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「夜にしがみついて、朝で溶かして」ライナーノーツ

 クリープハイプ、約3年ぶりのアルバム。嬉しい。
 今回のアルバムは「料理」で始まり「こんなに悲しいのに腹が減る」で終わることから読み取れるように、「食べる」ということが一つのテーマになっているように思う。食べることはとても本能的な行為だが、食で満たされるのは「お腹が膨れる」という肉体的満足と「心が満たされる」という精神的満足の2つがある。クリープハイプの作品の素晴らしさも、耳や体という肉体で感じる「メロディ」と、読んで心が揺さぶられるという「歌詞」の2つから成ると思う。精神と肉体。抽象と具体。2つの間を行ったり来たりしながら余白が少しずつ埋められていき、好きが増す。

 ライナーノーツというとつい一方的な批評になってしまい、しかも楽器のことは全く詳しくないしなんだか色々もどかしいのだが、クリープハイプへの、このアルバム「夜にしがみついて、朝で溶かして」への、敬意と愛が伝わればいいなと思います。

01. 料理
 アルバムを聞くときは1曲目が何かわくわく予想するものだが、クリープハイプのアルバムが「愛と平和」から始まるなんて、そんなこと予想できただろか?度肝を抜かれたのもつかの間、その愛と平和を「煮しめて」しまう歌詞に、やっぱりね、こうでなくっちゃとニヤニヤする。クリープハイプのすごさは、裏切りを更なる裏切りで超えてくるところだ。その後も言葉遊びやダブルミーニングのオンパレード、もはや歌詞だけで物語として成立しているショートショートのよう。「ざっくり」「おぞましい」など言葉だけだとちょっと不穏で生々しい歌詞を、音楽やメロディが見事に中和して、聞きごたえがありながらもさっぱり格好いい曲になっている。尾崎世界観が書く、時にグロテスクな歌詞にとってメロディは最高の調味料だ。

02.ポリコ
 今回のアルバムの中で、アルバム発売前と後で最も印象が変わった曲。アルバムで聞く前は、可愛いアニメのエンディング曲ということもあり、カジュアルでキャッチ―な曲だと思っていたが、アルバムでフルで聞くともっと切実な曲に思えた。この曲で一番好きなのは「優しくしたいだけなのにできない」と「優しくされたいだけなのにされない」の対比だ。私自身、天邪鬼で素直になれない性質なのでまずはとにかく共感。と同時に「優しくしたい」が1番の歌詞、「優しくされたい」が2番の歌詞になっていることに大きな意味を感じた。人は誰だって優しくされたいし甘やかされたい。だけどそのためにはまず、自分が優しくしないといけない。そう言われたように思ったのだ。ぽり子よ、大事なことを教えてくれてありがとう。明日こそ人に優しくしたいから私の汚れも落としておくれ。

03.二人の間
 クリープハイプ史上、最も歌詞そのものに意味がない曲かもしれない。だからこそ、メロディと一緒になったときに歌詞だけではわからなかった曲の世界が広がって、新しい発見があった。この「二人」の関係性が表現された間の取り方、リズムや音の感覚、楽器の雰囲気など、歌詞の余白がメロディや楽器で補完されていくような。まさに「音以上気持ち未満の」、歌詞があまりにも最低限でだからこそ「二人」の関係性を聞き手が勝手に想像できるのも楽しい。歌詞のシンプルさや潔さは、遊び心があって「アルバム曲」といった感じが嬉しい一曲。

04.四季
 ドコドコと心地よく鳴るドラムの音から始まるどこか牧歌的で、ピュアな曲。外を歩きながら聞くのが最高に心地よく、ついついドラムのリズムに歩幅を合わせてしまう。四季折々の様子が街の景色の移り変わりで表現されているのかと思いきや、よくよく聞くとやっぱりこの曲でも「人との関係性」の中で全てが表現されている。リズムが変わっていくのが楽しくて、一度聞き終わってもまた最初からもう一度聞きたくなってしまう(実際にMVはそのように意図されているように思える)。言語化するのが難しいのだけれど、とにかく「純粋さ」や「まっすぐさ」「素直さ」を感じる、私にとって可愛らしい曲。曲の中に春夏秋冬があるけれど、私は春の「どっか行きたい」の切実さと、少し甘えたような歌い方が大好きです。

