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幸運かどうか、我が腕時計に訊く

これはアンラッキー、ツイてない、
その瞬間、そう思った。

先々週、会社のトイレの手洗い場で、
腕時計のベルトが壊れて、時計本体が、
洗面プレート、水道の蛇口の真下に落下。

幸い、咄嗟に時計本体を拾い上げ、殆ど無傷で済んだ。チタン製のベルトに内臓されている細い軸が折れたのだ。

この20年、仕事のときに使い続けている国産時計。一度も他の時計を着けたことはない。一途だった。この時計に僕の喜怒哀楽を染み込ませてきた。仕事場での僕の全てを見て、知ってくれてきた時計。

その週末、行きつけの大手ディスカウントストアの時計修理コーナーに持ち込んで相談した。ベルトの破損した細い軸を交換すれば、ほんの数分の修理で済むと踏んでいた。

ところがである。
修理担当の店員さんが淡々と言った。
「この軸は、この時計専用のもので、
メーカーさんに送って直す必要あります。
まずは4000円以上はかかります。
場合によっては、もっとかかるかも。
出してみないとわかりません。
わかり次第お電話でご連絡します。」

取り敢えず、我が時計を託し、
メーカーからの連絡を待つことに。

昨日、その修理売り場から電話が入った。
「メーカーさんによると、
ベルトの部分だけでなく、
時計本体もかなり消耗していて、
このままだと太陽電池の部分が
機能しなくなる可能性があり、
オーバーホールをお薦めします、
といっていますが、どうされますか?
ちなみに料金は18000円で、
そのなかにベルト修理も含みます」

僕はやや躊躇した。
20年前に買ったその時計は
電波ソーラー(電波時計と太陽電池)で
6万円くらい。
当時にしては珍しく薄型なのが
気に入ったのだ。
長い年月を共にしてきた我が愛機。
その入院治療代が18000円なら
喜んでお願いしたい。
いやそれ以上の金額でもいい。

でも待てよ。ベルトの破損だ。
時計本体は故障しておらず、
きちんと稼働している。
そこに違和感、若干の猜疑心が
よぎったのだ。
本体の消耗具合など、
機械本体の中身を観ずして、
なぜわかるのか?と。
時計にも、人間で言うレントゲン
とかあるのか?

次の瞬間、頭に浮かんだのは
父の時計、ゴールドのオメガだ。
クラッシックでシンプルな逸品。
40年くらい前、母が父のその時計を
オーバーホールに出して10万円かかった
と話していたのを思い出した。
僕は「オーバーホール」という言葉を
その時初めて知った。

父の時計は数十万円の高価なもの。
僕のは6万円くらいだった。
だけど、金額の問題ではないのだ。

オーバーホール。
歳月は知らぬ間に流れ、
もうそういう頃かと。
この時計との20年。
一度も故障はなかったこと自体、
ラッキーだったのだ。
そういう意味では、人間の身体と同じだ。
我が身に照らせば
人間ドックと精密検査は必要。
先月、送られてきた人間ドックの結果を
僕は思い出していた。

きっとメーカーさんは
老体で疲弊した我が時計を観て、
メンテナンスを勧めてくださったのだと。

そして、我が愛機に一刻でも早く
元気になって戻ってきてほしい
と心から思った。

ディスカウントストアの
時計修理コーナーの店員さんからの電話、
「オーバーホール」の申し出に、
僕は僅か3秒くらいの間で
そんな5段階の思考を巡らせていた。

そして意を決して答えた。
「では、この機会に是非
時計ドックをお願いします。
くれぐれもメーカーの方に、
よろしくお願い致しますと
お伝えください」。

僕はラッキー、ツイているのだ、
と改めて思っている。
20年も故障なしで来れた。
我が愛機の健康診断の機会を得た。
そもそも、時計のベルトが破損した場所が
ラッキーだったのだ。
もし洗面所でなかったとしたら…
もし駅のホームや階段だとしたら…
そう思うとぞっとする。

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