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〈往復書簡〉私から、波を起こす 第1便 「社会と文学はつながるのか?」

愛知県常滑市を拠点に海の文芸誌『SLOW WAVES』を編集している今枝孝之と、三重県津市で書店・日々詩書肆室の室長を務める村田奈穂。
本を「作る」側と本を「届ける」側とで、本をめぐる思索の交流を、往復書簡の形で1年間行います。
常滑市と津市は、伊勢湾を隔てて(ほぼ)向かい合う街。おなじ海を間に挟む街は、言葉も風景も異なります。本をめぐる考えはどう異なり、どう重なり合っていくのか。伊勢湾に投げ込まれた「ボトルメール」のやり取りをお楽しみください。
(この下より、第1便が始まります)

執筆者

今枝孝之(いまえだ・たかゆき)

「SLOW WAVES」主宰・責任編集。1995年、茨城県日立市生まれ。東京での出版社勤務を経て、2022年より愛知県常滑市在住。2023年、『SLOW WAVES』issue01/02を刊行。5月にissue03を刊行予定。

村田奈穂(むらた・なほ)

日々詩書肆室 室長。1986年、三重県久居市(現・津市)生まれ。ブックハウスひびうた管理者を経て現職。共著書に『存在している 書肆室編』『映画と文学が好き!人情編』(日々詩編集室)。



第1便 社会と文学はつながるのか?

2024年1月20日

村田さん、こんにちは。はじめてお手紙を差し上げます。
この間は往復書簡のご依頼のメールへ、嬉しいご返事をいただき、ありがとうございました。本当にこのお手紙を始められることをとっても嬉しく思います。一年間、どうぞよろしくお願いします。

はじめて村田さんとお目にかかったのは、年が明ける前の先月12月、「円頓寺本のさんぽみち」で、日々詩書肆室のブースを見に行ったときでした。
古本の中に、見覚えのあるZINEが何冊か置いてあって、「あっ!」と思ったのが、お店のブースへ寄って行ったきっかけです。文学フリマで見かけた本や、名古屋ではON READINGのような書店でないとなかなか目にできなかった本を見つけられた嬉しさと安心感で、ついつい棚をじっと見てしまいました。
それに僕は、自分の本を三重県の本屋さんにも置いてほしいと思いながら、なかなかいい本屋さんがわからなくて困っていました。ちょうどそのタイミングで日々詩書肆室を見つけたので、よかった、探してた本屋さん、津にある!と、安心を深めたのです。本を一冊買い求めつつ、図々しくも村田さんにSLOW WAVESをその場でお渡しして、ぜひお取り扱いのご検討を、とお願いしてしまったのでした。

そのとき、僕が嬉しく思ったのは、お店番をしていた村田さんのかたわらに、プラスチックのカップに入ったビールが置いてあったことです。
近くの飲食店は屋台なども出していて、お酒を手に持っている人は他にもちらほらいました。そういうちょっとゆるい雰囲気があるのも、あのイベントのいいところだと思います。僕はそのビールを見て、「この人は信用できる!」と直感したのです。ビールを飲みながら本を売っている書店の方を信用できないわけがない。
僕はビールが出てくる小説が好きです。とりわけ村上春樹は僕にとって大切な作家で、どの作品もビールを飲んでいるところは好きですが、滝口悠生や保坂和志のような、日常を愛おしく描く作家たちの生み出す、ビールを媒介に会話が進むシーンがたまらなく好きです。滝口作品ならパッと思い浮かぶのは「死んでいない者」で通夜の前にみんながだらだらビールを飲んでいるところ。保坂和志なら「この人の閾」で「ぼく」と真紀さんが一緒に缶ビールを飲む雰囲気がいい。どっちも芥川賞を取っているし、ビール小説は芥川賞に強いのかもしれません。

とにかく、ビールは僕の中では文芸作品に常々、明るくてやさしい風景と、ユーモラスな解放感を与えてきた重要なアイテムで、それを堂々と手前に置いて本を売っている人は絶対に文学を愛しているのだから、この人は信用できる、と思ったのです。
数日後にSLOW WAVESをお取り扱いくださる旨と、一番良かった作品をメールで教えていただけたときは、本当にしっかり読んでくださった上でお取り扱いを決めてもらえたんだな、と、小さなZINEに真摯に向き合っていただけたことにとても感銘を受けました。

その後、日々詩書肆室のことをもっと知りたくなり、日々詩から刊行されていた本やブログを拝読しました。そもそも「ひびうた」ではコミュニティハウスひびうた等で福祉事業を行っていて、文化を通じた違いのある人同士の繋がりを後押しする場所として開かれたのが日々詩書肆室。僕は本屋の成り立ちに福祉の視点や後ろ立てがあるということについて、他の例を知りません。人に寄り添うこと、人を大切にすることを第一に考える姿勢が本屋にはっきりとあることは、とても心強いことだと思います。
そのように文章を読み進める中で、僕は村田さんが「ひびうた」と深く関わる過程を知ります。

30歳と大変お若くしてがんを発症されたこと。療養中に池澤夏樹編『世界文学全集』などたくさんの物語を読まれ、勇気を得ていたこと。その後も「本の会」という場で、本を通じていろんな方とお話をされ、それが「ひびうた」との出会いにつながっていくこと。
壮絶なご経験を経て村田さんが「ひびうた」へ辿り着くには、本というツールは間違いなく欠かすことのできないものだった。当時のことを綴られたご文章は、どんなフィクションよりも強く、激しく僕の胸に迫る強さを持っていました。大変な時期にそばにあった本が、新しい人生を拓いていく。なんて、とてつもないご経験をされているんだろう……。

