この世界は【私】が見ている夢
↑昨日、前回のnoteを記録し、朝の朗読会が終わって1分後くらいのこと。
Sくんが突如
「葉山に行こう。車で行くけど、君も行く?」
と私に声をかけた。
「もちろん」と返事をして、訳もわからず夫婦で葉山をドライブすることになった。
私の心がのり子さんの家がある葉山に飛んでいたのを、彼が無意識下でキャッチしたかのようだった。
本当に自分の心を反映されすぎて驚愕した。
ドライブの中で、私はSくんに伝えた。
「私の人生の目的は世界平和なんだ。肉体レベルで桃子がそれを実現することは不可能だけど、霊的な意味では達成できる。そのために目覚めたいと思っている。それを自分に許可してあげたい」
彼は「ふーん」という感じだったが、私は「言いたいことは言えたので、まあよし」とその時は思った。
しおさい公園など、あちこち散策してから楽しく帰宅した。
夕方、みっちゃんが校外学習で近所の神社で夏祭りに参加していたので、夫婦でみっちゃんを迎えに行くことになった。
すると、櫓の下の空間で、ヒップホップのダンスチームがノリのいい曲で踊っていた。
何気なしに三人でボーッと眺めていたとき、Sくんが言った。
「選曲がいいね。わしこの歌大好き。世界平和の曲なんだよ」
私は知らなかったが、それはThe Black Eyed Peasの「Where is the love? 」という曲だった。
スマホで調べたら、2001年9月11日の同時多発テロの後に作られた曲だという。争いのない世界になるには、自分の中にある愛が必要だという内容だった。
ちょっと長いので、特に心に響いたフレーズのみ引用し和訳します。
あまりに私のマインドとピッタリすぎる歌詞で、またも驚愕した。
(そして、私一人ではこの曲を通しての聖霊からのメッセージには気づかなかった。)
🌈
一夜明けて翌日の夜、風呂上がりにSくんと今後の桃子のお小遣いについて話す機会があった。
「心の支えになっている勉強会の費用が払えなくなるのは困る。条件付けで経済制裁されている気がする。桃子はタイへ行かず、日本に残って稼いだほうがいいような気がしている」と私から切り出した。
家族と話すときも、キャラに対して話しかけるのではなく、「ハートからハートへ話そう」「神の子から神の子にコミュニケーションをするつもりでいよう」と、決めていた。
実は、その日の朝に以下のように日記に記録していた。
「桃子が恐れているのは、Sから私の本当にやりたいことを否定されること。親というシンボルを使って桃子の人生に投影していた暴力的な精神的支配力を、彼の存在に対しても【私】が演技するよう力を与えてしまうことだ。
Sに演技をさせているのが【私】であるなら、【私】は彼に神の子をサポートする献身的な天使の役割を配役させてやりたい。彼に憎まれ役から降板してもらう。
聖霊。私は家族とコミュニケーションを取る際、本音からだけ、ハートからハートへと、【私】から【私】へと話します。恐怖や防衛からではなく、愛の目的から話せるようにしてください。
外側ではなく、内側の【私】自身へと接することが望みです。世界を自分自身として愛することができるようにしてください。聖霊、お願いします」
Sくんはしばらく「お金のことについて何度も言われてうんざり」と怒ったような態度だったけれど、被害者意識からではなく、祈りながら心を開いて聖霊に委ねて彼の言葉を聞いていた。
すると、以前彼自身が話していた
「桃子が無職のうちは、お小遣いはひと月1万円。もし合宿などで大きな額のお金が必要になったら、立て替えてあげるけれど、その分向こう1年間桃子はお小遣いは無し」
というアイディアについて、
「わしはそんなことは言うとらん!そんな非人道的なことは言うとらんけん!」と言い始めた。
(風呂に入っていたみっちゃんが「いいや、パパはママにそう話していたよ」と風呂場からツッコミを入れていた。これも私の心の反映)
その後、夫婦でソファに座って落ち着いてその話をしたところ、彼はホワイトボードに我が家の今後の経済状況について書きながら、
・桃子の今後のお小遣いは1万円ではない
