#03 米国で普通のサラリーマンが、金融資産「100万ドル」(約1.5億円)達成するまで
家族形成とクレジットスコア: 10万ドル→20万ドル
日本での1億円と同様、アメリカでは『ミリオネア』(100万ドル)が一般の人々の資産目標として語られます。私は2015年に5千ドルだけ持って仕事の当てもなく渡米し、2024年5月に金融資産100万ドルを達成しました。貯蓄も投資も全くしていなかった私が、地道に米国の金融知識を学び、この目標を達成できました。普通の人がコツコツと積み上げて100万ドルを達成することは、他の人々の励みになると思い、Noteに書くことにしました。前回の投稿では、会社員となって10万ドルの金融資産を築くまでの過程をまとめました。
見出しのクレジットスコアですが、個人の信用力を数値で表したもので、主に金融機関が借入申請者の信用リスクを評価するために使用します。スコアが高いほど、ローンの承認やクレジットカードの発行が受けやすくなり、低金利の条件で利用できる可能性も高まります。ローンを組まない場合でも、賃貸契約時に家主が求めることがあり、スコアは米国では非常に重要視されます。
実績が無いとスコアはありません。賃貸契約などでは、会社員であることを証明でき、渡米したばかりといった理由があれば、実績がなくても問題とされない場合もあります(低スコアが一番嫌がられます)。ただ、その重要性を嫌でも耳にするようになり、将来的に住宅ローンを組むことを見据え、この頃にはクレジットスコアを気にするようになりました。クレジットスコアについては別の回で詳しく説明しますが、実績の年数も関わるので、早めに準備するに越したことはないと思います。
子供も生まれ、家の購入も頭をよぎる様に
2016年9月(米国で初めてクレジットカードを作る)
クレジットスコアを獲得するためにはクレジットカードの発行が手っ取り早いですが、スコアが無いと承認されないことがあります。私の場合、利用していた金融機関の店舗で紹介された手数料無料のカードを発行しましたが、その後クレジットカードについてかなり調べ、何枚も発行しました。既に口座を持っていたり関係がある金融機関で、店舗で店員と直接話すと承認がおりやすくなる場合があります。その他、駐在向けの商品や、アメックス利用者であれば他国の実績が反映されることもあります。
ちなみに、米国人の妻はお金に無頓着で、過去に学生ローンの支払い遅延があったためスコアは悲惨な状態で、クレジットカードの発行もできない状況でした。そういった場合や、米国人が初めてクレジットカードを発行する際には、事前に50ドル等を支払って、半年間問題無く支払いを継続すると返金され、普通のクレジットカードに格上げできる学生向けや、低スコアを修復したい人向けのカードもあります。
アメリカの格差問題を含むクレジットスコアやクレカ事情については別で詳しくまとめますが、渡米して1年ほど経ち、自分と妻のクレジットスコアも真剣に考え始めるようになりました。
2017年夏(子供が生まれる)
クレジットスコアを真剣に考え始めた理由の一つには、妻の妊娠が影響していたかもしれません。日本以上に、アメリカでは家を買うことが資産形成の一部であり、今後ニューヨークの家賃上昇は常に不安だったので、将来の住宅購入を考えるようになりました。
出産4ヶ月前位になると、妊娠中の妻は通勤が大変だったため、賃貸ですがマンハッタンの物件に引っ越しました。私はずっとブルックリンに住んでおり、マンハッタンは手が届かないと思っていましたが、古い建物ならそこまで家賃が高くない物件もありました。
ちなみに、妊娠から出産にかけて、お互い企業に勤めていたことが非常にありがたかったです。まず、企業経由で健康保険に加入していたため、少しは不安が和らぎました。とはいえ、妊娠当初から出産に至るまで約2万ドル(約228万円)の諸々の費用がかかったと記憶しています。医療機関からの請求書には、元の請求金額と保険会社が交渉した金額が併記されるんですが、出産先の医療機関の一番初期の請求額は約4万ドル(約456万円)でした。この金額から、保険会社の交渉やカバーされる部分が引かれ、私たちへの実際の請求額は約1700ドル(約19.3万円)だったのですが、これらの経験が、支出に対して保守的になる要因となりました。
