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愛おしくて哀しい

『意味も知らず歌う恋の歌を、ほめてくれたあの日に』

小学生の時に見た映画の主題歌の、一節である。

初めてこの歌を聞いたとき、文字通り恋の意味なんて分からなかった。

その時と同じように、「愛しい」を「かなしい」とも読むことも知らなかった。

本当のところは違うかもしれないが、少なくともこのころよりは、その意味を分かる気がする。


初めて彼女と口づけを交わしたとき、知らぬ間に涙を流していた。
電気を消した後だったからお互いの表情はわからなかったけれど、私の頬に優しく添えてくれた手に伝わる生温い感触で気づかれていたに違いない。

頬に添えられた手は柔らかく私を包み込んでいたものの、慣れない感覚に戸惑い距離をとろうとする私を一切許そうとはしなかった。

口内にたまった塩辛いそれをのどの奥に押し込んで、やっと唇が離れると

「嫌だった…?」

と小さく聞いてくれた。

「…ううん、嫌じゃない。」

つぶやくような声で、でもはっきりとそう言うと、彼女はまた唇を重ねてくれた。

初めてにしては熱く、激しいキスだったように思う。
息を整える間もなく、何かを必死に確かめるように離れてはまた食らいつき、長く長く、互いの唇を食んだ。


彼女の性格上の特性などもあるが、痛いほど私を縛ろうとする一方で、こちらが心配になるくらい野放しにすることもある。

付き合いたての私は、「彼女」というだけでその存在が手元にあるものだと思っていたが、どうやらそうではないらしい。

存在と言うのは、物理的な躰だけでなく、心も含めてである。
この心というのが厄介であった。


付き合う、結婚するというのは、契約であり、少なからず相手を制限することにもなる。
制限するというのはそこにいくらかの「支配」というニュアンスが含まれているから、付き合った、結婚した時点で、
『あなたは私のもの。私もあなたのもの。』
という「支配、被支配」の関係がお互いにまとわりつく。

相手を想うがゆえに、その関係を認識して「好きにしていいよ」と言ってあげられるほど、自分の魅力に自信がない。
そうなると結果的に契約を利用してさらに相手を縛り付けようとしてしまう。
すると相手が窮屈になって、契約の檻から抜け出そうとしてしまうのである。
そうなると私のように、毎日「大好きだよ」と言う行為さえ、契約の檻を補強しているように見えるかもしれない。


付き合って間もない頃、天気がいい日だった。
彼女が私に言った言葉がある。

「ねえ」

といつもと変わらない口調で私を呼ぶものだから、何も覚悟をしていなかった。

「あなたは男の人も好きになれるでしょ、いわゆる普通の望まれた恋愛ができるんだから、もし他に好きな人ができたら言ってね。」

彼女と比べて圧倒的に恋愛経験が乏しい私には、彼女の言った言葉が私を想って言ったものだとすぐには理解できなかった。

「なんでそんなこと言うの?」

いつの間にかぼろぼろ泣いていた。

突き放されているような気がした。

彼女と一緒ではない光景を、想像したくなかった。

泣いてしまった私を彼女はそっと抱きしめてくれた。

当の私は、なんで彼女が抱きしめてくれるのか、その理由さえも分からなかった。

私、そうなってもすぐに次の相手見つける自信あるから。と得意そうに彼女は言った。

何もかも、意味が分からなかった。


けれど、今は、すこしだけわかる。

彼女は私と付き合ったときから、私を制限する契約の檻さえも取っ払ってくれていたのだ。

私をつなぎとめる首輪も、リードも、何もかも。
私にそれを伝えることで、一生懸命に私を愛してくれていたのだ。
契約を結ぶことで生じる哀しみを、私が理解する前に感じさせないようにしてくれていたのだ。

いつも涼しい顔をしているあなたが私に触れるときに余裕がないのがわかるのは、その指先が震えているから。

想っているがゆえに言えない「愛してる」があるから。

今度は私があなたの哀しい涙をぬぐって、
震える指先に縫うように指を絡めて、
互いの名前を呼びあいながら、その瞬間を感じていよう。

導かれるように唇を重ねたあとの彼女の表情は、心なしかいつもより穏やかであるように思えた。

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