呪いの言葉

久しぶりに嘔吐をしてしまい、胃痛のため2日連続休暇をとっています。(寝てるのは大丈夫なのに座ったり立ったりすると気持ち悪くなってしまい、仕事どころではないので)
もしやお腹に…!?と思ったりしましたが、明らかに周期的に違うし、吐いたら吐き気は治まったのでただのストレスだと思います。
ストレスの原因は2つ。1つめは毒親とのトラブル。夫を巻き込んで対応していますが、ここを乗り切れば最後の戦いなのでなんとか終えたいと思っています。
2つめは職場でのコロナ陽性者と濃厚接触者の多発による人手不足。こういう時のプレッシャーにとても弱いのです。1人でも倒れたらピンチだと思うとその時は人一倍元気なのですが、大抵代打が終わると急に体調が悪くなります。

さて、私が毒親育ちに関する知識を得て、色々学び始めて1年が経過しました。
noteを使って生い立ち、思考分析を色々行い、自身の思考整理をしていましたが、コロナ禍で毒親から連絡拒否され、帰省もできず疎遠になったこと、毒親に関する記事を読んだり、noteの有料グループなどのコミュニティで話を聞いたり、聞いてもらっていることで、随分精神状態は改善されてきました。

それでもストレス耐性は低く、色んな状況に遭遇した時、時々胸がつかえることがあります。
過去の回想や思考整理を一定行ったので、今後、毒親から浴びせられた言葉を辛くなった瞬間にここで消化しようかなと思います。

「そんなこと思っているわけがない」

私の両親は周りに比べて高齢なため、いつ死ぬか分からない…生きているうちにあんなこと言わなきゃ良かったと後悔したくない!と幼い頃から思っていました。
それで半ば強迫的に親への感謝の言葉を気持ち悪いほど述べていたのは事実ですが、母は私によくこんな言葉をかけていました。
「私が居なくなれば良いって思ってるんでしょ?早く〇ねば良いって思ってるんでしょ。」
この言葉、運転中とかお茶飲みながらとかそんなレベルで出てきます。
そんなこと思うわけないじゃん、と返答するとタイトルの言葉が返ってきます。
また、「お母さんってこういうところが本当に凄いよね。器用だよね。」と素直に感心してもタイトルの言葉が返ってきます。
料理も口に合うし、お裁縫はプロ級、字も綺麗で、歌も上手いし、頭の回転が早く、近所のおばちゃんたちとの話もなんなくこなす。たぶん運動神経も良さそうで、子どものわたしから見ていると、自分と違って世渡り上手で器用だなと素直に思っていたのです。

私が思って口に出した言葉は全て否定されました。
そんなことないよ、じゃなく、「そんなこと思っているわけがない」と私の思考に立ち入った言い方が1番傷つきました。

「そんなの体調不良のうちに入らない」

幼い頃から腹痛が酷かったり、熱を出したりすることが多かったのですが、母親は持病でマウントをとる人でした。
「痛い…」と訴えると私の頭痛の方が酷い。そんなの痛いうちに入らない。頭じゃなくてお腹で良かったと思え、と言われました。
人並みに看病はしてくれましたが、風邪をひくと怒られ、とにかく病気になるのが怖かったのです。
病気だけでなく、怪我も同様でした。
過保護だったため、大きな怪我をすることはなかったですが、転んで擦りむくレベルの怪我をした時も、「あーそんくらい放ってりゃ治る治る」「大丈夫?🥺って言って欲しいの?そんくらいの怪我でバカバカしい。」「わたしはあんたより小さい時にこんな大怪我をしたんだ」と言われました。
事実そうなのですが、怪我をして痛い気持ちに寄り添われないのが1番痛みを感じていました。

ショッピングモールで転んで泣いて母親に寄り添われている幼い子を見て憎しみを覚えたこともありました。私の口から出るのは「あんなくらいで泣いて。大袈裟な。」
しっかりと母親がコピーされていました。

結婚してから、ガラスの食器を落としたり、包丁で指を切ったりすることがありました。
夫は普段感情豊かな方ではないので、何を考えているか分からない時もありますが、こういう時は他の部屋から走ってきて「大丈夫?怪我はない?」「え?包丁で切ったの?ありゃー、痛そうだね、血が止まらないね、すぐ絆創膏持ってくるからね」
と対応してくれます。
ついつい大袈裟に痛いよーと訴えてしまう自分がいますが、幼少期にそういう言葉をかけてもらえなかったこと、大丈夫?って言って欲しいのかとバカにされたように言われたことを夫に説明して少し大袈裟に看病をしてもらっています笑

幼少期のやり直しは絶対にできないし、夫に自分のパパママ役をしてもらうことはあってはならないと思いますが、家事はちゃんとやってるししっかりしている部分は知ってる。精神的に安定するなら、とおふざけの一環の幼児化を許してもらっています。

自分の思考に大きくバッテンをつけられても、そのバッテンを大人の自分が少しずつ修正テープで消していくことはできるのかもしれません。
正直、自分ひとりでは絶対に無理だと思います。修正テープを貸してくれたり、使い方を教えてくれたり、ここ消えたね!って一緒に喜んでくれたり、思考の修正を助けてくれた多くの人に感謝しています。