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つよく、やさしく、しなやか
アルバム1音目の威力。
前触れなく襲い掛かかる高音の「こ」。
初めて買ったクリープハイプのアルバム「一つになれないなら、せめて二つだけでいよう」の1曲目「2LDK」の衝撃と同じだった。脳天を直接びりびりと攻撃してくるような、あのとき感じた唐突で素直な驚きと衝撃。
今回アルバムを聴くにあたり、ティザーは一切聞かなかった。知識や先入観なくピュアな状態で向き合いたかったから。緊張しながら再生ボタンを押したその刹那、1音目を聞いた1秒にも満たない一瞬で、「知ってる」と「知らない」の相反する2つが絡み合ってとんでもなくワクワクした。たった1音で、昔も今も私はクリープハイプのアルバム世界へ引きずり込まれる。
1.ままごと
アルバムは、大人と子供の間を行き来する不安定なバランスが楽しくて可愛い曲から始まる。根底にあるのは大人同士が目線を下げてじゃれあっているムードなのに「唇はまだ早いからここにね」という歌詞で表現される無垢で想定外のギャップに、なんだかこっちが照れてしまう。ままごとは本来無邪気なものでありながら母性や疑似の暗喩でもあり、そういった多面性のあるテーマをスピーディーなテンポに乗せ歌いきる技にクリープハイプらしさが詰まっているなと思う。どこまで歌詞を理解しているか分からないけれど、ちょっぴり早熟な10歳の娘に歌わせてみたらすごく収まりが良くて、女はこんなに早く女になるんだと妙に納得したりもした。
2.人と人と人と人
リリースされたときからとても好きな曲。今まで夜の散歩曲と言えば「ナイトオンザプラネット」が筆頭選手だったのだけど、最近は仕事帰りの夜道に、もうちょっとオープンな気持ちで歩きたいときにヘビーローテーションしている。うしろでずっとウロウロしているようなギターは意識しなければ単なるBGMだけど、気にし始めるのとそこに無数に散らばっている感じが「人混み」を彷彿させる。本来人混みは鬱陶しいものなのに、「人と人と人と人が」のパートのちょっとずつ音が上がっていくメロディーは、他人に少しずつ歩み寄るような、距離を詰めていく音に聞こえて、赤の他人だらけの人混みでも誰かに何かを訴えかけているような印象が強くあった。尾崎さんの「人間」への深い興味が根底にあることを感じる曲。
3.青梅
印象的なイントロもさることながら、「恋は幻 青いうめぼし」の韻の踏み方と爽やかな印象が素晴らしくて、このサビに曲のエッセンスがすべて詰まっていると思う。梅干しを想像したときに口の中がぎゅーーーっとなるあの感じと、好きな人を思い浮かべたときに胸がぎゅーーーっとなるあの感じ、全然違うのに似ていて、誰もが知っている遠くて近いこの2つの感覚をこんなに短い文字数と的確な音で、ついでに季節感で包んで表現する尾崎世界観にとにかく脱帽してしまう。青梅にインスパイアされて、リリースされた年の5月に初めて自宅で青梅を漬けて梅シロップを作り、その後毎年の恒例行事なっている甘酸っぱい思い出もあったりします。それで毎年思い出せるのが好き。
4.生レバ
印象的なベースライン、タイトなドラム、不気味なギターラインに閉鎖的な空気感。聞いたら誰もが黙り込んでしまうような、強い圧力を感じる曲。サビ部分の歌詞について尾崎さんは「特に意味はない」と言っていたけど、そう言われても歌詞について考察してしまいたくなるのが太客の性。何度か聞くうちに私はサビが「誰誰誰誰誰誰誰誰誰誰誰誰誰誰だ」と言っているように聞こえてきた。それは「生レバ」を食べることを禁じたのは誰なのか、言葉狩りにダイバーシティにハラスメントに、とにかく何でも禁止したがるこの大きなうねりは誰から、何処から来るのかを問うているように思えたからだ。だけどそういった気味の悪い風潮を曲の中でぶっ殺してくれるから、私はクリープハイプが好き。
5.I
