アーリー久保田利伸!
early "Kubota Toshinobu"
今回は、R&Bやソウルなど「ブラックミュージック」を取り入れ、後の ”J-POP” に多大な影響を与えたと言われている久保田利伸さんについて ”note” していきたいと思います。
久保田利伸さんといえば「LA・LA・LA LOVE SONG」!
最大のヒット曲なんで、当たり前なんですが、音楽番組で聴く機会も多いですよね。
ただ、この曲は久保田利伸さんがデビューして10年目、1996年のリリースで、活動拠点をアメリカに移した後の曲なんで、それ以前にもいっぱい曲があるんです。
自分たち世代にとっては、特に、1986年のデビュー後、「久保田利伸旋風」が吹いた時代の曲にも思い入れがあるのです。
そこで、今回は「LA・LA・LA LOVE SONG」以前の、初期の久保田利伸さんについて ”note” していきたいと思います。
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今回は、1986年のデビュー時から、ベストアルバム「the BADDEST」がリリースされた1989年あたりまでの3年間を初期として紹介していきます。まだ、髪型も”ツンツン”してた時代です。
デビューシングル「失意のダウンタウン」
1986年6月
当時、深夜枠で放送されていた「ミュージックトマトJAPAN」という番組で、盛んにこの曲のPVが流されていました。
邦楽の新人さんをチェックすることが楽しみだった自分にとっても、かなり気になるPVでした。
が、まあ、自分なんかにもわかる「ブラック」を感じれたわけではなかったんですよね。
自分にとっては、ノリのいいダンサブルで「シティ・ポップ」といった認識だったのです。
ただ、後半、高速ラップみたいなパートがあるんですよね~。
ラップとロックを融合した ”Run-D.M.C.” の「ウォーク・ディス・ウェイ」が、同じ年の8月ですから、そこに、ファンキーの片鱗が見られたと思うのです。
3人組のコーラスグループ ”AMAZONS” も、ちゃんとバックコーラスを務めてますね。
■1st アルバム『SHAKE IT PARADISE』
1986年9月
デビューシングルを収録して発売された1stアルバム!
やっぱり「ブラックミュージック」って感じよりも、当時、一連のCBSソニー系列のアーティストのように、「シティ・ポップ」の流れをくんだ造りになってるような気がしますね。
もちろん、ダンサブルな感じや、ソウルフルなボーカルは聴けるのですが、「ファンキー」な要素は、タイトル曲の「Shake It Paradise」や「To The Party」あたりぐらいでした。
シングルカットはされてないんですが、アルバムの冒頭曲、「流星のサドル」が人気があったのです。
この曲で、音楽番組にも、よく出演してた感じです。
もちろん、この曲も「ミュージックトマトJAPAN」で、よく流れてました。
「流星のサドル」
ちょっと謎なタイトル、印象的なイントロ、アップビートなナンバーで、デビュー曲よりも、こっちの曲の方がシングルっぽかったんですよね。
このリズム感も久保田利伸さんの持ち味です。
掲載してる動画はショートバージョンなので確認できませんが、この曲の後半にも高速ラップやコーラスとの掛け合いみたいな部分があって、そこがムチャクチャ気持ちいいんですよね。
きっと、そこに ”ファンキー” があったのです。
2nd シングル「TIMEシャワーに射たれて」
1986年12月
さてさて、初期の久保田利伸さんを語る上で外すことができないのが、2nd シングルとしてリリースされたこの「TIMEシャワーに射たれて」です。
まず、曲の長さが7分近くあるので、普通のシングル盤には収まり切れず、 "12インチシングル" という規格で発売されたので、いやが上にも期待が高まったのです。
ただ、期待していた曲の感じではなかったんですよね。
聴いてみて驚いたのが、曲の途中に、本格的なラップパートがあったことなのです。
アカペラで始まるのはいいんですが、突然、転調して、ラップのパートが始まるんですよね~。
さらに転調して ”Bメロ”、”サビ” となっていくんですが、基本、メロディを愛する自分としては、当時、このラップパートに馴染めなかったのです。
まさか2ndシングルでこれなの!?って感じで、個人的には「流星のサドル」みたいなビートの効いたやつを期待していた分、ちょっと期待外れに終わったのです。
この曲の "偉大さ" が分かるのは、もう少し後になってからなんですよね... でも、あんまりセールスが伸びなかったという話なので、同じような思いを持った人も多かったのかもしれませんね。
今、思えば、早すぎた作品だったのでしょう。
3rd シングル「GODDESS 〜新しい女神〜」
1987年2月
「TIMEシャワーに射たれて」とは違って、かなりキャッチ―に作られた3rd シングルで、CMソングにも使われてました。
キャッチ―ないい曲で、当時は安心して聴けてたんですが、後になってみるとあまり引っ掛かりがないようにも感じます。
それだけ「TIMEシャワーに射たれて」のインパクトが強かったのでしょうね。
■2nd アルバム『GROOVIN'』
1987年4月
1stアルバムから半年ほどのスパン(早い!)でリリースされた2nd アルバム。
1stアルバムのタイトルには ”シェイクイット~”、そして、2nd アルバムでは ”グルーヴィン” ですから、たしかに「ブラックミュージック」テイストが意識されてたんでしょうね。
早いスパンでリリースされたのは嬉しいのですが、シングル曲が入ってなかったんですよね~。
「TIMEシャワー」も「GODDESS」も入ってないんです。
初期の久保田利伸さん特徴のひとつは、アルバムにシングルが収録されないってことなんですが、早いスパンでアルバムをリリースできるほど、曲はたくさんあったんでしょうね。
4th シングル「Cry On Your Smile」
1987年10月
緒形拳さん主演の映画主題歌となったバラード。
2ndアルバム以降、久しぶりの新譜がバラードでした。(久保田利伸さんのバラードがいいんですよね~※後述参照)
この曲のあたりから、旋風が吹き始めた感じがします。
5th シングル「You were mine」
1988年2月
そして、大ブレイクを果たしたのが、ドラマ「君の瞳を逮捕する!」の主題歌となった、この「You were mine」でした。
アップテンポなナンバーで、ドラマ共々大人気だったんですよね。
思い起こせば、これも、いわゆる月9ドラマの主題歌ですね。
「LA・LA・LA LOVE SONG」がリリースされるまでは、久保田利伸さんと言えば、この「You were mine」だったと思います。
ただ、キャッチ―な曲になった分、当時の久保田利伸さんのブラック志向とは違ってたのかもしれませんね。
伸びのあるボーカルはパワフルですが ”ファンキー” とはちょっと違う感じなのです。
■3rd アルバム『Such A Funky Thang!』
1988年9月
相変わらずヒットシングルが収録されない3rdアルバム。
でも、すごくヒットしました。
そして、ついにタイトルに ”ファンキー” が登場です。
それまでのシティ・ポップの流れから、大きく「ブラックミュージック」全開になっていったのがこのアルバムだと思います。
心なしか、久保田利伸さん自身も黒くなっていったような記憶が...
