家でポップアートの旗手。
 1961年、身近にあったキャンベル・スープの缶やドル紙幣をモチーフにした作品を描きはじめ、大量生産・大量消費社会をテーマとした表現として、ポップアートと呼ばれる潮流を生み出す。



(関連note)

 ピチカートファイヴに欠かすことのできないデザインワークを担当していた信藤三雄さんに関する記事です。
 ぜひご一緒にどうぞ。