【本気のポルトガル語】葡語の形容詞が名詞の前に付いたり後に付いたりする件(両葡語共通)
ポルトガル語が英語と大きく異なる特徴として、
形容詞が名詞の後に配置されるのが標準
だという点があるのですが、
これは普遍的なルールではなく、
実は名詞の手前に配置することも可能です。
ただ、
これはランダムに出来ることではなく、
そうすることによる
意味の変化に留意する必要もあります。
この「意味の変化」について説明するのに用いられる用例の
代表格と言えるのがトップ画像の
「homem grande」
伯葡語:【オーメン・グランジ】
欧州葡語:【オーメン・グランドゥ】
(大きな男の人)
と
「grande homem」
伯葡語:【グランジ・オーメン】
欧州葡語:【グランドゥ・オーメン】
(偉大な男の人)
というもので、
これを以て学習者は
「ポルトガル語では
形容詞が名詞の後に配置される場合と
手前に配置される場合があるが、
あとに配置されていれば読んで字の如くの意味、
手前に配置されている場合は
その意味が強調されたり異なる意味になったりする」
と学びます。
でもそれ以降は
さして込み入った説明がなされることもなく、
会話のレッスンではなあなあになってしまったり、
作文で間違えだとみなされれば
入れ替えるよう印を付けられるのみ…
という傾向があるように思えます…。
つまり、
「あとは経験を積め!」ということですかね…。
😅😅😅
そんな中、
昨年だったか
ポルトガル語を学習されている noter さんが
この件に関して
「『homem grande』は『大きい人』、
『grande homem』は『偉大な人』
だとは習ったものの、
形容詞によってはイマイチどうして良いか分からない」
といったことをぼやいていらっしゃいました。
そこで
お節介極まりない Shiomin (苦笑)は、
コメント欄をいくつも費やして
ああでもない、こうでもないと、
一記事分もあろうかと思われる文字数の
御託を並べてしまいました。
そう、まさに
「一記事分もあろうかという文字数」のお節介でしたので、
この際、
そのとき並べた御託を整理して
きちんとした記事にまとめてみようと思います。
❇❇❇
ポルトガル語における形容詞は、
名詞の前に付けたり後に付けたりできるという自由度を活かして
その意味やニュアンスを調節することができます。
そして、その「調節」の内容の最たるものに
「名詞の手前に配置することにより抽象的な意味を持たせる」
というものがあります。
抽象的になるということは、言い換えれば
ポエティック、つまり詩的になるということです。
それが証拠に
ポルトガル語教師が作文を添削していて
名詞と形容詞の順序を入れ替えたくなるのは、
・文の全体のリズムが良くないのに
変にそこだけポエティックになっていて滑稽だから。
・文が複雑で、
他にも主名詞を修飾している要素があるのに、
それらを断ち切るような場所に問題の形容詞があって、
それが邪魔で読み難いから。
といった、
文全体のバランスの問題であることが少なくないのです。
そして
「全体のバランスの問題」であり、
それ故「至って感覚的なもの」であるからこそ
作文など長文の添削の場合には、
詳細な説明はなされずじまいになる…
というわけです…。⤵
❇❇❇
また、
慣用句的な使われ方をするものについても
留意しなければなりません。
例えば、
「É pura água」
【エ・プーラ・アーグァ】
という慣用句があります。
単語を英語にすると、
・ É = It is
(「ser」動詞の三人称単数)
・ pura = pure
(原形は「puro」。「água」が女性形なので女性形になっています。)
・água = water
ですが、
この表現を見聞きして、
「まあ、英語と全く一緒だワ!
『きれいで純度の高い水だ』という意味ね!」
などと思ってはいけません!
