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末法思想

四劫説

 仏教の歴史観はインドの伝統的な歴史観同様、円環的なものです。輪廻転生観はその最もわかりやすい例と言えるでしょう。経典においては『倶舎論』『大毘婆沙論』の四劫説がみられます。 四劫説とは、世界は終末と再生を繰り替えるという世界観であり、成(形成)・住(持続)・壊(破壊)・空(虚無)の四段階を循環的に繰り返すとされます。四劫あわせて大劫といいます。劫は非常に長い時間の単位です。1辺が 四千里の巨大な立方体の岩石を柔らかい布で100年に1度だけ軽く払うということを繰り返したとき、岩石が消滅してなくなるまでに必要な時間よりも長い時間だとたとえられます(磐石劫)。この例え方、頭いいですね。これは寿限無の五劫のすりきれに出てくる話です。また、四千里の城に小さな芥子の粒を満たし、100年に一度一粒ずつ取り出してもまだ時間が余るほどの長い時間だとたとえられます(芥子劫)。未来永劫の劫はこの劫を指しているので、本当に永遠ですね。

三時説

 末法思想は仏滅後に仏法が次第に廃れていくとする思想を指します。衰退の過程をより具体的に描いたのが三時説です。三時説では、正法・像法・末法と時代を経るごとに仏法は廃れていくとされました。正法教(仏法)・行(修行)・証(悟り)の三つが全て備わる時代、像法は、証はなくなったが教と行が存在する時代、末法は、教は存在するが誰もこれを実践しない時代、そして末法の後は教すら滅尽してしまうとされます(法滅尽)。正法・像法・末法それぞれの時間の長さは所論あります。中国及び日本においては、仏陀の没年を周の穆王五十二年、つまり紀元前九四八年とするのが定説となりました。また後述する五箇五百年説に立てば、末法の始まりは釈迦滅後二千年後の1052年とされます。
 本来の末法思想は、仏法はいずれ廃れていくというシンプルなものでしたが、どのように廃れていくかという視点がまず付け加わりました。それは仏法は、仏法の名を借りた偽物の教えが出現することにより亡びるという法滅観です。そこで、「像(似せる、かたどるの意)」の文字を用いて像法という言葉ができました。つまり、末法思想は三時説に発展する以前は、正法・像法の二時説であったということです。この二時説は中国で三時説へ発展したとされています。
 円環的な歴史観の四劫説と直線的な歴史観の末法思想は矛盾するようにみえますが、四劫説において仏陀は定期的に顕れるとされているので、先の四劫説と末法思想とは矛盾せず共存しうることになります。

五箇五百年説(五五百年説)

 『大集経』月蔵分分布閻浮提品には以下の文があります。

於我滅後五百年中。諸比丘等。猶於我法解脱堅固。次五百年我之正法禪定三昧得住堅固。次五百年讀誦多聞得住堅固。次五百年於我法中多造塔寺得住堅固。次五百年於我法中鬪諍言頌白法隱沒損減堅固。

 これによれば、釈迦の死後、五つの五百年を経て正法が廃れるとされています。一つ目は解脱堅固で、正法が存在し、修行することで悟りを開くことができます。二つ目は禅定堅固で、座禅が尊ばれる時代です。以上二つが正法の時代とされます。三つ目は読誦多聞堅固で、経典の知識が重んじられる時代です。四つ目は多造塔寺堅固で、寺院や堂塔が盛んに建立される時代です。以上二つが像法の時代とされます。五つ目は闘諍堅固で、誰もが自説に固執して互いに争い合うようになり、邪見も増してくる時代です。ここから末法とされます。

末法思想の発展

 末法思想に立てば、この世の中は成仏ができない悪い環境であるということになります。そのため、別世界である極楽浄土へ往生するために、阿弥陀仏にすがる浄土教が発展しました。
 また仏陀(お釈迦様のこと)に56億7千万年後に仏になることを約束された弥勒を待望する弥勒思想が台頭しました。

参考文献

・『大集経』月蔵分分布閻浮提品
https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00012909#?c=0&m=0&s=0&cv=218&r=0&xywh=-4065%2C0%2C14145%2C4015

・『世紀末 神々の終末文書』草野巧
キリスト教や仏教などなど各教派の終末思想が簡単に説明されている。

・「平安時代中期の災害と末法思想」吉村稔子
 いろいろ読んだけど、一番簡単にまとまってる。

・「末法思想について 大集経の成立問題」山田龍城
 超要約:大集経月蔵分の分布閻浮提品は、当時のインド地誌を述べるものであり、6世紀はじめの現実を反映していた。つまり末法の思想はその時の現状から生まれたものであり、エフタルの破仏が色濃く反映されたものであると考えられる。

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