四月になって、近況報告的な。
無気力ではない。だが圧倒的に放出し続けるほどのエネルギーに満ち溢れているわけでもない。そんな微妙なやる気みたいなものが体の中でムズムズと悶えている。風に煽られて不規則に窓にぶつかる雨音が、手足の冷たさを際立たせている。数時間前に4月になり、インスタグラムのストーリーではかつての友人たちが新しい生活の幕開けを報告している。僕は何か変わっただろうか。
昨日、バイトでゆで卵の殻をひたすらに剥き続けていたとき、ふと自分のこれからを見つめてしまった。ずっとこのままなのかな。なんの関わりもない他人が食べるためのゆで卵を、ほとんどオートマチックに剥き続ける日々から脱却する時は来るのだろうか。働きぶりが認められて今月から時給がアップする。とオーナーに言われてちょっと嬉しいと感じてしまった自分が、恥ずかしくなって勝手に自己嫌悪する。そんな自意識の刃を生み出さないようになって、あっけらかんとできたらどれほどいいだろう。
ずっと感じていた、壁の向こう側にいる人間とこちら側にいる人間の違い。迫ろうと前進する努力ではまだ超えられそうにない、今の僕には理解不能な領域。向こう側に簡単に行けるかどうかは、才能という簡単な言葉で片づけられるものなのか。その違いを久しぶりに知覚してしまったのは、最終まで残ったオーディションでのことだった。
結構な倍率を勝ち抜いて、1ヶ月にわたる稽古をして、少しだけイケるかもしれないと思って迎えた審査最終日の演技披露。自分の出番が早々に終わった後、控室のモニターで1人の少年を見て、ああ、この子は受かるんだなと思った。同時に、自分は受からないんだなと思ってしまった。昨日、不合格を知らせるメールが届いた。
オーディションに落ちる。そんなのは別に大したことじゃないし実際気にもとめていない。そんなの気にしている暇もメンタルのタフさも持ち合わせていない。久々に壁を見てしまったから、すこし見上げすぎて首が痛んだだけだ。先に進みたい欲求に身を任せて動いていられる。やる気とか闘志とか、そういう言葉でこのモチベーションを形容できないし、俳優をやるということをやる気とかで捉えている時点で論外な気もするけど、それは今は置いとかせて。
雨音が止んだ。雨風で家の近くの桜が散っていないことを願う。