空音とのコラボのときかは比べるとタイトル、歌詞、音数がごっそりと削ぎ落とされた一方で「好きで好きで好きで好きで」とシンプルでストレートな歌詞が加わったことで、ものすごく輪郭がくっきりした曲に生まれ変わっている。空音バージョンで登場する二人は想いを一度は成就させているであろうに対して、クリープハイプの主人公はきっと想いを伝えてすらいない。途中でさりげなく出てくる「は?」が、想いを伝えたときに好きな人から言われるかもしれない一言なんじゃないかと解釈すると、悲しくて切なくでやるせなくない。だから間奏のギターは悲しい叫びを絞り出して泣いているように聞こえる。尾崎さんは「これは同性愛の歌だ」とはっきり言っていたが、想いを伝えることがこんなにも難しくて不安で苦しい恋があるのだと、音楽の力をもってそほ寂しさを思い知らされた。
6.インタビュー
成功の喜びが記憶に残る人と、失敗や負けの悔しさが記憶に残る人どちらもいると思うが、クリープハイプは間違いなく後者だと思う。一般的に「インタビュー」は成功を収めた人の体験談を聞くものだと思うが、この曲から漂ってくるのは諦観にも似た悲しくささくれた気持ちだ。インタビューを受けるような成功者であっても実は分からないことや苦しみや失敗が多くあって、むしろそっちが大半を占めていて、成功なんてそのうちのほんのほんの一欠片なのだということを知らされてしまう。いや「バレさせられた」と言うべきか。優しいドラムの音から始まり、手放しで喜べない天邪鬼な感情に、カオナシさんのゆったりと寄添うようなコーラスが温かいのに物悲しい。
7.べつに有名人でもないのに
自分を卑下するような歌詞とタイトルに対して、ピアノの優しいシンプルな音で始まるイントロに一瞬頭が混乱する。このタイトル × クリープハイプは絶対にメディアを滅茶苦茶にぶん殴る歌だろうと想像しニヤニヤしていたら、「インタビュー」に続いてゆったりと穏やかメロディーに驚いた。クリープハイプのアルバム中盤で2曲バラードが続くのって珍しいんじゃないだろうか。他人の事情に首を突っ込んでくる奴はどこにだっている。有名人じゃなくても火祭りにあうご時世、もしかするとこの穏やかさと余裕たっぷりなメロディーは、そんなお節介野郎たちに対する嫌味なのかもしれないとすら思った。
8.星にでも願ってろ
カオナシさんの曲は、言葉の乗せかたや音の選び方にどこか童謡を感じさせるものがある。尾崎さんの曲とは全然違うのに、最終的にクリープハイプになっているからいつも楽しい。毒が混ざっているのは2人とも同じだけど、その毒の種類は全く違う。即効性が高く少量で致死量に至る尾崎さんのストレートな毒に対して、カオナシさんの毒はじわじわ、ゆっくり知らず知らずに効いてくる類だ。そのおどろおどろしさが魅力なのだが、今回の歌詞は特に狂気と若気が前面に出ているから歌詞カードだけ読んでいるとぞわりとする。なのに実は自分自身にも思い当たる感情だったりするから、図らずも自身の醜い部分を覗き見てしまったようで少し居心地が悪い。「あの娘が幸せで居ますように でも孤独に寝てますように」そう願う相手が私にも1人いる。あの人は今、幸せに過ごしているのかな。
9.dmrks
タイトルと歌詞カードから想像するイメージと、実際の曲とのギャップが一番大きかった曲。歌詞カードを埋め尽くす無数の「こんなことなら」というネガティブの羅列とは対照的に、ピコピコと可愛い音から始まる。曲中もギターがぴょんぴょんとあちこちで飛び跳ねていてどこかコミカルだ。歌詞は間違いなくエゴサの話だと思うが、サブスクの台頭で音楽がどんどんと「消費されるもの」になる中、そうなればなるほど消費者が「自分たちが選ぶ側だ」と錯覚し、どんどん声が大きくなってきている。SNSにはそんな輩の「見なきゃ良かったよ」な言葉たちが散らばっているのを理解していながらも、ダラダラ見ることをやめられない。そんなエゴサの負の魔力と虚構の世界を、最小限の言葉数で表現する技巧的な曲。
10.喉仏
ホーンを交えた賑やかなイントロで名曲「栞」を思い出して、反射的にうきうきしてしまう。これも仏教を思わせる「仏」がつくタイトルからは想像できない軽やかで明るい曲だ。今回タイトルから想像すると曲のイメージはいい意味で裏切られてばかりいる。