というのも、
通常の形容詞の使い方であれば
形容詞が名詞の後に配置されるわけですから、
「água pura」
という順序になりますね。
ということは、
英語の「It is pure water」を
ポルトガル語に訳せと言われたならば、
あくまでも
「É água pura 」
【エ・アーグァ・プーラ】
としなければなりません。
これであれば、
「純粋な水」(つまり、あくまでも水)を表しますが、
形容詞の位置を逆にして
「pura água」と言った途端、
これは水以外のものに対する
「まるで水みたい」
という意味の慣用句になってしまうのです。
さしづめ
|「上善如水」《じょうぜんみずのごとし》といったところでしょうか。笑
「上善如水」はお酒ですから、
「水」ではありませんものね ♪
ただ、この表現は
悪い意味で使われた場合は
「味も素っ気もない」
と訳されることもあるのでご注意下さいね。
❇❇❇
次に
「verdes árvores da Floresta Amazônica」
【ヴェルデス・アルヴォレス・ダ・フロレスタ・アマゾニカ】
(=アマゾンの森林の青々とした木々)
という表現を見てみましょう。
単語の内訳は以下のとおり。
・ verdes: 「緑の」、「青々とした」
(※ verdes は verde の複数形。「木々」が複数だからです。)
・árvores:「木々」
(単数の「木」/「樹木」は「árvore」です。)
・da:「~の~」
(英語の「of」に相当する「de」に、女性形単数の冠詞「a」が
付いたものです。)
・Floresta Amazônica: 「アマゾンの森林」
ここでの形容詞は「verdes」なわけですが、
この順序であるからこそ
「青々としたアマゾンの森林の樹木」
と読めるのであって、
「verde」の順序を変えて
「árvores verdes da Floresta Amazônica」
としたならば、
ナント!
「(アマゾンにはそうそう緑の木なんてないけれど、)
その中の緑色の木々…」
のように読めてしまい兼ねません。
つまり、
「木とは通常緑色だ」と思っているところに
敢えて「緑色の木」と言われても、
形容詞が手前に配置された場合のような
詩的なリズム感が生まれるわけでもなければ、
「なんでそんなことをわざわざ言うの?
緑なんて普通じゃないの!」
という気分になってしまうというわけです。
❇❇❇
次は一つの形容詞が単体で
一つの名詞を修飾しているのではないケースです。
まずはシンプルに
「新しい本」
という語群を見てみましょう。
新しい: 「novo【ノーヴ】」
と
本:「livro【リーヴル】」
を組み合わせると、
標準的な形が「livro novo【リーヴル・ノーヴ】」、
もう一つの形が
「novo livro【ノーヴ・リーヴル】」
となりますね。
ちなみに
これらの語群は、
冠詞を伴って出てくるのが通常で、
「O livro novo...」
とあれば、
「(古い本との対比で)新しい本は、...」
という意味に、
「O novo livro…」
とあれば、
「(既出の)その新しい本は、...」
といったニュアンスになります。
これに対して今度は
「新しいポルトガル語の教科書」
と言おうとしたとしましょう。
これは
日本語の場合でも
文法的なことだけ考えれば、
新しい「ポルトガル語の教科書」
である可能性と
「新しいポルトガル語」の教科書
(ポルトガル語の新語集とか?)
だという可能性が考えられます。
が、
さらにポルトガル語では「教科書」が
「livro didático」
伯葡語:【リーヴル・ジダッチク】
欧州葡語:【リーヴル・ディダッティク】
(=「教育の本」)
という、
「livro」が「didático」に修飾された複合名詞なので、
益々ややこしくなります。
これに
新しい: 「novo【ノーヴ】」
ポルトガル語の:「de português」
伯葡語:【ジ・ポルトゥゲース】
欧州葡語:【ドゥ・ポルトゥゲィシ】
を組み合わせると、
「novo livro didático de português」
となります。
おや、いきなり
形容詞である「novo」が先頭に配置されていますね…。
これはまさしく
先程日本語でも「『新しいポルトガル語』の教科書」と
読めてしまう可能性があると申した件で、
「『ポルトガル語の教科書』が
『livro didático de português』なのなら、
そのあとに『novo』を付けるのがスタンダードなのでしょ?」
と考え
「livro didático de português novo 」
と言ってしまうと、
「novo」が「português」を修飾しているように
見えてしまい、それこそ
「『新しいポルトガル語』の教科書」
と理解され兼ねないのです。
また、
