書くことについての話。

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色々と観念して、noteを書くことにした。決して気が乗らないと言うわけでは無いし、やるからには積極的にやりたいとは思ってるんだけど、一方でSNSで自分の意見を言うことへの躊躇いはもうずーっとあって。

一つは経験上、見てくれる人の期待に答えようとしてしまって、つい破滅する方に向かいがちになってしまうってこともあるんだけど、もう一つは、みんなが発信することによる、いわゆるアテンションの奪い合いへの懸念みたいなのがずっとあって、ざっくりとした認識だけど何でも発信していって、自分のキャリアを作っていこうみたいなムーブメントには少し距離を置いて見ていたし、やっぱり今でもあんまり乗り気になれないところはある。

SNSを使って自分が何者であるかを発信すること、セルフブランディングをしていくこと、それが個人のキャリアを形作っていくこと、それ自体は異論はないし、頭ではもう十分なくらい分かっているつもりなんだけど、一方でそういうことが標榜されるにつれ「言えない人、言うのが難しい人」が社会的に見向きもされなくなるんじゃないかということをずっと思っていて、なんかこう、みんなが自分の意見を言わないだけで相対的に不利な立場に置かれてしまう社会は、果たしてそれは本当に正しいのかという疑念が今でもあって。個人主義の世界でサバイブしていくために自己発信が必要なことだとは認めるんだけど、それでもそれをことさらに標榜するのは、大人としてちょっと無責任なんじゃないかなってつい思ってしまうんだよね。

それでもここ最近すごく面倒なことがあって、自分の立場や意見を明確にして、その上で味方を増やす必要が出てきていて。見も蓋もない言い方をすれば自分のことをイイって言ってくれる人を増やしたい、増やさないととてもやってられない、そんなある意味で切実な状況でこうして書いているわけだけど、言うなればそれは自分の人生を防衛するために仕方なくやってる部分もあり、俺はそれを「消極的前のめり」と呼んでいるんだけどね。何より俺は昔からクソ面倒くさい人間で、要はその面倒くさいところをある程度人に知ってもらったほうが色々と話が早いなってことで、ってこれそんなに難しい話じゃなかったわ。

それでも何よりこのアテンション過剰の世の中において、大切なのはやっぱり「聞くひと」を増やすことだと思っていて、そういう方向で自分を確立したほうがぶっちゃけ手っ取り早いと思ってるんだけど、いかんせんSNSってのは傾聴すること、というより傾聴しているという態度を示すことが難しいってことはずっと思っていて、どうしても言いっぱなしのメディアになってしまうし、そこがみんなを苦しめている要因であるように思う。まぁ、自分の意見を言うのなんてめんどくさいし、生きているだけで大事にされたいし、もう俺は猫になりたい。にゃーん。

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