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恐怖で逃げ出した元NHK記者が、いま願うこと

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書き手:熊田 安伸

「ばれてるよ、ばれてるよ、これ。危ないよ」

それまでしばらく相手と広東語で話していた通訳の女性が、俺のほうを向いて日本語で語りかけてきた。相手に気取られないよう、あくまで笑顔なところがプロだ。

くそっ、何かミスをしたんだ。なんだ?さっきの質問は変だったか?

「おいY君、ちょ…」

背後にいるディレクターに語りかけようと振り返った瞬間、原因が分かった。ああ君か…

フリーズしていた。人間という生き物はこんなにも見事に静止できるのかというほどに。

彼は小脇に小さなハンドバッグを抱えていた。中にはカメラが仕込んであって、5ミリほどの小さな穴を通して撮影をしている。ちょっとブレただけでも映像が乱れるのでそれを恐れたのと、過度の緊張のためだろう、不自然に硬直して、まばたきさえしていない。瞳孔、開いているんじゃないか…。

正確にいうと、大量の汗だけがフリーズせず、彼の額から滝のように流れていた。俺は心の中で「はい終了ー!」と叫んでいた。叫びたかった。

さっきまで和気あいあいと会話していたはずの相手が、ディレクターを指さして広東語で盛んにまくしたて始めた。声音に怒気が含まれている。それでも通訳はあくまで笑顔で「『こいつなんかおかしい』って言っているよ。もうダメだよ。これ危ないよ」と俺に語りかけてくる。プロだなー。

だめだ、ここで笑顔を崩してはだめだ。でもどうすれば…。

ミッションは「香港の闇取引に潜入せよ」

ここは香港。我々NHKの取材班は、ある闇取引の実態を解明しようと、乗り込んでいた。

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日本で販売される高級ブランド品。それが正規代理店より安く手に入る並行輸入の店が人気を集めていた。しかしそもそも、なぜ安売りができるのか。そこにはカラクリがあった。

ブランド品が日本に輸入される際、通常なら高額の関税がかかる。しかし香港の業者が複数のダミー会社を作ってブランド品を「安い商品」と装って輸入し、関税を大幅に抑える手口を使っていた。「アンダーバリュー」と呼ばれる手口だ。これによって140億円分もの商品を不正に日本に入れ、安売りにつながっていたのだ。

情報を得たのは、国税担当の後輩であるK記者だった。こういう大きな事件の場合、テレビ局では一人で動くということはまずない。社会部の「経済事件班」はいつもチームで動く。そしてチームの「記者頭」である俺には、いつも一番厄介な役割が回ってくる。

「息子を裏口入学させるため、有名大学側にカネを払った医者がいる。説得して裏金を告白するインタビューを撮ってこい」
「公共事業を受注した企業から元大臣が献金を受けているようだ。仲介に当たった秘書が受領を認めなければ放送はできないって“上”が言っているから、何とか撮ってくれ」
「暴力団組長が脱税で告発されたという情報がある。ちょっと組長に当たってくれ」

「そんなの無理!」と叫びたくなるような案件ばかりだが、調査報道記者に無理の二文字はないのだ。と、後輩たちの前では格好をつけるしかない。そしてやってみれば、何とかなるものだ。当初は頭を抱えていても、一つ乗り越えた時の満足感は、何物にも代えがたい。

でもそんなのはまだいい。まだいいんだ。今回と比べたら。

何の足場もない香港。もちろん行くのは初めてだ。日本国内での取材なら、過去に軟禁されたような状態になったこともあるが、事前に対策を準備しておくことができる。しかし香港では逃げ場がない。闇取引か…すぐに「黒社会」=香港マフィアのイメージが浮かぶ。いやまて、全然関係ないかもしれないし。杞憂だ、杞憂。

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NHKにも香港支局はある。しばらく前に情報を送っていたが、取材をしてくれている気配はなかった。それもそのはず。当時、香港ではあの恐怖の感染症「SARS」が蔓延していたのだ。

