雲、うごく。〜夏の終わりの苦笑。
水曜の午前9時、大学病院の待ち合いの席。
2つの科にお世話になることになり、
配布された小型発信器を片手に
診察のベルが鳴るのを待っていました。
果たしてどちらの科が先に
僕を呼んでくれるのか、
両方の科の検査などを考えると
午前中には終わらないだろうな、
早く仕事に戻らねば、などと
どこか落ち着かない気持ちです。
心許ない僕の座るその長椅子の空間は
巨大スクリーンのような
大きな窓に面しています。
僕は窓の向こうに広がる青空と、
幾重にも層になっている雲を
何気なく見上げました。
すると、あることに気がついたのです。
あれっ、雲が右から左へ
ものすごくゆっくりと動いている‥‥。
まるで過ぎゆく夏の背中を見送るよう。
この当たり前過ぎることに、
発見と驚きがあることの不思議。
当然に雲は留まることを知らず
動いては消えゆくもの。
だけど日頃、暮らしの中で
その瞬間を目で確かめることは
殆どなかった、この事実。驚き。
それ程に慌ただしく、せっかちに
人生を刻んでいる。
大きな窓、そのスクリーンの右から左へ
静かにゆっくり動く雲。背景色は青。
僕は何を急いでいるのでしょう。
今というこの「間(ま)」を
楽しまねば嘘。はたと思いました。
最近、本や雑誌で
今の若い方々が動画などを
早送りして観ることが話題に。
動画の内容、話の筋だけを確認するため、
要は情報を効率的に把握するため
倍速にして閲覧するのだと。
これは若い方々に限ったこと
ではないと思います。
僕だって録画した番組を
早送りして確認します。
でも確かに、画面の向こうで
話ている人たちの「間(ま)」、
息遣いや声の強弱、表情の濃淡、
強調している内容は判然としません。
その「間」もきっと、
情報や知識、話し手の主張を
把握する大切な要素なのかもしれません。
映画やドラマなら尚更です。
作り手の想いや狙いを
無視していることになる。
ことほどさように、急いで生きている。
なかんずく僕自身はそうだと
自覚しています。
通勤時に次の電車に間に合うよう
小走りになるし、
車中では席取り合戦に興じています。
反省しきりです。
雲は教えてくれます。
人類誕生以来、刻々と同じスピードで
地球は周り、人は生き、やがて去る。
その時々を楽しまなければ、
味わうように過ごさねば、損。
半世紀以上生きていて、
それくらい判って良い歳ですよ。
呆れて笑いが出ました。
誰かに迷惑をかけない限り。
いや、お互い様お陰様かなと。
夏がゆく。
病院の待ち合い席で、
空を見ながら、
苦笑する男ひとり。
今日もお付き合いくださり、
ありがとうございました。
季節の変わり目にて、
皆さま、くれぐれもご自愛のほど。