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コロナ禍雑記。ニューノーマル。

コロナの始まりとともに産まれた一人目に会えなくなってもうすぐ六ヶ月。緊急事態宣言中に産まれた二人目とはまだ会っていない。


そんな非日常が日常になった令和三年。


決断をするのに考えなければならないことが増えた。


久しぶりに開いたFacebookで中学の友達が毎日のように反ワクチンの投稿をしていた。

対面で授業ができないらしい大学生には正直あまり同情できない自分がいる。

ご時世という言葉に本来とは別の意味がつき始めている。



感染者の数が何の意味を示しているのかもはやわからなくなった。わからないことだらけだが、ただ一つはっきりしていることは感染したら色々な人に迷惑をかけてしまうということだ。感染してしまったらしょうがないよ、という人は何の責任もとってはくれない。


病気そのものへの恐怖なんてもはや無い。


延期になっていた友人の結婚式が近々開催される。感染者は多い地域だ。不安は正直ある。どうしてこんな気持ちで親友の結婚式に行かないといけないのだろうか。一方、ある友人はグループラインで「こんな中でも行って祝うのが友達だろ!?」みたいな圧をかけていた。どこかおかしくなってる。もちろん私も。


ニューノーマル。ニューだろうが旧だろうが、腹は減るし、寂しくなるし、感動するし、怒りは湧く。嘘はつくし、傷つけるし、それに気付かないふりをする。知らないことは知らないし、無駄なことはしたくないし、見えないものは相変わらず見えない。


最近の芸能人は体調を崩したり怪我をしたりして病院に行ったことを医療資源を使ってしまい申し訳ないといって謝らないといけないらしい。

これもニューノーマルなのか。

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