共感の体験
事務手続的なイザコザ以降、親と連絡を取らなくなって久しい。
親にこちらから連絡をして、ちょくちょく近況を聞く良い娘は卒業した。
先日、毒親育ちの配偶者を持つ方とお話する機会があり、親孝行は「しなきゃ」ではなく、自然と湧いてくる感情だと学んだ。その方や夫からは共通して『 親孝行は自然と湧く感情であり、普通の人は日常生活でオヤコウコウオヤコウコウとは考えない。大人になったら一定の距離感で生活し、適度に連絡をとったりしてピンチになったら助け合うものだ。』と教えてもらった。
残念ながら相手が私の意見に耳を傾けてくれなかったり、私ができる限りのパフォーマンスをしても満足してくれない以上はこちらがどんなに望んでも叶わない。一定距離を置いて落ち着いたら変わるのかもしれないし変わらないのかもしれない。私は事実を受け止めて対処しようと思う。
第三者からの意見と共感はなんども私を救ってくれた。虐待やネグレクトではなく、希望の学校へ行かせてくれたり、あなたは望まれて生まれてきたのだと愛情を一身に受けていたはずなので、毒親とは真反対のはずだと信じざるをえなかった。
正しい親子関係を知れば知るほど、私はヤングケアラーに近しい存在だということがわかった。精神的な親子逆転。
幼い頃から母や祖母のカウンセラーだった。(絶対に認めてはくれないが)
母の病気のことは理解していたつもりだが、とある場面で、恐怖を感じて嘔吐することがあった。命の危険を感じてたのに「私が怖いんでしょー😆」と茶化されたこともあった。
母1人でも良かったがそれは心配すぎて、命を失う覚悟で自分もそばに居る決断をした。
その重みを母は理解していないのだとガッカリした。
母の病が完治した瞬間、私は遠くへ逃げた。
逃げた罪悪感で遠距離奴隷をしていた。
一人娘がひとり親を放って逃げたと思われているのだろう、と暫く罪悪感しかなかった。
そんなことをポツリと口にすると「そんなこと思ってるなら新幹線の距離に就職しないでしょ。全部自分の選択なんだから弱音を吐くな。」とピシャリ。
もちろん交際相手には言えず、友達にも言えず、愚痴を親に吐いている状態だった。当たり前のように怒られた。
話を戻すが、ご飯を食べながら、そしてお茶を飲みながら、私の意見は全く否定されることなく共感の嵐だった。
逆もそうである。私も共感しかなかった。
これは決して普通じゃない、でも私だけの特殊な環境でもないし、私の考えがおかしいわけでもないと改めてほっとした。
自分の考えは間違っているというデフォルトがもしかすると自分の発言で誰かの助けになることもあるかもしれないと、少しずつ思考修正できている。
30近くにもなって他人に共感ばっかり求めて、親ばかり悪く言う世間知らずの甘ちゃん!と思われる人もいるかもしれない(し、いないかもしれない。知らんけど)。
自分の中で燻っている幼児が満たされないと恐らく40でも50でも、子どもがいてもいなくても同じことを繰り返していると思う。
実際、学校も社会も甘くないことは分かっている。
しかし、今の環境がかなり特殊ではあると思うが、部署の人達は思いやりを持ってよく助けてくれる。学校のクラスには今まであまり恵まれなかったが、大人になってから人の良さにびっくりする体験を実際している。
でもこれは、他人への態度が変わったことも環境が良くなったと感じる一因だと思う。人に対して塞ぎ込んでたりいじけてたりしたら、きっと面倒くさがられて助けてくれない。
今の思考修正のタイミングで今の部署に居られたのはかなりの幸運だと思う。
2022年は本当にいろんな人に助けてもらって、自分の心が大きく成長できた1年だなと感じる。
たくさん共感をしてもらえた経験を、いろんな場所で活かしていきたい。