このアルバムでシティ・ポップ路線のファンをふるい落としながら、自分らしい音楽を追求し始めた!
そんな感じのするアルバムだったのです。
「Dance If You Want It」
なんとなく黒くなってきてると思いませんか?
■ベストアルバム『the BADDEST』
1989年10月
これまで、アルバムに収録されてこなかったシングル曲が入ったベストアルバムです。
全編、ニューリミックスされて、一部の歌い直しを、あの ”ペイズリーパークスタジオ” でレコーディングしたというのも話題なりました。
これも大ヒットでしたね~。
まあ、待望のベスト盤みたいな感じだったので、巻き起こっていた久保田利伸旋風の頂点が、このベストアルバムだったと思います。
◎初期のラブバラード3傑
久保田利伸さんの歌唱力が遺憾なく発揮されているのは、やっぱり ”ラブバラード” だと思うんですよね。
大学時代、友人たちとのカラオケの際に、歌が上手な人(ここ、大切w)が歌うバラードとして、人気だったのが久保田利伸さんのこの曲たちなのです。
1番人気が、1stアルバムに収録されていた、叶わない切ない恋を歌った「Missing」、続いて、4th シングルだった「Cry On Your Smile」、そして、3rdアルバムの収録曲「Indigo Waltz」あたりが人気でした。
「Missing」や「Indigo Waltz」はシングルカットされたわけではないのですが、PVなんかが作られて人気の高い曲でした。
歌が上手な友人たちにとっては、久保田利伸さんのバラードに挑戦したくなるものがあるんでしょうね。
自分なんかはとてもとてもなんですが、よく選曲されていたのを憶えてるのです。
「Missing」
「Cry On Your Smile」*
「Indigo Waltz」
3曲のPVを並べてみると、映像のトーンも似てますね~。
他にも、人気のあるバラードはたくさんあって、ダンサブルでグルーヴィーなナンバーもいいのですが、やはり、こういったラブバラードが、久保田利伸さんの人気を支えていたのです。
◎デビュー前参加作品
さて、最後に紹介するのは、デビュー前に参加した作品について。
自分の敬愛するラテンジャズピアニスト、故・松岡直也さんの1984年のアルバム『LONG FOR THE EAST』の収録曲「ザ・ラテンマン」にボーカルとして参加しているんです。
「THE LATINMAN」松岡直也
1984年
この頃、すでに、すごいボーカリストがいるってことは話題になっていたんです。
他にも、楽曲提供した田原俊彦さんの「It's BAD」なんかも評判になったりして、デビュー前から久保田利伸さんの名前を聞くことがあったんですよね、今、思えば...
一般の人というよりも、プロの皆さんの間で認知されている存在、それだけで、久保田利伸さんのすごさが感じられるのです。
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今日では、日本を代表する ”R&Bシンガー” として、揺るぎない存在だと思うのですが、初期の久保田利伸さんを追いかけてみると、やっぱりポピュラリティ(大衆性)と、自身の音楽志向の間には揺れがあるように感じます。
やっぱり、アーティストさんたちにとって、ポピュラリティと自分の方向性を両立させることって、すごく難しい時があるんでしょうね。
ミリオンを記録したベストアルバム『the BADDEST』以降の曲でも、いろんな試行錯誤が見受けられます。
吹き荒れた「久保田利伸旋風」の後、アメリカに活動拠点を移すということも、そんな試行錯誤のひとつだったと思うのです。
それでも、これだけのリスナーを獲得しながら「ブラックミュージック」のテイストを根付かせていったのは、すごいことなのです。
特に、後から出てくるアーティストたちのことを考えると、久保田利伸さんの功績は、ほんとに大きいと思うのです。
アメリカに拠点を移して、自分らしく活動する中で「LA・LA・LA LOVE SONG」という曲が生まれたのは、久保田利伸さんや、その功績を確かなものとしたことも、いろんな意味で幸福なことだと思うのです。
ただ、自分としては、やっぱり初期の時代に試行錯誤していた曲たちにもスポットを当てたくなるんですよね。
「LA・LA・LA LOVE SONG」は聴いたことあるけど.... ぐらいの世代の人にも、この初期の久保田利伸さんの曲を聴いてもらえればと思うのです。
「LA・LA・LA LOVE SONG」
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