不思議な感情
何度も繰り返しになるが、いちいちきっかけを振り返らないとなんだか落ち着かない笑
私は母に意見を押し付けられ、ガチガチな白黒思考で大人になった。父は存在空気で度重なる借金で熟年離婚、離婚前も家は母のお城だった。私はガチガチの意見を押し付けてくる母に耐えきれず、一人っ子にも関わらず新幹線の距離に逃げた。
当時は本能的に逃げないと自分が潰れるという恐怖だけは感じ取っていたが、長いものに巻かれて生きれば良いという思いと時々湧いてくる自分の意見を否定的に押さえつける思いに振り回されていた。
大学では履歴書に書けるようなことをしておく、というだけで学生生活を過ごしていた故に社会に出て非常に苦労をした。履歴書と面接の世界はすぐに終わった。
妙な粘り強さも虚しく、社会人数年目でガタが来た。実家にいた頃も相当に精神的に追い詰められていたはずだが、母に感情の否定をされていたので麻痺させられていた。18年も粘れたのに悔しかった。
奇しくも病気休職手続の業務を担当しており、担当していた当時は自分には無縁だと考えていた。一方で意外と30〜50代でもメンタルブレイクする人が多いのだと安堵した気持ちもあった。この業務は、私にもう我慢しなくて良いんだよと教えてくれた運命だったような気がする。
いよいよダメになったのは、コロナが武漢で足踏みしている時だった。
その頃に自分がダメというよりは生い立ちに問題があったのではという周りの意見で私は救われた。
あっという間にコロナが蔓延し、実家に帰ることはできなくなった。
LINEで上手くやり取りできず、母も私も爆発した。周りの勧めもあり、母と1年以上連絡を絶った。
2021年〜2022年の2年で私の思考や感情を大きく変えることができた。
コロナによって実家に帰らなきゃという使命感もなくなり、私は人生で初めてゆっくりとした盆正月を過ごし、自分がやりたいと思う選択ができた。
序章が長すぎたが、2023年に入ってすぐの頃に子を授かった。
緊張したが、母に2年ぶりに電話をした。電話の向こうの母は喜んでいた。
そしてその頃にコロナの雰囲気も変わってきた。私は4月の法事で3年ぶりに帰省することになった。それに伴い、お土産や新幹線の時間の連絡などで母とのやりとりも増えた。慎重に言葉を選んで幸いにもトラブルにはならなかった。
こうした周りのサポートもあって2年間で自信をつけた私だったが、直接会うのは緊張した。
しかし、思いもよらず妊婦の自分には優しかった。私はほんの少しだけ我が子に嫉妬した。結果的に楽しい3日間だったし、帰省を機に悪阻が本格的に収まった。母とは普通に連絡が取れるまでに関係改善した。
妊婦になってから、職場も家族(実家も義実家)も周りの人もとても優しい。
母も義父母も初孫の誕生を心から楽しみにしている思いがひしひしと伝わる。と同時に妊産婦となる私に対しての気遣い度の跳ね上がりが尋常じゃないと感じる。(故に無事トツキトオカ、トラブルなく腹の中で育て上げ、無事出産せねばというプレッシャーが😅)
周りの優しさへの感謝と同時に社会的弱者でもあるのだと感じる。
健康体だった過去の私が拗ねている。どうしてあの時優しくしてくれなかったの!?と泣いている。
愛情を受け取るアンテナが折れていた私が色んな方のサポートで少しずつ修復され、同時に過剰なくらいの気遣いと愛情により、ようやく受信できるようになった今、病気がちだった母の話を聞き、大人のように背伸びしていた子どもの私が今少しずつ癒されていっているのかもしれない。
妊娠という形でインナーチャイルドが少し癒されるとは正直思っていなかった。
しかし、頭ごなしに意見を否定されている子どもたちや子どもの頃の傷を負いながらも健康体で当たり前のように激務をこなしている大人が実は1番寂しくて辛い思いをしているのかもしれない。
適切な愛情を受けていたら、大人になってからこんな感情や思考になることはないのかな。もう私は知る術がないけども。