もっと、村田さんのお考えを知りたい。
日々詩書肆室は、最初はたまたま見つけた書店さんでしたが、そこにある思いや村田さんのお人柄を少しずつ知っていくにつれ、気になる一方でした。僕は、本や文学に対する自分の思いや、わからないこと、好きなことを、村田さんに聞いたり、しゃべってみたりしたくて、このお手紙のことをご依頼したわけです。

村田さん。僕がいま、一番村田さんに話を聞いてほしいのは、本を作る上での思想が、自分はどうも弱いのではないか、と時折悩んでいることなのです。
本を作ることは大好きです。書き、刷り、綴じる。そのステップのひとつひとつは、どれをとっても高揚感があって、病みつきになる作業です。出来上がった本を読者に渡して、手に取って読んでもらう。楽しんでもらえればそんなに嬉しいことはないし、何かその本を通して、深く読者の思考が進むようなことが起きれば、その本が生まれた意味も深まるのかな、と思います。
大学を出て就職する時も、自分が仕事をするならば、何かを作ることしかやりたくない、そしてそれが本ならいい、と思って、出版業界に飛び込みました。

本を作り続けていたい。ずっと作っていたい。しかしその作る本に「乗っけられるもの」を、自分は果たして持っているのだろうか?と、不安になり、茫漠とした気持ちになることがあります。
今の僕にとって、本は明確な思想を届けるためのツールではありません。作ることを楽しみ、それを媒介として誰かとつながることを楽しむためのもの。そんな位置に、「とどまっている」気がするのです。
もちろん、熱い思いはあります。一冊の形にまとめるという営為には、強い思いがどうしても必要です。それがなくては、企画から完成まで、地味で煩わしい工程に満ちた本作りという道のりを、とても完遂できません。それに足る思いはある。しかし「思想」となると、それはどこか、薄いように思います。
SLOW WAVESを作る上では、誰もが忙しなく、時には自分らしささえも犠牲にして暮らす世の中で、「無為な気持ちを忘れたくない、大切にしたい」という思いはあります。すなわち、海辺に立ち、波の音を聞いている時のように、穏やかな気持ちを誰もが決して忘れることのないようにしたい、という気持ちです。

しかし、これは明確な社会課題や、困難を抱える人々や、日本の行く先に対して、何かを動かしうるパワーを持った思いではありません。これでは、僕の個人的な、内向きで茫漠とした思いにとどまってしまうのではないか。そしてそのレベルのものを、高いお金を払って印刷する価値や、誰かに買ってもらい、読んでもらう価値は、本当にあるのか。そんなことを考えるときがあります。
思想がなければ、すべてはファッションでしかなくなってしまう。それでは、何も届かない。僕はものを作る人間として、ほとんど直感的に、このことを自覚しています。しかし、肝心のその思想が、自分のなかにどれだけあるだろうか……。これは、ものを作ることを志し、実行に移す人間として、かなり大きな問題だと思うのです。それでも、作りたいのです。誰かの心を震わせる本というものを。

決して貧しくない家庭に生まれ、家族の愛情をたっぷり浴びて、大きく体を壊すこともなく、大学では海外留学までさせてもらって、不自由のない暮らしをしてきた僕は、無自覚に暴力的な存在なのではないか、と思う時があります。世の中に大きな疑問を持つこともなく、マジョリティとしての恩恵を知らず知らずのうちに享受し、のんべんだらりと生きてきた。社会問題や、他の立場で生きる人へ、真摯に想像力を働かせる機会というのが、少なすぎたのではないか。だから、思想みたいなものが薄いのではないか。そう思えてくることがあります。苦しんだり、辛い思いをしたりしている人々に対してノータッチすぎた、それは静かな暴力ではなかったか。

現実には、世の中は課題に満ちています。ガザもウクライナも先が見えません。能登半島はあんなことになっているのに、この国の首相はゴールデンのテレビ番組でニタついています。そして当然、テレビに映るだけが全てではなく、何本もの糸がもつれあい、日本を、世界を絡め取っています。僕はそこに対してどんな立場を取れるのか?
冒頭にも記したとおり、村田さんにとっての本は、ご自身の大変な時期を支えてくれた、かけがえのない存在であるのだと思います。だから、村田さんのお選びになる本には、村田さんの血が通っている、と思いますし、村田さんのご文章は、いくつもの書籍をくぐり抜け、咀嚼され、取り込まれてきたからこそ、ヤスリのかかった綺麗な文体で、でもそこにはっとするフレーズが忍び、読者の胸を打つのだと思うのです(こんなことを言うのは、僭越にすぎるのですが)。
「思想」という言葉が大袈裟に見えかねない時代です。しかし僕の言いたいことは、自信を持って自分の本を世に送り出すには、何が必要なのだろう、ということです。そのヒントが「社会」にあることは、僕の中では見えているのですが。

村田さんは、どんなことを考えて、街の方々に本を届けたいと思っていますか。届ける人が「届けたい」と思う本は、どんな思いのこもった本ですか。
僕の家は、常滑の海岸線からほど近いところにあるので、朝も昼も夜も、いつでもすぐそばに三重の海岸が見えます。夏場は靄がかかって見えない日も多いのですが、とくに今の、冬の時期は空気がきりっと引き締まり、時間帯を問わず綺麗に見える日が多いです。うちは四日市の向かいのあたりなので、「ひびうた」のある津市はもうちょっと南なのかな、と考えながら、海を眺めています。同じ海を、村田さんも眺めるときがあるのでしょうか。
海を隔てて、本のことを考えるこの一年間、どうぞお付き合いください。ご返事を楽しみに待っています。

今枝孝之
 


次回、村田さんによる第2便は、2月中旬に公開します。
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初回アップ日:2024年1月20日(土)
責任編集:今枝孝之

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