〈往復書簡〉私から、波を起こす 第10便「世界は、目の前のひとりの中に」
第10便「世界は、目の前のひとりの中に」
2024年9月15日
今枝孝之さま
こんにちは。暦の上ではすっかり「秋」になりましたが、まだまだ連日30℃超えの高温が続く9月半ばの日曜日に、この手紙を書いています。爽やかな秋風に吹かれながら、赤や黄色に色づいた街路樹の下を散歩できる日が待ち遠しいです。
7月末に長子である娘さんが誕生されたとのこと、心よりお祝い申し上げます。暑い中でのご出産、奥様も大変だったかと思います。お生まれになったときの喜びもひとしおだったことでしょう。
親になる、ということは、人生における最大の変化のひとつだと思います。私はまだ子どもを持ったことがなく、自分の子どもという存在に出会った人の気持ちをほんとうに慮ることができません。しかし、きっとこれまでとは日々の生活のありかたも、物事の見え方も変わるのではないかと思います。
8月の一か月間毎日、ひびうたの運営する放課後等デイサービスおよび学童保育所で、小学生の子どもたちの遊び相手をしていました。これまで子どもに深く関わる機会があまりなかったのですが、週5日午前中の4時間みっちり彼らと付き合う中で、子どもたちの果てなきイマジネーションの広がり、いかなることにも全力で、真剣に取り組む姿を目にし、多くの大人にはないある種の美しさを認めました。我々が子どもの頃も、こんな目をしていたのかな、と、不思議に思います。自分の子ではなくても、この夏出会った子どもたちには、可能な限り幸せな人生を送ってほしいし、彼らが幸せに生きていくことができる世の中をつくるために、大人としてできることをやっていきたいと思いました。
さて、前回のお手紙では、私の祖父の物語を真摯に受け取っていただき、ありがとうございました。その後テレビの戦争証言アーカイブで祖父自身の証言を聞いてくださったとお伺いして、大変うれしかったです。
艦砲射撃のこと、教えていただいてありがとうございます。日立市が受けた攻撃について、少し調べてみて言葉を失いました。
1945年7月17日深夜から7月18日未明にかけての一晩で、米国の戦艦5隻、軽巡洋艦2隻、駆逐艦9隻、さらに英国の駆逐艦2隻が、日立沖から日立製作所の関連工場に合計870発の砲弾を発射。砲弾は工場のみならず、周辺の住宅地に着弾し、死者317人、重軽傷者367人、行方不明者9人の人的被害が出たとのこと。(参考:https://mito-ibaraki.mypl.net/article/kankou_mito-ibaraki/29143)
私はこの攻撃についての記述を読んでいて、最近読んだ『ガザ日記 ジェノサイドの記憶』(アーティフ・アブー・サイフ著、中野真紀子訳、地平社、2024年)という本のことを思い出しました。この本は、2023年10月7日にイスラエル軍によるパレスチナ自治区ガザ地区への軍事攻撃が開始されてから、同年12月末に著者がガザを脱出するまでの約3か月間の出来事が綴られた日記を書籍化したものです。著者のアーティフ・アブー・サイフ氏は、戦禍の最中からチャットアプリやボイスメールでその日起きた出来事を英国の出版社に送り、リアルタイムでガザ地区の惨状を報告し続けました。
アーティフさんの日記に記される出来事は、毎日同じです。すなわち、毎日何発もの爆弾が町に投下され、毎日パレスチナ人が暮らす家や会社や学校が木っ端みじんに破壊され、毎日何十人、何百人というパレスチナ人が殺されていくのです。アーティフさんの周りの人びと、親戚や友人たちも、昨日まで一緒にいたのに、一発のミサイルにより一瞬で命を奪われてしまいます。イスラエル軍はガザ市民に対して、攻撃が激化していない南部に逃げるよう勧告しますが、南への路上を爆撃して、逃げる途上の人びとを殺します。
イスラエル軍は、パレスチナ人の命の重みなどまったく認めていないようです。とにかく自分たちがガザ地区を攻略するという目的を達するうえで、たまたまそこにいる人間が死のうが、両手足がなくなろうが、孤児になろうが、どうでもいい、というように見えます。彼らは目的の途上におけるただの邪魔者でしかないのですから。
1945年の夏、工場を潰すために一晩中艦砲射撃を仕掛けた米英海軍にとっての日立市民の命や、原爆開発競争で他国に勝つために実用化を急いだ米軍科学者チームにとっての広島、長崎の人びとの命や、もっと言えば、本土防衛のため捨て石にされた沖縄の人びとの命も、同じような扱いを受けたのではないでしょうか。
しかし、命の重みというものがどのようなものであるか、生まれたてのお子様を腕に抱いたあなたにはわかるはずです。親になるということは、ひとりの命の重さを心からかみしめることができるということなのではないかと思います。
あなたの腕が覚えた重みは、今生きているすべてのものが抱えている重みなのです。誰も、一発の爆弾で一瞬にして消し去られてはいけません。その人が生きたという事実を、死者〇〇人の中のただの数字にしてしまってはいけないのです。それをできなくさせてしまうのが、戦争です。戦争だけでなく、行き過ぎた工業化社会や環境破壊、貧困などもそうかもしれません。原発事故の影響で故郷を追われた人にも、工場のずさんな廃棄物処理のせいで土砂崩れに巻き込まれて亡くなった人も、企業の酷使に疲れ果てて自ら死を選んだ人も、ただの数字の1ではありません。目の前の子どものからだの温かみが、そのことをもっともよく教えてくれると思います。
今枝さんは、一番最初のお手紙で、自分が本をつくるうえで「社会」に対する視線が足りないのではないか、創作物に乗せる「思想」が薄いのではないかという悩みを打ち明けてくれましたね。娘さんに素晴らしい、うつくしい世界を残したいと思っているあなた、そのために戦争の悲惨さを語り継がなければならないと決意している今のあなたは、その頃のあなたが探していたものの一端を見つけたということはできませんか。
私は、広い世界への扉を開く鍵というものはいつも自分の身の回りにあると考えています。目の前のひとりである娘さんを心から大切にすることによって、これから彼女が生きることになる世界がよくなっていくように、彼女とともにその世界を生きる人びとが幸福であるように、どうすればよいのかを真剣に考えることができるのではないかと思います。
私は祖父がマニラで戦ってきたことで、なぜ日本はあのように愚かな戦争の引き金を引かなければならなかったのか、そのために、自国民のみならず近隣諸国の人々に筆舌に尽くしがたい苦しみを味わわせてしまったのかを考える手がかりを得ました。それはやはり、彼が「私のじいちゃん」だったからだと思います。祖父という目の前のひとりの心の傷について理解したいという思いが、自分自身は行ったこともない、他に知り合いもいないマニラという町と私をつないでくれているのだと思います。
家族に限らず、私たちがかかわるあらゆる人びとひとりひとりが、その人が経験してきた世界を内包しています。その人たちとの交際の中で、自分の世界を見る目というものが、どんどん開かれていくのではないでしょうか。
▼著者
村田奈穂(むらた・なほ)
次回、今枝による第11便は、11月上旬に公開予定。
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初回アップ日:2024年10月4日(金)
責任編集:今枝孝之
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