踊りたいから踊る
駒屋・三ツ田屋アートプロジェクト前半終了
先週土曜日から二日間、二川の駒屋と三ツ田屋でアートプロジェクトに参加していました。
曲ナシ、始まりも終わりも阿吽の呼吸、打ち合わせナシ、正真正銘の一期一会で自分に向き合い、世界と向き合う機会になりました。
自分の底の浅さや表現の貧弱さをヒシヒシと感じながら、こんな環境に恵まれ、人に恵まれている人生の嬉しさではち切れそうでした。
技量が足りなかろうが、才能が足りなかろうが、出会えている瞬間が嬉しいんだから仕方ない。
どんなに考えたって落ち込んだって素晴らしい表現者になれるわけじゃない。バカの考え休むに似たりって言うじゃないですか。
だからね、まだまだだなぁ、一生まだまだなんだろうなぁと思いながら、次の土日も無心で踊ろうと思います。
今回舞踏家とセッションして、いかに不用意に体を動かしているか痛感中です。
自分の定義を言葉にしてみる
私にとって舞踊表現とは何か改めて考えてみました。一人一人の定義があって、みんな違うのです。
・感性が背骨に伝わって反応するもの
・非日常にあるもの
・生命の刹那を感じるもの
今のところの定義です。
その場によって変わる表現方法
◯音による変化
・メロディで踊る時
・パーカッションで踊る時
・間で踊る時
◯場による変化
・劇場
・観客や作品に囲まれた公演
・路上パフォーマンス
全部表現方法が違ってくるのだとわかってきました。
まだわかって来ただけで場数も足りないし、意識も足りないけど、いっそのこと無心の方が変化するのかもしれません。
大雑把でいい加減な性格なので、緻密に思考したり構築するのは向いてません。向いてないこと、気分が乗らないことを我慢しない、努力しないように心がけます。考えるとウキウキしてほっといても探究せずにいられないことを深掘りしていきましょう。
とりあえずは今週末。
実は着物で踊るのも音無しで動くのも、パフォーマーと動きでセッションするのも今回初めてです。
あちこちの会場でパフォーマンスする形態も初めてでした。人と場に助けられて乗り切った感があります。
19日は誕生日でした。半世紀この世界に存在したことになります。この歳になって初めて尽くしなんて幸せなことです。
いつも応援ありがとうございます。サポートしていただいたお礼はアートプロジェクト事業費として創造空間の作成やアーティスト活動、仲間への感謝の気持ちの一部とさせていただきます✨