劣等感に悩む博士課程学生に金を配るべきだと思う
「自分は人に全て劣っていて、勉学、家柄、人生観、対人能力、何一つ適うものがない」という劣等感を、若いころはよく感じていた。特に博士進学直後は能力不足を感じることが多かったため、こういうえげつない劣等感に苛まれる頻度が高かった。
D2の頃、JST次世代という新しい奨励金制度への申請が晴れて通り、博士課程研究をしながら生活費という稼ぎを得るようになり始めると、こうした考えは無くなった(仕事上の能力のなさを痛感することは相変わらずよくあったけど)。
このことは「金を持つことで衣食住の心配がなくなったおかげだ」ということでは説明できない。
機を同じくして実家を出て暮らし始めたこともあり、生活費を毎月得たところで全く懐は暖まらず、衣食住に困りさえしなかったものの、貯金は一向に増えなかった。
それでも劣等感が解消し精神的に落ち着けた理由は、ずばり、給料を得るようになったことで、考え方がふてぶてしくなったからである。
稼ぎを得始めるようになり一番変わったことは、研究にやたらと抱いていた崇高なイメージが無くなった点であった。金稼ぎ目的の数直線上に「博士課程の研究」が並べられたことで、僕にとって研究という営みは世界に数多ある仕事の内の一つに没したのだが、
皮肉抜きにこれは非常にいいことだった。
無賃で研究に従事していた頃は「金」など考慮になく、ただ論文などの「研究成果」のみが、僕にとってのたった一つの対価だった。稼ぎという俗っぽい尺度に当てはめられない世界に身を置いていることへ、優越感や崇高さすらも感じていた気がする。
でも振り返ってみれば、金銭のような非属人的な仕事の評価尺度が無いことは、どちらかと言うと僕にはよっぽど苦しかった。他の研究者たちの仕事のすべてが、崇高で及ぶべくもない神秘の営みに思えてくるので、いつまでも成果が実らない自分がとにかく劣等生に思えて苦しかった。
対照的に稼ぎを得るようになった今、この劣等感はある種の不遜さに取って代わられたわけである。それは「誰も彼も、食っていくためには何か仕事をしなくてはならないのだから、科学研究という仕事は別に崇高なことではなくて、衣食住の必要に対処するための手段の一つに過ぎない」という価値観への転換だった。
そうして僕は研究から崇高さを取っ払うことに成功した。以降、研究の中でも、他人の仕事をかなり冷静な気持ちで見られるようになった。
「論文なんて肩ひじ張った形式を取っていやがるが、所詮は生活方法の一つなんだから、ズルも、ミスも、誤魔化しも、手抜きも、あって当然だ。」
こういった認識を抱くようになったことは、欠陥や不備だらけの論文と出会ってしまったときの動揺を相当和らげた。
それに自分が研究で失敗しても、いちいち『自分はなんと劣った存在か』と絶望することはなくなり『まあ、そんなもんだ』という程度で受け止められるようになった。
当然、より優れた結果を残したいとは思う。だけど、生活の全てが最高の結果に終わる筈がないのは、仕方ないだろう。家電量販店で値切りを死ぬほど粘ったところで、タダ同然で洗濯機が買えるわけがないのと同じだ。
こうやって獲得した「不遜さ」のお陰で、僕は仕事(研究)を前に進めることを、昔より随分気楽かつ積極的にやれるようになった。
劣等感がまだ強かったときの記事もある。これと同じ人間が今この文章を書いていることから、いかに僕が図太くなったかを察せられると思う。
こういうむやみな劣等感がなくなると、筆の進みも早くなるし、行動も即決できるようになる。
だから、日本の悩める博士課程学生には、劣等感を消してあげるために、さっさと金を配るべきだと思う。
「仕事としての責任感」だとか「博士課程学生の貧困」だとか、もっともらしいようなそうでもないような、分かるような分からないような(いや貧困の方は流石に分かるが)、そういう取って付けたような側面よりも、博士課程学生はとにかく精神を病みがちなのだから、金をあげればふてぶてしくなってメンタルがマシになるというなら、それは看過すべきでない。
補足すると、それゆえに、自信に満ちている輝かしい博士課程学生には、そんなにお金を配る必要はないことになる。
だからそういう陽の気を放っている博士課程学生には、修了までの間に万一自信を失くし闇堕ちするようなことがあったら、お金をあげて劣等感を救ってあげれば良いと思う。あ、貧困してる場合は別です。
今の学術振興会特別研究員制度(DC1とかDC2)は、これと真逆に、申請書において「目指す研究者像」をキラキラと語れる博士課程学生へ、優先的に生活費を給付する仕組みになっている。
これではまずいので、もしかすると申請書に「申請者の抱える劣等感」の記述欄を1ページ分くらい作り、どれだけ劣等感に深刻に悩まされているかを考慮してあげるという風に評価方式を改めた方がいいのかもしれない。
学振審査員の先生方は、マジ病みな文章を大量に読まされることになりご苦労をおかけすることになるが、致し方ない。