見出し画像

〈往復書簡〉私から、波を起こす 第3便「孤独さを海にうかべて」

第3便「孤独さを海にうかべて」

2024年3月9日

村田奈穂さま

こんにちは。先日は素敵なお便りをありがとうございました。
第2便にして「もうこの企画、終わってもいいんじゃないか?」と思ってしまうくらい、完璧に、僕の胸の真ん中に矢が刺さるお手紙でした。

僕の中に答えはあったんだと。本を作る上での僕の思いが——つまるところ思想が弱く、自己中心的で何の役に立たないものなのではないかという悩みへの答えは、自分の中に見出せる。

灯台下暗しというか、こういうのって、自分ひとりでは全然気づけないんだなと思います。僕は僕で、自分の中の深いところに降りていくことがうまくできずに、自分の外に、答えを見出そうと頑張ってしまっていました。もっと、自分のことを見つめないといけませんね。

自分にできる形で、対岸の人のことを思い続ける、それこそが僕のスタイルを形作る。こんなに心強い励ましはありません。僕は僕なりに、自分をこれまでよりもう少し信じて、対岸を見つめていたいと思います。
まったくもって、対岸、すなわち他者を理解することは、いや、他者を理解しようとすることそれ自体すら、決して簡単なことではありません。でも、簡単ではないからこそ、わかろうとする。対岸に目を凝らす。それをあきらめないから、きっと何かが生まれるんでしょうね。

それと、村田さんのお手紙でもうひとつハッとしたのは、「誰だって苦しむ必要はない」ということです。
村田さんはご病気をされて大きく人生が変わったとお思いでいながら、病気になってよかったと思ったことは一度もないと、きっぱり言い切ってくれました。苦しみや不幸せは、なるべく味わわない方がいいものなのではないかと。

時おり、僕は難しく考えすぎてしまいます。
そうやって難しく考えたり、わざわざ苦しむように自分の方向性を持っていったりすることは、逆説的でありますが、自分に安心感をもたらしてくれることがある、と思っていた節があります。これだけ苦労している、これだけ辛いことを味わっている、だから誰かが許してくれる。そういう整合性のない論理に甘えてしまう。

でも、村田さんがおっしゃるように、避けられる苦しさや不幸せを避けずにいていいことなんて、やっぱりないと思うんです。
苦しさに甘える態度は——言うなれば、苦しむ自己に陶酔する浅はかな態度は、本質を見失う原因になります。
誰かの苦しみを肩代わりすることはきっとできないし、仮にできたとしてもそれは本当の解決ではないのだと思います。だから僕は、苦しい立場にある人がいたら、その人のことを想像しなくちゃいけない。想像して、できることがあれば行動しなくてはいけない。それは肩代わりよりも、もっと誰かに寄り添える態度になる。そう思っています。

実感のともなった、ある人の人生とそこから生まれたものの見方が誰かを励ますということ。まさに、村田さんのその言葉が、僕を強く励ましています。
だから、思想というか、思いというのは、ある人の存在と切り離された独立したものとして考えるのではなくて、その人の人生の結果や経過として考えるべきであって、人そのものが思想みたいなものであるわけだから、つまりは無理に体系化してもあんまり意味ないんじゃないかな、と思うようになりました。
人の心を動かす本が、ひとりの人が生きた人生そのものから生まれるのなら、そのダイナミズムを哲学みたいに体系化しようとするのではなくて、まずはとにかく、生きること。己の目で見て、耳で聞いて、足で動いて、生きること。それが、何よりも大切なんだと思いました。

僕もまた、村田さんに拾われたのです。思考の波打ち際で、浜にうち上がれず波にも戻れずにいたところを、両手で掬い上げられて、安全な浜辺に戻してもらいました。
この浜辺からまた新しい漂流を始める前に、自分の考えを整理して、自分の表現に向き合いたいと思います。