終局的に「novo」が修飾しているのは
「教科書」(livro didático)なのだからと、
「livro didático novo de português 」
と「novo」を挟む形にすることも可能ではあり、
これを和訳しても
「ポルトガル語の新しい教科書」
となる程度のことですから、
さして問題はないのですが、
「(他にも新しい教科書はあれど、)
その中でポルトガル語のものは...」
というニュアンスをも
感じさせるものになってしまいますし、
「livro didático novo de português 」
というのは
ポルトガル語としてのリズムがあまり良くなく、
しかも「de português」が
やや浮いた感じに見えたり聞こえたりしてしまいます。
↑ これはあくまでも言語感覚の問題ですが…。
❇❇❇
最後に
二つの形容詞を並列させた場合を見てみましょう。
「verde e vasto mundo de florestas」
伯: 【ヴェルジ・イ・ヴァストゥ・ムンドゥ・ジ・フロレスタス】
欧: 【ヴェルドゥ・イ・ヴァシトゥ・ムンドゥ・ドゥ・フロレシタシ】
(= 「青く広大な森林の世界」)
単語の内訳は以下のとおりです。
・verde: 「緑の」「青い」
・ e:「&」
・vasto: 「広大な」
・mundo:「世界」
・florestas:「森林」
・mundo de florestas:「森林の世界」
この場合も形容詞 (verde e vasto) が手前に来ていますね。
ここでは「mundo de florestas」(森林の世界)を一つのものとして
捉える必要があります。
「mundo de florestas」では
「de florestas」(森の)が「mundo」(世界)を修飾しているので、
主体となる語は「mundo」(世界)ということになります。
この「mundo de florestas」の後に
「verde e vasto」を付けて
「mundo de florestas verde e vasto」
としたとしたら、
文法的には正しいものの、
「florestas」が複数になっているため語呂が悪く、
ついつい
「verde e vasto」を「verdes e vastas」と
女性形複数の「florestas」に合わせたい衝動にかられますし、
それをしてしまうと、
文法的に正しくなくなってしまいます。
結果、
「verde e vasto」を手前に持ってきて、
「verde e vasto mundo de florestas」
とするのが最も賢明だということになります。
❇❇❇
このように、
文節や文単位で考えると、
必ずしも
「形容詞が名詞の後にくるのが標準」
とは言えないということになります。
そんなこんなで学習者は、
ポルトガル語を学ぶ中のどこかしらで
こういったことによる
躓きを感じることがあるのではないかと思われます。
が、
このような感覚的なものは、
残念ながら結局は
沢山間違えて沢山経験を積むことで
言語感覚を身に付けるしかないのかもしれませんね…。
❇❇❇
今度は最後の最後にオマケの質問です。
似通った2つの文に
「árvores imensas」
【アルヴォレス・イメンサス】
(=「巨大な木々」)
と
「imensas árvores」
【イメンサス・アルヴォレス】
(=「巨大な木々」)
という表現が入っていたとします。
そして、それらの文を日本語に訳さなければなりません。
もちろん語順が違うのですから
それぞれ異なる訳にしなければなりません。
さて、どうしましょう?
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その答えは、
(ま、私の独断と偏見ですが…)
前者はオーソドックスに「巨大な木々」、
後者は
「実に巨大な木々」
とか
「なんとも巨大な木々」
とするなど、
何かプラスアルファの単語や表現を用いて、
強調された表現であることを示すとか、
思い切って
「天にも届くかのような大木」
といった
比喩を用いることにより、
その抽象的な要素などを
表そうとするかもしれません。
いずれにせよ、
正解なんてありませんからね…♪ w
本日もお読み頂き、誠にありがとうございました!
※ 「ポルトガル語の形容詞は化けちゃうんだね!」、否、
「癒しの魔法使い 猫」はこたつぶとんさんの作品です。
は本当に「巨大な木々」だからであることと、この文が環境系の学術的文書の冒頭にあるものだからというだけの理由で、「imensas árvores」としたところで、多少「imensas」は強調されますが、「実に巨大な~」とでも訳そうかなと思わせる程度以上の差は生じません。
教科書たるもの、
そういった点にも触れてほしいと思うのですが、
なかなかこんなクドいことは書かれていないんですよね…。