日本橋人形町 その弐
スローリー余話
街のなりたち#8
昭和のはじめに「人形町」という町名が誕生する以前は「元大阪町」や「堺町」。そして1965(昭和40)年までは「浪花町」など大阪との繋がりを思わせる町名もありました。中央区の佃島は徳川家康が大阪の佃村の漁師たちを江戸に招き彼らが住んだことから佃島と呼ばれたことが有名ですが、人形浄瑠璃などの芝居小屋があったこのあたりには近松門左衛門などを輩出し浄瑠璃文化の盛んだった大阪のひとたちが多く移住したのではないかと推測されます。
人形浄瑠璃をはじめ「人形」に関わる人々が多く住んでいたと言われるこの街には、創業110余年、今も店内で手焼きされる名物『人形焼き』を目当てに行列が絶えない名店『板倉屋』があります。
(以下、2024年3月末号『東京Slowly² vol.3』より)
お客様の笑顔で完結する“街の名物”
人形焼本舗 板倉屋
人形町通り、朝9時から店の奥で次々と焼かれている街の名物『人形焼』。創業は1907(明治40)年。もともとは「焼きまんじゅう」という名前で、芝居見物に訪れる人たちに愛されていた。その後、初代が人形町の名前にちなんで『人形焼』と命名したという。布袋尊、弁財天、恵比寿、毘沙門、大黒天、寿老人、弁財天と七福神のうち6つの神様をモチーフにした『人形焼』は七番目にお客様の笑顔で完結するという。小麦・卵・蜂蜜・小豆など原材料を吟味して手づくりされる『人形焼』。開店間もなくから出来たてを買い求める顧客で賑わう“街の名物”だ。
人形焼本舗 板倉屋
〒103-0013 東京都中央区日本橋人形町2-4-2
03-3667-4818
営業時間:10:00-17:30
定休日:日・祝