ようやく収束が見えてきたところだったが、街はまだ厳戒態勢。公共施設や商業施設はどこも消毒の香りに包まれていた。支局は報道の面でも安全管理の面でも「SARS」と対峙することで手一杯だったのだ。現地に着いて、赴任していた同期の記者に会いに行ったところ、「もうずっと日本から送られてきたカップ麺しか食べてないよ」と、疲労の色をにじませていた。

幼いころから感染症にかかりやすかった俺は、冬場の張り番でもすぐに風邪をひいて寝込む体たらくだ。それがSARSの香港…しっかり言い訳をしておくが、二重の恐怖の中で取材していた。

「先輩、バレてます!すぐ脱出を」

「アンダーバリュー取引」のグループに、なんとしても接近したい。

香港にも日本の法務局と同じように「登記所」があって、そこで会社の基本的な情報は見ることができる。登記とくれば得意分野だ、と勇んだものの、表面的な情報しか入手できず、すぐ手詰まりになった。(当時はネットでまだ情報がとれなかった)普段なら紹介者を幾重にも連ねて本丸にたどり着くのだが、そのルート構築ができなかった。

香港の当局に当たることも考えたが、それこそ、どこで情報が漏れるか分かったものではない。自力でなんとかしないと。

ただ、問題の業者と何らかの関係があると見られる者のリストアップはできていた。ならば直接、そのうちの一人の懐に飛び込んでみよう。昨今のブランド品流通事情を尋ねながら、徐々に取引の実態を聞き出せないか。せめてヒントになるようなワードは出てこないかと、乾坤一擲の取材に賭けたのだった。

ところが……冒頭に述べたように見事に失敗した。

笑顔を崩しちゃいけない。笑顔だ。

「いやー勉強になりました!」

とにかく日本語でまくしたて、ディレクターを指さす相手の手を無理やり取って握手!「次の取材の約束がありますから」とかなんとか言って、踵を返す。通訳はなんと伝えていたんだろう。

慌てるな、焦るな、走るな。振り返らずゆっくりと建物を出る。とてつもなく、時間が長く感じる。

角を曲がったところでみんなに言った「走ろう!」。

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私たちが乗ってきたワゴン車は、1ブロック先で路上に止まっていた。

「エンジンかけて!」
車に着くと、カメラマンが緊張した面持ちで待ち構えていた。ディレクターもフリーズしていたとは思えないほど機敏に動き、息を切らしている。素人目には、追跡してくる者はいない様子だった。

幻影に怯えただけだったのか。それとも…。

しかし翌日、答えはすぐに出た。

「先輩、バレてます。バレてますよ。すぐにそこを脱出してください!」

日本にいるK記者からの国際電話だった。焦っているのか、かなり早口だ。

香港のグループの間で「日本のマスコミが嗅ぎまわっている」という情報が回り、日本にいる関係者にまで伝わったというのだ。

「わかった。すぐに支度できるから、空港に向かうよ」

「背中に気を付けてくださいよ」

最後の言葉は冗談めかして言っていたが、こっちは現場なんだよ…気にしすぎかとも思ったが、本当に壁際を歩きつつ、移動した。

結局、事前に取材した香港でのブランド品流通に詳しい別の業者などのインタビューと、関係先の撮影ぐらいしかできず、グループの実態に迫る取材には失敗した。正体さえ見極められず、大した成果もなく引き下がることになってしまった。

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機上の人になって、自分で自分にいろんな言い訳をしたが、正直、悔しかった。それでもどこか、ホッとするような気持ちがあった。成田に着いた時にはそんな自分に気づいて、再び情けなくなったーー。

「私が殺されても、同僚が引き継ぐから」

18年前の香港での取材をいま振りかえると、ああすればよかった、こうすればよかったという後悔しかありません。結局、私は足がすくんでいたのでしょう。

普段の取材でも、私の置かれた環境など実に甘いもの…いまはそういう思いを強くしています。この本などを読むと、特にそう感じます。

主人公は「ノーバヤガゼータ」というロシアの新聞社と記者たち。政府から距離を置き、不偏不党、中立公正を貫こうとする彼らは、まさに日々命の危機に直面しています。アンナ・ポリトコフスカヤは、彼女のアパートに潜んでいた者に至近距離から撃たれ、絶命しました。アナスタシア・バブーロバも、社の顧問弁護士とともに白昼、路上で射殺されました。