05.愛す
 「ブス」。女性なら多分誰でも1度くらいは言われたことのある言葉。少なくとも私は言われたことあがる。しかも大好きだった人に。その人は本当に不器用で子供みたいに無邪気な人だった。初めて2人で飲みに行った夜、酔っぱらって「短足のくせに!」とか「田舎者が!」とかくだらない罵り合いでゲラゲラ笑っていた。そのときに「うるせーブス!」と言われたのだ。私はこの一言を聞いたとき、彼が自分に心を許してくれている、そして本当はブスだと思っていないんだ、ということが伝わってきてとても嬉しくむず痒く思ったのを覚えている。誰かを傷つけるのはちょっと格好いい、そんな風に思っていた若かりし頃もあったけれど、すっかり大人になり、いつの間にか誰かを傷つけるのも誰かに傷つけられるのもすごく怖くなった。だけど、「愛す」と書いて「ブス」、このスリリングな愛情表現が楽しめる大人になれていてよかったと思う。アルバムを通して聴く「愛す」は前曲「四季」の素直さの余韻を引きずっていて、意地悪さが一層抜けてただひたすら優しい。

06.しょうもな
 「馬鹿だなってよく使うけど それもう古いって知ってた」。5曲目「愛す」を身勝手な正義感で批判してきた奴らへのカウンター攻撃から始まる、大好きなクリープハイプ、王道ど真ん中。別にロックナンバーがいいとか昔の曲がいいとか、そんなことを言うつもりはなくて、ただただ単純に、疾走感のあるクリープハイプの曲はひたすらにカッコいいなと思う。「言葉に追いつかれないスピードで ほんとしょうもないただの音で」の部分が本当に秀逸で、音楽をつくり歌詞を書き小説を書く尾崎世界観が言うからこその説得力がたまらない。歌詞のリズム、スピード感が最初から最後までこんなに格好よくて気持ちいいのに、「意味のないこの音」と言い切ってしまう潔さ。言葉と音楽にずっとずっと向き合ってきたからこそ生まれた歌詞でありメロディだと思う。何かをぶん投げるような、ちょっと乱暴な歌い方も好き。この曲がかかると一切を放り出して走り出したくなってしまうような、とにかく開放的で大好きな一曲。

07.一生に一度愛してるよ
 これは、ファンへのラブソングであり挑戦状だ。歌詞の一部分を切り取って読むと、どう見ても「もう心が離れていってしまった恋人やファン」を描いているように見えるのに、曲全体を通して聴くとどういうわけか、ラブソングに聞こえてくる奇妙かつ巧妙な曲。こんな捻くれたラブレターをくれるのはクリープハイプしかいない。「このままあたしを安心させて」そんな風に言えるのは、クリープハイプが「このまま」でいる気なんてさらさらないということの表れのようだ。ラブソングだと思って安心していると、最後の「死ぬまで一生愛されていると思ってたよ」の「思ってたよ」のちょっとおどけた歌い方は「愛の標識」のそれとは全く異なっていて、ファンは自分たちが試されていることを知る。単なるラブソングでもなく、ファンとそしてクリープハイプ自身への挑戦状のように思えた。

