思考分析番外編 宗教のこと❷
宗教のこと❶で、疑問に思ったこと3つを挙げました。
なぜ、そう思うようになったのかを整理したいと思います。
①他の宗教=間違い、間違いは正す必要があるという他者への不寛容さ
②新聞の啓蒙と選挙活動の実態
③役職への強要
①
こちらは別の記事でも書いていますが、様々宗教がある世の中で、唯一正しい宗教などないと思うのです。犯罪組織的な宗教は流石に問題がありますが、自身の思想として、人生を豊かにするツールとしての宗教なら何でも良いと思うのです。その人自身が幸せと思うのであれば。
自分たちが正しい、相手は間違っている、だから間違いを正してあげなきゃ!という誤った正義感は宗教観だけでなく、まさに「自分と他人の境界」が分からなくなる原因かと思います。
母はこの理論で自身の考えを押し付けていました。親族に唯一、他宗教の人がいたのですが、その宗教の教えを学ぶ訳でもなく誤っていると決めつけ、「あの宗教はこんな教えだからあの人は子どもができないのよ!宗教の教えで病院にも行かないのよ。おかしいでしょ?わたしは病院にも通ったけど祈って出来たんだもの!」としばしば口にしていました。
その人もどういう人生設計しているか分からないし、今は多様化の時代なんだから人のことをいちいち言わないの!と注意することもありましたが、
「母親に泣いて相談してたらしいのよ?だからやっぱり子ども欲しいのよ!」とヒートアップ。
他宗教の人というだけで、親族ですらこの言い様で正直怖くなりました。この影響かは分かりませんが、何事も我ごとの様にキーキー怒っている姿がノーマルであったため、私にも完全に伝染していました。これが自身の悩みを倍増させている原因でした。
②
1番疑問だったのが、この部分です。特に敵視していた某正宗への攻撃は、週刊誌以下の描かれようでした。(犬畜生とかクソ坊主とか)
この新聞を人に勧めるなんて…という思いしかありませんでした。また1人1部取れという暗黙のルールで家には2-3部新聞が入っていました。
今も亡くなった家族の名前でとっているようで、正直何とも言えない気持ちです。
選挙については、先月の事件で宗教と政治の問題が取り沙汰されていますが、一旦そこには触れずに書こうかと思います。
小学生の時に流行っていたプロフィール帳は選挙活動の恰好の餌食となりました。
同級生のお母さんが幹部だったため、母親はその人について行ったり、時には私も同行させられていました。
当時は何の感情も湧いていませんでしたが、選挙の時だけお願いしに来るって…という周りの意見で初めて恥ずかしい感情が湧いてきました。
私が大学生になると、周りから選挙頼める友達は居ないの?としつこく聞かれるようになります。選挙と新聞だけは親に毒されて奴隷のようになっていても嫌悪感が勝っていました。
普段連絡のこない地区の人から、選挙時期になると投票に行ったかどうか、しつこくLINEで確認されます。
今回の参議院選から期日前行ったと適当にあしらい、早々に連絡を切る事ができました。
投票したい人がおらず、某党に入れないとバチが当たるのではと怯えて投票してしまう自分がいました。
今年の参議院選挙で初めて自分で考えて1票を投じました。罰なんて当たらず、清々しい気持ちになりました。
③
我々20代も非常に会員数が少ないのか、母親に報告するためだけに定期的に会合に顔を出していた私はまもなく目をつけられました。
まずは大学生の時、母親の扶養下にある=言うことを聞かないといけない、と奴隷をやっていた私はちゃんと宗教活動をしていると報告するためだけに県幹部をやりました。
その統監が回ってきたのでしょう、社会人になってからすぐに幹部の先輩にご飯に誘われました。
珍しいなぁと思い了承すると、遠方の地域のリーダーをしてくれないかという依頼でした。
すぐに断りましたが、その後しつこく鬼電がかかってきました。
今が使命の時なんだよ!というやる気にもならない言葉で励まされましたが、母親に相談したが、遠方はダメだと言われた、と母親を出してお断りしました笑
お断りした途端、連絡がぱったり来なくなりました。
結婚後も宗教との繋がりがゼロではありません。母が亡くなるまではお墓の手続きなどで聞かないといけないこともあるため、一定の繋がりを持っておこうと思っています。(ここは自分の意思です)
※急に役職やれと唐突な人も若い世代は多いですが、会員の中には我ごとのように心配し、接してくれる面倒見の良い方もいらっしゃいました。
その方たちには心から感謝しており、時々連絡を取ることもあります。
宗教との関わりを色々と書きましたが、自分の中で一定の距離を置いたことでバチに怯える生活と縁が切れて、自分軸で物事を考えやすくなりました。
コロナ禍で良かったことの1つです。
宗教の話は一旦終わりにして、またこのnoteの方向性を考えていきたいと思います。
※しばらく記事を放置しており、やる気のない感じで仕上がりました。
それだけ距離がおけているのだと思います。