誰かの代替えでなく
昨日早朝、人間ドックに出向いた。
自宅のある横浜の奥地から都心の診療所へと、
往路の時間や胃カメラ等もあるので、
一日夏休みをとったのだ。
受付開始の午前8時の30分前に着き、
並んだ列は先頭、「受付番号1」。
はりきっているわけではないが、
早く検診を終えて、横浜の本屋でゆっくりしたかった。
腹部エコーの後、血圧を測ったところで、
ベテランのナースさんに言われた。
「今日、胃カメラのドクターの体調が悪く、
異カメラだけ別の日程にするか、
バリウム検査に替えるかにして頂けませんか」
申し訳なさそうな表情の彼女に、
僕は条件反射で言ってしまった
「今回の検診もメインは異カメラです。
私の場合は持病もあり、バリウム検査では心配。
別の日に、また来院しなければならないのですか」
当たり前過ぎる言葉を、強めに発したのだ。
ベテランのナースさんは
「大変申し訳ございません。
日程は後程、受付でご調整ください」
その刹那、僕は猛省した。もう遅い…。
感染拡大の影響でどの医療機関も甚大な影響を受けている。
健康診断をメイン業務とするこの医院も例外ではなく、
外来受付業務もあり、ドクターもナースさんも業務逼迫に。
異カメラのドクターが交通機関の遅れや事故等で急に出勤できないなることは有り得る。
そういう時のために、代替えでその業務を担えるドクターを手配しておくのも医院の責務。
とは言え、現下の感染拡大で、そんな余裕は毛頭ないだろう。
そう、こういうこともあるのだ。
今度は僕が申し訳なさそうに、
「わかりました。それでは、別の日に参ります。
ありがとうございます」と言った。
どんなドクターでも異カメラの扱えるわけではない。
誤操作があれば、食道や異などを損傷させ、
一大事になることも。
だから、受ける側は事前に承諾書にサインする。
そうとうな特殊業務のはずで、
簡単に代替えは出来ない。
代替えが利かないと言えば、
僕らビジネスパーソンの場合はどうだろう。
専門知識や特殊能力のある人は「余人に代え難し」などと言われる。
でも、僕は思う。
命に係わる業務は別として、
ビジネスパーソンは、余人に替えられると。
会社の中での「機能」を担っているのだから。
別の人に替えれば、クオリティは変わるかもしれないが、業務を進めていくのが会社。歯車を回していくのだ。
事業継続という社会的な使命を負っているからだ。
でも、業務は別として、
人という意味では決して「余人に代えられない」。
業績や成績が優秀でなくてもよい。
誰からも好かれる人気者でなくてよい。
叱られてばかりで不器用でよい。
要領が悪くて、仕事が遅くてもよい。
人は、それぞれの魅力がある。
人は、その存在だけで尊い。
人そのものは「機能」ではない。
「機能」は組織内の運営についてのみ。
人権があり個性があり、感情があり、思考も志向もある。
きっと誰かが、誰かを想っている。
誰かが誰かを尊敬し、憧れている。
誰もが等しく価値がある。
代替えは利かない。
異カメラ以外の検査を終え、受付で
8月中の日程を予約し、「宜しくおいします」と医院を跡にした。
顔も名前も知らない、
体調不良のドクターの容態が
心をよぎった。