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目標のその先
私は京大生です。
そう言うと、大抵の人が
すごいねー、かしこいんだねー
と、ほぼ脳を使わず反射的に言う。
チンアナゴを見た女の子が、かわいい〜と言うのと同じだ。よく見ろ。そこまで可愛くはないぞ、たぶんめちゃくちゃぬめぬめしてるぞ。知らんけど。
ただそう言ってもらえるのは当然嬉しいし、なんならそのために入ったとも言える。
ただ、今の記憶と能力を残してもう一度、やり直すなら同じ道は選ばないかもしれない。
少なくとも、即決はしない。
京大を目指したのは、小6の頃だった。
成績が良いと褒められる。頑張った分だけ結果が出る。それが嬉しかった。東大ではなく、あえて京大を目指す感じもセンスありげでかっこいいと思った。親族含め、周りにいなかったから1つのステータスになるとも思っていた。
学生時代は部活と塾の連続。それでも成績が常にトップで、目標にだんだん近づいていく状態は、やりがいだったし、何の不満もなく、自分は成功者になれると思い込んでいた。
そして、念願の合格。
某通信教育会社のマンガのように、自分の番号を見つけると、手が震え、涙が溢れた。
浪人することを心に決めていた私は、肩の荷が下り、喜びと達成感で心がいっぱいになった。
その日、私は長い戦いに勝ったのだ。
ついにゴールしたのだ、、、
そう。
ゴールしてしまったのだ。
それ以上、走るコースは見当たらなかった。
18年間生きてきた私の目標は
「京大に入ること」だった。
「入って、何かをすること」ではなく。
学歴の高い大学に入れば、選択肢が広がる。何にでもなれる。それは間違いない。
でも、「何にでもなれる」という考えほど
「何にもなろうとしていない」考えであることを痛感した。
確かに、「今日は誕生日だから何買ってもいいよ」と言われた時に買ったゲームにハマったことはなかったかもしれない。。
いや、この例えはなんか違うな。
まあとにかく、今思うと、
合格とともに私は抜け殻になっていた。
もうすべてをやり終えたかのような顔に。
何かを始める為の場所なのに。
その後、大学院に進み、
今、就職活動をしている。
気がつくとまた、就職活動のために就職活動をしてしまっていないか、と怖くなる。
寝落ちして起きた瞬間、お風呂入ったか入ってないか分かんなくなるときくらい怖くなる
いや、もっと怖い。
目標のその先。
「答えはまだ出ていない。」
だが、その存在に気づけただけでも成長だ。
そう言い聞かせて、目の前のことをやる。
今のところそこまでしか分かっていない。
"Beyond the goal"