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アンナ殺害についてノーバヤ編集部(HPより)

ノーバヤガゼータだけではありません。ロシアでは多くのジャーナリストが狙われ、命を落としています。撲殺されたり、毒を盛られたりするケースも相次いでいます。

「84人が殺害されたとみられるが、自身のジャーナリスト活動が原因で殺されたと推測できるのは、さらにそのうちの48人だ。48人の殺害のほとんどは嘱託殺人と思われるが、首謀者、実行犯ともに逮捕された例は数えるほどしかない」

そんな状況であるにも関わらず、彼ら、彼女らは圧力に屈せず、あくまでジャーナリストの良心を貫こうとしています。

「もし私が殺されても、『ノーバヤ』の同僚たちがそのあとを引き継ぐでしょう」(エレーナ・ミラシナ)

そういえば、先に述べたハードルの高いミッションの数々を私に言い渡し、一緒に乗り越えてきたのは、Mさんという社会部のデスクでした。彼自身も長く事件取材の道を歩み、散々危ない橋を渡っていました。

その人は毎晩のように本当によく酒を飲んでいました。ある日、
「なんでそんなに酒を飲むんですか」
と尋ねてみたところ、こんな答えが返ってきました。

「一つ、あす取材する先に怯まないように。
 二つ、あす死んでしまっても後悔がないように」

この場合の「死んでしまって」は、健康面のことを指しているような気もして若干意味合いが違うようにも思いますが、この言葉、私も酒を飲むときの言い訳にしました。とはいえ私の場合は、どこかで「命までは取られない。だから突っ込んでいくんだ」と考えるのが関の山。その程度が本音だったのかも知れません。

「折れぬ、曲げぬ、まつろわぬ」その理由

彼ら、彼女らがわが身を顧みず、ジャーナリズムを貫こうとするわけ。それはつきつめると、一つの理由にたどり着きます。

ジャーナリズムが国家と一体になってしまえば、国民をあらぬ方向へと導いてしまうのは容易です。そんな歴史を決して繰り返してはならない。そういう反省があるからです。

本書では、昭和史において日本のジャーナリズムがいかなる事由があって健全さを失っていったか、半藤一利と保阪正康が当時の事情を縦横に語り合い、そこから得られる教訓を投げかけています。

何がいちばん大事かと問われれば、あえて私は、言論の自由・出版の自由が権力者をあらぬほうに走らせないために最重要なことと考えている、と答えたい。ジャーナリズムの健全さ、自由濶達さこそが政権のあり方を監視し、制限、国家を支えるための根幹なのである。(半藤)

そもそも、日本の多くの記者は会社に属する「企業ジャーナリスト」です。記者が孤立しないよう、本来なら会社に守る役割もあるはず。しかし昨今の状況を見ていると、組織に不信感を抱いている記者も少なくないと思います。そして会社が守り切れるかというと、それはやろうとしても決して生易しい道ではありません。

記者個人がその良心に従って記事を書く時代たりえただろうか。自分は戦争そのものに反対である、日中戦争は日本の理不尽な要求から出発しているのであるから即時停戦しなければならない、との考えを持っている記者が、そのような思いで自由に記事を書けただろうか。(中略)
答えはいずれも「否」である。国家はそんなに甘くはない。(保坂)

いまの自称ジャーナリストは勉強不足だ、というお二人。耳が痛い話ですが、傾聴に値する金言多数です。

いまの時代だから生まれた、新たな希望

とはいえ、決して記者の命が奪われるようなことがあってはなりませんし、記者は「無謀」であってはなりません。

いまの時代ならではの、新たな希望が生まれつつあります。

決して記者を孤立させない、可能な限り助け合い、危険を回避する方法。そんな新たなジャーナリズムの在り方が誕生していることを報告しているのが、こちらです。

アゼルバイジャン共和国で政権の不正を追う調査報道記者が逮捕・拘束されてしまった時に、中東欧と中央アジアを拠点に記者たちが連携する非営利組織が立ち上がり、これにスウェーデンの報道機関も呼応して調査報道を引き継いだ例や、アフリカとイタリアのメディアが連携してマフィアの進出を追跡した例など、今の時代ならではの「国際連帯」の実例を紹介しています。