・無職でも、3万円になるかもしれないし4万円になるかもしれない
(具体的な金額は今は決められない、というのも余剰金がどれくらい出るかが不明だから、タイで暮らしてみて、どれくらい家賃や子供の学費がかかり補助がもらえるか実際にやってみた結果次第だから)
・お小遣いから立て替えるというのは、1万円から徴収する話ではなく、3万円とか4万円とかの中から引くということだから、桃子のお小遣いはゼロにはならない
・桃子が一人で日本に残って働くより、タイでオンラインで日本の人相手に仕事するなどの方が圧倒的にコスパが良い(配偶者手当があり、帯同の配偶者がローカルスタッフの給与以上を現地で稼がなければ毎月組織から支給される決まり)
と順序立ててとても丁寧に説明してくれた。
私はキツネにつままれたような思いで話を聞いていた。
私は確かに数日前、
「もし合宿費用などで大きな金額を使うなら立て替えで貸す形を取る。その分これから先1年間はお小遣いはゼロ。無条件ではお金は出さない」と言われたのを記憶していたからだ。
でも、ここで「いいや、あんたはこう言ってた!」と自分の知覚の正しさを言い張ったところで何も得はない(というか、間違っていた方が確実に得をする)ので、自分の記憶違いを素直に謝った。
彼が(そして外側にあるように見える世界が)私の思考と信念をこんなにも即時に反映するということを目の当たりにしたので、確かに「私は自分で自分を制限している」「すべては自作自演だ」ということに同意せざるを得ない状況だと、心の一部が冷静に私自身に言っている。
まだ感情面では信じられないというか、追いついていない部分があり、「どういうこと??」と不思議な気持ちになっている。
でも、これはますます、神の子として自覚を深めていくことが本当に必要だ。というのはわかる。
なぜなら、私は私に対して、私が認識している通りに世界に演技させるから。
私は私を幸せにするために、「私は神の子である」という認識を思い出し、それが当然であるとわからせたい。
外側に見えるキャラクターを変えようとか、わからせようという努力の仕方ではなく、ただ神の子として私が在り、相手の奥の神の子を見ようと専心することだけが、求められている。
家族が相手でも、「癒されていない癒し手」の意識から彼らを助けようと接するのではなく「真の共感」へと意識を専心させ、いつ言葉を発するか、いつ誰とどのように関わるかも、聖霊からの一つ一つの合図にただ従うシンプルさの中に留まり続けられますように。
(「とある神秘家との結婚」P112のカースティンみたいに)
私はこれまで、一緒に暮らす家族を赦しの課題を与えてくれる対象として認識していたけれど、彼らと「神の子としてつながること」には本当には意識的ではなかった。母・妻として接することを選んできた。
奇跡講座仲間、Mighty companionsだけじゃない。
毎日一緒にいる家族が相手でも、ご近所さんやみっちゃんの学校の先生や実家の親族が相手でも、スーパーのレジ打ちの人であっても、例外なく神の子であると見たい。一人も例外を残したくない。
聖霊、どうか導いてください!
私の意欲を増してください!
このnoteを書き上げた後、Youtubeを見たら、「Where is the Love?」という同じテーマで歌っているSam Garrettの曲「Viva La Revolution」が目についた。
革命、変革。
確かにここ最近の動きは革命的な感じがする。
初め、この投稿のタイトル画像は下記だったが、インスピレーションを感じて、世界平和と書いた書道の写真に差し替えすることにした
「世界平和」と書いていたつもりだったが、80枚近く書き続けていたのは「神のみ在る」という意味の「唯有神」だった。
神のみ在る=世界平和
ということなんだろうか
書きながら踊っていたらしく、顔を上げたらみっちゃんが笑ってこちらを見ていた。
筆は活字と比較し情報量がとても多い
沈黙はもっと情報量が多い
祈りは全的な沈黙
神との全的な親交
全てを明け渡せますように
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