生きることの意味
存在している価値に気づく
小学生のころ、生きている意味を考えたことがある。あまりにも短い人の一生に絶望して、どうにかして意味のある、価値のある生き方をしたいとと思った。後世に語り継がれる偉人たちを羨ましいと思い、そうありたいと思ったのだ。
でも、よくよく考えたら彼らは伝記になろうが知ったことじゃない。当人には何の意味もないのだ。評価じゃなくて自分がどう生きるか、納得して死ねるか、それが一番大切だと思うようになった。
今は成し遂げることより、どう在るが尊いとしみじみ思う。目に見える成果よりも見えない空気や思考の方がよほど価値がある。
私自身の理想は悩んでいることが気にならなくなるような空気を運んで来る人。場が調和されていく存在。空気が活性化したり鎮静化したり作用効果のあるもの。そんな人であれたら最高な人生だと思っている。
実際のところ自分の姿は見ることができないから一生答え合わせは出来ないだろう。どう見えているかを気にすることなく、自分のホンネを受け入れて誠実に歩んでいくしかないと思っている。
5月29日は浜松路上演劇祭。わたしは踊るしか能がない。身体表現しか出来ない。世間を知らないから踊りの流行からは遠く離れた動きかもしれない。それもまた面白いから自分らしくやってみよう。
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