1つの国のジャーナリストだけでは困難な取材も、各国のジャーナリストが手を組めば成し遂げることができる。その国で報じられなくても、他国から援護射撃することもできるということです。

本書でも紹介しているアメリカ調査報道記者編集者協会(IRE)の大会には1000人を超える記者が世界から参加し、知識やテクニックを共有しています。

「政府が支出した金の行方を追跡する手法」
「スポーツ分野・健康担当記者にできる調査報道」
「データをデジタル地図に」
「取材に使えるアプリ五〇選」
「読者・視聴者参加型の調査報道」

こうした取り組みは、IREをモデルにしている日本の報道実務家フォーラムなどでも行っています。

紹介されているもう一つの組織、世界調査報道ネットワーク(GIJN)の大会で共有されていたスキルも、かなり刺激的です。

「汚職の調査報道」
「身元を隠しての潜入取材」
「紛争取材」
「テロや過激組織の取材」
「法による攻撃から記事を堅守する」

以前、南アフリカで開かれた大会に、私の部の若手記者を送り込みました。帰国した彼が開口一番に言ったのが、「現地での過酷な取材状況はよくわかりましたが、ある意味、日本国内での取材にはあまり参考にならないケースが多かった」ということでした。

しかし見方を変えれば、私たちが世界のメディアと組んでそれを支援し、ともに報道することは十分に可能です。

「スローニュース」にも支援させてください

こうした知識を得たいまになって18年前の取材を振り返れると、そうだ、香港の現地メディアと連携して闇取引を暴く手があったな、と思い至ります。お互いに情報交換ができれば、それぞれにとって有益な取材ができたことでしょう。どこまでのラインが危険か、どこから取材先にアクセスすべきか、問題の本質は何なのかも分かったかも知れません。

しかしご存じの通り、香港では「リンゴ日報」が発行停止に追い込まれるなど、いま言論の自由は極めて厳しい状況にあります。それでも、だからこそ、連携すべきなのかもしれません。

何も命がけで取材しろと言っているわけではありません。「臆病者」であることは、生き延びるための大切なセンスだとさえ思っています。そして調査報道を行うべきテーマは国や企業、犯罪組織を相手にするシーンだけでなく、私たちの身近な生活の中や、地方の現場にこそあります。それも、きっと人々の暮らしや命にかかわる大切なものです。

そして今、日本のメディアをめぐる環境は、別の意味で厳しいものがあります。経営の問題や人材・リソース不足などで危機に直面しているからです。先日、あるメディア人が「このままでは日本のメディアはNHKと日経しか残らない」というようなことを語っていました。そんなことは現実的にはあり得ないと思ってはいますが、万が一、そんなことになってしまっては、報道の多様性が失われてしまいます。

そんな中で生まれたのが、スローニュースです。

スローニュースのミッションは、読み放題のサブスクリプションサービスだけではありません。地方のメディアの皆さんや、独立系のジャーナリストの皆さんなどにも様々な支援を行い、一緒によりよい報道を実現したい。そして戦うための道具=調査報道のテクニックも提供できれば、と思っています。

私事ですが、そんな理念に共感してNHKからスローニュースに移籍しました。これからはNHKだけでなく、すべてのジャーナリズムを支える手伝いがしたいから。

もう記者たちが、誰も怯まなくていいように。私も、もう怯みたくはありません。

ぜひ、一緒に苦労させてください。お手伝いさせてください。

(文中敬称略・画像はイメージです)

熊田 安伸 SlowNews Senior Contents Producer 

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2021年8月にNHKから移籍。NHKや日本記者クラブ、報道実務家フォーラムで調査報道や災害報道の講師も務めてきました。メディアの方、フリージャーナリストの方、WEBコンテンツでの連携や調査報道の手法講座などのご用命、お待ちしております。(詳しいプロフィールや勉強会の開催については以下のリンクから)

【メディアの在り方を考えるおすすめ本】

【スローニュースに移籍した経緯はこちら】