一方でMVは、微動だにしないファンをどうにか盛り上げようとメンバーが奮闘するストーリー仕立て。一見コミカルな内容だが、私自身ライブは基本的に一人で行くし手をあげたり騒いだりするのが得意じゃないので、このMVからは明確なメッセージを感じたし、本当に胸が打たれた。むず痒いところ、何ならちょっと隠しているところにひょいと手を伸ばしてくるこういうところ、本当にずるい。このときすでに、クリープハイプは「一人の“おまえ”に対して歌っている」というはっきりした意思表示をしていたのだなとアルバムを聴いてあらためて思う。それにしても、生きている人間の喉仏を「喉」と「仏」に分解して歌にする感性を持つバンドマンはきっと尾崎世界観だけだろうな。
11.本屋の
惰性で買ってる雑誌についてた付録が捨てられない、という感覚があるのは自分たち世代までなのではないかと思う。こういう歌詞に触れると、クリープハイプと同じ世代で良かったなと感じて若いファンにちょっぴりマウントを取ってしまう。今の雑誌は惰性で買うには贅沢品になってしまい、軽い気持ちで買えるものじゃなくなってしまった。マニアックな情報に美しい写真たち、特別なコラボや記事や豪華なおまけ。お金を払わないと手に入らない情報の集合体だ。そして今、本屋も似た状況になりつつあるかもしれない。数が減り、本はどんどん高額になり、惰性であてなくぶらぶらするには贅沢すぎる場所になろうとしているような気がして寂しい。
楽器のことはあまり分からないけれど、Aメロで聞こえる拓さんの最小限のハイハットとカオナシさんのシンプルなベース、少しだけ早口な尾崎さんの歌、そこに入ってくる小川さんのギター。4人の演奏している様子が想像できて嬉しい。
12.センチメンタルママ
幼かった私にとって、いつも気丈な母親が高熱を出すというのはかなり異常事態だったし、父親が急に頼りなくなっておろおろしていたのをよく覚えている。しかしいざ自分が母親になって高熱を出してみると、実は案外心地いいものだから面白い。だって仕事も家事も育児もすべて放棄できるのだ。もちろん熱は辛いから「何も見たくない」という気持ちになるし、より強く生死を意識するということは共感できるのだが、どこかで高熱を楽しんでしまっている自分もいる。もしかすると発熱への耐性やスタンスは、男女差が大きいのかもしれない。少なくとも私にとって高熱は日常のあらゆる雑務から逃れるための免罪符だ。おかんが悪寒の中ほくそ笑んでいる事実は、お棺の中まで持っていきます。
13.もうおしまいだよさようなら
歌謡曲感のあるメロディとリズムは、大好きな名曲「大丈夫」を感じさせる。要所要所で炸裂する尾崎さんの巻き舌もすごく愛しい。巻き舌から繰り出させる「らりるれろ」はとてもセクシーだ。この曲を聴いてなぜか3年だけ住んでいた大阪の街と商店街のことを思い出した。エネルギーに溢れ謎の明るい自信に満ちている大阪のおばちゃんたち。「もうおしまいだよ」という終わりを告げる歌にも関わらず、曲全体が明るくカラッとしているからだろうか。「泣かないで笑ってくれ、会いたくなったらまたおいで」という包容力も頼りがいがあって心強い。アルバムの中で一番短いこの曲は、潔くて優しくも男前で粋で、実はすごく格好いい曲。
14.あと5秒
20歳の頃、「そっちのスキップ」をされたことがある。付き合っていると思っていた6歳上の相手には同棲中の彼女がいたのだ。単純な驚きのあとからやってくる絶望と自分の不甲斐なさと悔しさ。浮気されたことのある人なら誰もが思い当たる感覚と、現代人なら誰もが知っている動画サイトでよく見る忌々しい情景の掛け合わせ。尾崎世界観だなぁと強く思う。
イントロで楽器が少しずつ増えていく様子に起承転結の「起」を感じ、このあとどんなストーリーが展開していくのかと期待が高まる。MVもまるで短い映画のように予測不可能な起承転結が待っていて見応え抜群。サビや間奏では4人の音がたくさん鳴っていて、バンドだなと思う。特に終始安心感のあるドラムが好きな曲。
15.天の声
徒歩3秒の距離。お互い見えているし目も合っている。声は届く。だけど手は届きそうで届かない。それがこの曲の距離感であり、クリープハイプと私の、人と人の距離感の本質だ。