08.ニガツノナミダ
 前半と後半で曲の内容も印象も全然違う一曲。前半のCMソングがあるからこそ、後半の皮肉がこれでもかというほど効いている。初めてフルバージョンを聞いたときは「そうきたか!」としてやられた感に悔しさすら感じてしまった。こういう「どんでん返し」があるからクリープハイプの曲を聞くのをやめられない。「『しばられるな』にしばられてる」は、大人だったら誰しも感じることがあるし、一方で社会のシステムに守られていることも分かっているから「制約にくるまって眠る」のがときに心地よかったりする。一筋縄ではいかない世間の生き方を、現代の用語と皮肉たっぷりに描いた風刺が刺さりまくったとてもモダンな曲。

09.ナイトオンザプラネット
 アルバムの真ん中でキラキラと光る、宝石のような曲。「夜にしがみついて、朝で溶かして」という印象的かつクリープハイプ全開の歌いだし。
 初めてこの曲を聞いたのは「クリープハイプの日」だった。今までと全く違う聞いたことのない音、だけど一音一音がとても丁寧な感じから始まって(そのときはギターだと思わなかった)、ハンドマイクでゆらゆらと歌う尾崎世界観を見てものすごくびっくりしたのをすごく覚えている。同時に、こんな風に新しい次元に飛び込んで行くクリープハイプの心意気や努力に胸を撃たれ、なんだか泣きそうになってしまった。私はメンバーと同世代だが、日々の暮らしはすっかりパターン化され、新しい発想や努力するエネルギーはなかった。きっと、時代の流れや変化に対して諦めのようなものもあったと思う。この曲を聞いて、すごく勇気をもらったし、いつだってもがき進化しようとするクリープハイプを心から尊敬した。
 いつの間にかママになってて、本当の自分ややりたいことが分からなくなってしまうような心許ない夜でも、この優しくキラキラした曲があれば、いつでも自分自身に帰ってこられる。目をつむってもずっとあのライブの日のミラーボールのように光っている。そんな大切な曲。

10.しらす
 ナイトオンザプラネットで自分の精神世界と優しく向き合ったあとにやってくる、底知れぬ長谷川カオナシワールド。そのまましらすの大群の渦に飲み込まれてしまうかのような、妙な恐ろしさ、仄暗さみたいなものを感じる。尾崎世界観はいつだって人と向き合っていて人を愛し人を恐れている一方、長谷川カオナシはよく自然への畏怖を表現しているように思う。形のないもの、抽象的なものに感謝し畏敬の念を表現する独特の感性は、この曲でいつもに増して際立っている。途中の「残しちゃならね」以下を尾崎世界観が歌っている部分は、声の高さも相まって、まるで神の声が遠くから聞こえてくるかのよう。「食べる」という同じモチーフでこんなに毛色の違う曲が混ざっているなんで、クリープハイプは本当に底知れぬバンドである。

11.なんか出てきちゃってる
 これぞアルバムならではの曲!配信サービスの普及でアルバムを最初から最後までじっくり通して聴く機会がめっきり減ってしまった今、普通に過ごしていたらこういった実験的な曲には出会えない。たった2行の歌詞と、不思議な会話のような、歌詞カードに一切明記されていない独白。「だって俺とお前の関係性があるんだから、それは許されるよな?」これは「愛す」(ブス)のことを揶揄しているのだろうか、とくすりと邪推しながら聞いてしまう。独白は歌詞カードに書かれていないからこそ、集中して聞かないと理解できないという遊び心。アルバムをしっかりと聞いた者にしか味わえない構造が楽しい。曲調も新しいようで、なんだか昭和のトレンディドラマみたいな空気も感じて、CDを買っては歌詞カードとプレーヤーに張りついていた昭和世代の私にとって、とても愉快な曲だった。

12.キケンナアソビ
 「この道をまっすぐいけば帰れるから」にこの2人の微妙な距離感と現状が表現されていて、さすがだなと思う。別れ際、「駅まで送るほどじゃないけど大体の帰り道は教えてあとはサヨナラ」、という文字通りの受け取り方もできるが、「お互いが深入りする前にこの道をまっすぐ引き返して元の場所に戻りなさい」という牽制にも聞こえる。歌詞は全体的にエロが散りばめれているけれど、本当はすごくやりきれなくて切実な気持ちが苦しい。イントロの印象的な大正琴やちょっと不穏なギター、なんだか冷たいドラムの音が、都会的でソリッドなビジネスホテルを思わせる切れ味の鋭い曲。後半の「夢みたい」のコーラスが上下に動くところが綺麗で格好よくてすごく好きです。