また、出産および子育てに対する企業や社会の寛容さも感じました。妻は12週間、私は3週間の産休がありましたが、それ以外でも早退や緊急の休みにも同僚等は非常に寛容でした。さらに、小さな子供を連れてレストランやスーパーに行くと、店員や他のお客さんが気を使ってくれたり、優しく声をかけてくれることが多かったです。一方、日本に戻った際にはたまたまな部分はあると思いますが、冷たい視線を浴びることが多かったです。
副業の量を増やす
元々副業をしていましたが、子供が生まれてからお金に対して保守的になり、いくつかの経験を経て、副業の数や質を自分からリーチして増やそうとしていた頃です。最初は時給35ドル〜45ドルが多かったですが、徐々に時給55ドルが平均になっていきました。また、精査された人しか参加できないフリーランス団体にも所属し、仕事を取りやすくしました。
究極かもしれませんが、本業から休みをもらい、その休日に別の会社で働いた事もありました。今でもその会社での経験を新規顧客に話すことがあります。本業がおろそかになるのではと思われるかもしれませんが、他の会社の仕事の進め方や考え方を学ぶことで、本業を効率よく回したり、新しいアプローチを見出したりする相乗効果がありました。本業もしっかりこなして評価が良ければ、自由が効く環境に身を置けたのは幸運でした。
年収が安定してきたとはいえ、健康費が高いアメリカではいつ状況が変わるかわからないという不安が常に頭の片隅にあり、副業でその不安を補っていました。行動に移すかは別として、同様の不安は多くのアメリカ人も潜在的に感じていると思います。ただ、当時の私はその防御策を「さらに働く」ことに頼っており、投資や不動産に関する知識も少なく、行動に移すこともしていない時期でした。
社内で異動したら、知らない間に転職する事に
約2年間大手企業の同一部署で働いていましたが、次第に飽きを感じ、このままではいけないという危機感を覚え、本業を変えるべきだと本気で思うようになりました。結果的に社内の新規事業を紹介され、少し手伝っていたところ引き抜かれ、そのままその事業に正式参加することになりました。しかし、その直後に親会社の買収案件に巻き込まれ、事業自体が別会社へ移管されることになりました。このM&Aで自分の意図しない形で事実上の転職となり、別会社のチームが混ざり合い、主導権争いなどで心地良い環境ではありませんでした。米国の職場環境で一番ストレスを感じていたのもこの時期だったと思います。
生活状況のまとめ (2017年4月〜2018年12月)
住居: 2700ドル/月 ※当時レートで約29万円(マンハッタン)
仕事: 18年の世帯年収 23万2千ドル ※当時レートで約2,550万円
自分: 本業の年収 13万5千ドル ※当時レートで約1,450万円(時給55ドル前後の仕事も少し掛け持ちしてました)
妻: 時給 8万8千ドル ※当時レートで約968万円
金融資産: 10万ドル→20万ドル
資産内訳:
普通預金口座 (Checkingアカウント) 12%
預金口座 (Savingアカウント) 80%
確定拠出年金 401(k) 8%
当時の振り返り
賃貸や保険など、ローンを組まなくてもクレジットスコアがあると楽です。クレジットカードを発行するのが手っ取り早いですが、スコアが報告されるまでには半年ほどの支払い履歴が必要です。また、スコアの構成要素の一つにクレジット記録の歴史も影響するため、早めに考えておくことをお勧めします。
ある程度の預金があったため、子供が生まれても慌てることはありませんでした。もちろん手探りの部分がほとんどでしたが、お金の心配がそれほど大きくないのは助かりました。当時は無知でしたが、健康貯蓄口座(HSA)を活用するのが一番税制上有利です。
スタートアップや起業が人気な米国で、私も憧れていましたが、出産や子育てのタイミングでは福利厚生がしっかりしている大手企業で働けてよかったと思います。子供ができることは、資産管理や税制について更に調べるきっかけとなりました。
次は、資産が30万ドルになり本格的に投資を始めた2020年3月頃まで説明しようと思います。
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