2021年の「クリープハイプの日」で「ナイトオンザプラネット」を聞いたとき、今までのクリープハイプと全然違う音と、ハンドマイクで力抜いたように歌いだした尾崎さんの姿にものすごく驚いた。こんな風に新次元に飛び込んでいくクリープハイプの心意気と努力に胸を撃たれ、それに比べて変化を恐れて長年同じ場所にいる自分が恥ずかしくなった。クリープハイプは進化している。そう確信できて、ファンでいる自分が誇らしかった。
そして今度はKアリーナで初めて「天の声」を聴いた。またあんな風に驚く日が来るなんて思っていなかった。完全に急所を突かれた。「君は一人だけど 俺も一人だよって」と言われた瞬間、全身にぶわっと鳥肌が立って視界が霞んだ。ああなんてクリープハイプなんだ。正直で誠実。その瞬間、私はKアリーナを埋め尽くす2万分の1ではなく、絶対的な1人になった。小さいけど、確実にそこにある個。そう思える程あまりに自分に向けて歌われていた。世の中の様々な音楽で「私のための歌だ」という感想はありふれているが、それはいわゆる「あるある」を歌っている曲であり、単に「この気持ち知ってる」という共感からくる「私のため」だ。でも「天の声」は違う。クリープハイプから個人への明確なメッセージであり距離と関係の定義。明らかに「私」に向けて歌っている。細かい理由はもうこれ以上言語化できない。しばらく様々な感想を書いては消していただがもう無理だった。私がクリープハイプを見つけたように、クリープハイプも私を見つけてくれた。私、自惚れてもいいのかも。あの瞬間に感じたちょっと恥ずかしいけど温かい気持ち、それでもう十分だと思った。
誰もが本当は一人だ。そんなこと知ってる。でも、それをこんなにも優しく、絶大な説得力とちょっとした自虐を持ってちゃんと教えてくれるからクリープハイプが好きだ。そして、私は自分が一人であることを、母だろうが妻だろうと結局は個であることを確かめるために、何度だってライブに行くのだ。
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15曲を聞き終え、なんとかこのアルバムを一言で表そうとしたとき、ポジティブな意味で「自覚」のアルバムだと思った。最後の「天の声」があまりにも印象的なのもあると思うのだが、15年という長い年月の間に色々な出来事があり、立ち止まったり乗り越えたりしたからこそたどり着いた場所。そこは山頂だったりゴールだったりするわけじゃなく、「こんなところに居たのかやっと見つけたよ」というくらい、あまりにもシンプルで身近で、もしかしたら拍子抜けしてしまうかもしれないけど、15年の誠実の先にあった狭い路地を抜けたような場所。その道程を振り返り咀嚼し自覚する現在地。
私も今年、社会人になって15年目だった。夢に溢れていた新入社員の頃から辛いこと悔しいこと嬉しいこと、色んなことがあったけど、近頃になってようやく今の自分を肯定できるようになった。この人生、そんなに悪いもんじゃないんじゃないかって。
ままごとをする幼い子供のように壮大な夢を見るわけでもなく、あの頃は生レバを食べられてよかったよな、なんて過去にしがみつく懐古厨でもない。身の丈を知り、自分たちのできることとやりたいことのバランスを知り、それを音楽にする。なんてシンプル。15年同じメンバーで音を鳴らし、この境地に辿り着いた事実と、それを目撃できた自分の幸福さ。しかもそれが私とクリープパイプの、日々の積み重ねという日常の延長に存在している。なんて素晴らしい出来事なんだろう。
尾崎世界観という人はメタ認知の鬼だ。それは理解しているつもりだったが、短編映画「天の声」で描かれた客観性は私の認識をはるかに超えていた。なぜそこまでして自身を客観視するのだろうか、客観力が高いとすごく一人ぼっちで辛くはないのだろうか、と思っていたけれど馬鹿げた杞憂だった。だってクリープハイプはこんなにも全てを自覚していて、つよく、やさしく、しなやかだ。
15周年おめでとうございます。そして4人で今日までずっと素晴らしい音楽を届けてくれてありがとうございます。私、クリープハイプを見つけてよかった。