13.モノマネ
 人と人の関係性は、出会った瞬間は五分五分のバランスで表面上大体は釣り合っている。なのに時間が経つにつれてそのバランスがちょっとずつ崩れていき、自分でも知らないうちに天秤がどちらかに大きく傾いてしまっていて、気づいたときにはもう元には戻せない。そんな自分ではどうしようもない無力さと虚しさを感じる曲だった。メロディは明るくてリズミカルだし「ひょっとしたらひょっとした」の語感もとても可愛いのに、本当はすごく悲しい。「モノマネ」というおどけた言葉で誤魔化してみるけれど、後悔ばかりでもう元に戻れない。曲の前半ではまるで「モノマネ」をするようにギターの音が追いかけっこをしているのに、気が付くとそれもなくなってしまっているという楽器の演出も本当に憎いなと思う。

14.幽霊失格
 この曲を聴いて、私はアルバム「世界観」のラストを飾る名曲「バンド」 を思い出した。それはきっと「不在の存在」が共通のテーマだからだと思う。「バンド」は歌詞に「消せるということはあるということ」とある通り、楽器の音を一切消すことで逆に「バンド」の存在感を強調しているが、この「幽霊失格」では恋人がいなくなったことで、逆にいたときのことを強く思い出している。楽器の音も、鳴るときと鳴らないときのメリハリが激しい。(ジャン、と一気にバンドの音が鳴る瞬間が本当に格好いい。)幽霊の歌かと思いきや、別れてしまった恋人の歌なのはさすがだと思ったし、やっぱり尾崎世界観は「人」と「人」の関係性の中で生きている人だと強く感じた。

15.こんなに悲しいのに腹が鳴る
 最後にまた「食べる」にまつわる曲。1曲目の「料理」から、ハンバーグに月見蕎麦、チョコ、しらす、とばんばん食事を詰め込んできたわけだが、最後に余韻を感じる時間が用意されているのがとてもいいと思った。食べて食べて、歌詞を読み曲を聴いてすっかり満足したはずなのに「食べたい食べたい何か食べたい」とまだ貪欲さを見せ、ただの余韻で終わらないのはクリープハイプらしいなと思う。「食べる」ことは「生きる」ことに直結しているけれど、お腹が満たされても、心が満たされないことがある。そんな「肉体が満たされること」と「精神が満たされること」をテーマにしたアルバムの締めくくりにふさわしい、壮大だけど切実なラストソングは映画のエンドロールのように、じっくりとアルバムを噛みしめる時間をくれる曲だった。

 全15曲を通じて感じたのは、「人と人の関係性」の表現の素晴らしさだった。どの曲も2人の登場人物がいて、その2人の微妙な関係が歌われている。「料理」で現在進行形の2人、「モノマネ」で長年付き合っていて別れた2人もいれば、「キケンナアソビ」で一夜限りの2人、「二人の間」のように恋人ではない2人もいる。それぞれの2人が持つ空気や感覚を疑似体験できる曲たちは、自分では上手く言葉にできない、でも確かに感じたことのある想いを表現している。すごく緻密なのに、リスナーが想像する余白が十分にあり、そのバランスが絶妙だ。クリープハイプの曲たちは、「人と人の関係性を表す形容詞」になりうることを、このアルバムであらためて強く感じた。私はクリープハイプといつまでも「しょうもな」な関係でいたいと思うし、「一生に一度愛してるよ」な関係でいたい。そしてその関係性を確かめるためにアルバムを聞き、ライブへ行き続ける。

#ことばのおべんきょう

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