海に容れてきたもの。
そもそも僕がこんなに、海というものに、情緒的に深く捉えられているのは、やっぱり生まれ育った茨城の日立というところが、あまりにも美しい海岸線を持っていて、そこに広がる海を毎日家から見ていたことが、全ての始まりだと思うのです。
東に向いた部屋の窓から、僕はずっと太平洋を見ていました。春も、夏も、秋も冬も。朝も昼も、夜も。
海を見るという行為は、不思議と、一人でなされることが多いように思います。「海」という言葉を思い浮かべる時、真っ先に僕の頭に浮かぶのは、一人で部屋から水平線を眺めていた、高校生の頃の静かな時間です。思えば、ユーミンの「海を見ていた午後」だって、相手が来ないんだから一人で海を見てるんですよね。

自分しかいない部屋に音はなく、水平線は微動だにしません。時折、大洗という港町から出ている、北海道の苫小牧へ向かう途中のフェリーが見えて、それが進むのをぼんやり眺めていました。高台にある僕の家からは海は見えたけど、近いわけではないから波模様も見えないし、波の音も聞こえません。でも、海というのは不思議で、いつまでも、いつまでも見ていられるんです。

村田さん。僕も、10代のころの、人にわかってほしい、人とうまくわかりあえない、人がむずかしい、そういうこんがらがった気持ちを抱えて、孤独な時間を味わっていました。その孤独な時間に忍び込んでくる、魔物みたいなさみしさを、海にぶちまけていたような気がします。

海は、かわいらしい永久機関です。波が打ち寄せて、また返し、音を生む。ただそれだけのことを繰り返しています。 
全容を想像することなど到底できない、巨大な空間はしかし、静かにゆらゆらとこちらへ波打ってきます。そんな人智を超えた空間に身を置いていると、「孤独」だとか、「理屈」だとか、「人間」だとか——そんな単語から漏れ落ちて行ってしまいそうな自分の気持ちさえも、海に溶けてしまいそうに思えて、自分は一人ではないのだし、さみしいだとか苦しいだとかそんなものは大したことのない、かわいいものにすぎないと思えてくる。
海は僕を癒やしてくれました。あのころの海の記憶が、今も僕を癒やし、SLOW WAVESを作らせるのかもしれません。

こうして文字を打っていると、10代の自分にとっての海は大きい存在だったんだなと、まざまざと実感されて、その思いを言葉にしようとすると止まらない。つい自分の話ばかりしてしまいます。
村田さんは以前、HIBIUTA AND COMPANYでお話しした時に「『遠くへ運んでくれるもの』じゃないですか。海って」とおっしゃっていましたね。
本もまた、村田さんにとって、海のようにいろんな遠くの場所へ連れて行ってくれるものだったのではないかと思います。世の中のことを知るというのも、きっと身近なことではなくて、遠い世界のことも含まれていたでしょうし、たとえ身近なことであっても、目には見えないこと、世界のことわりのようなことや、そんなことが書かれた書物が、村田さんに世の中というもののあり方を示していたのではないかと想像します。

そして、自分が一人だと思う時に、駆け込む場所として本があったのだとしたら、その気持ちはすごくわかります。周りの人のことがわからなくても、本は自分のことを待っていてくれますから。海も同じです。そして、そこに見えない遠くの世界とつながるツールとしても、海と本というのは似通っているのだと思います。

村田さんが少女だったころ、一人だと感じるときやつらいとき、本に届けてもらったものはどんなものでしたか。どんな本を読んで、どんな声を聞いていたのですか。
きっと僕が海を眺めていたのと、村田さんが本を読んでいたのとは、同じような経験だったのではないかと思って、こんなことを聞きたくなりました。


▼著者
今枝孝之(いまえだ・たかゆき)

「SLOW WAVES」主宰・責任編集。1995年、茨城県日立市生まれ。東京での出版社勤務を経て、2022年より愛知県常滑市在住。2023年、『SLOW WAVES』issue01/02を刊行。5月にissue03を刊行予定。

次回、村田さんによる第4便は、4月中旬に公開予定。
"SLOW WAVES sailboat"ぜひフォローをお願いします!

SLOW WAVES 海の文芸誌
https://lit.link/namiuchigiwapublishing

HIBIUTA AND COMPANY
https://www.hibiuta.org/hibiuta-and-company-%E5%85%B1%E6%9C%89%E5%9C%B0/


初回アップ日:2024年3月9日(土)
責任編集:今枝孝之

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?