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「緘黙!」

 授業科目は医学系が多かった。解剖学は好きな科目だったが、対極と言える精神分析学も面白かった。今でもよく記憶に残っている精神科医の先生の授業、、年配の落ち着いた方だった。STへの道を決めるまでは臨床心理士も選択肢として考えていたくらいに人の心について知りたい、学びたいと思っていた学問である。

 最前線の精神科医の授業。その先生の授業は、開いた心に届けられるような、語りと言っても良いような講義で、授業というよりは、何というか崇高なお坊さんのお話を聴いているような気がした。

 先生のレポート課題が「緘黙」だった。精神科医とSTの接点から採られたのだろうか。その時の場面と先生の芯のある強い声、「かんもく(緘黙)!」という『聴覚表象』🙂が甦る(「緘黙」とは、簡単に言えば話す能力は損なわれていないが、心が発話を起こさせない状態,と言えよう。家では喋るのに学校では話せない等の「場面緘黙」はそのひとつ)。そして課題本がピカートの「沈黙の世界」だった。今も本棚の奥にある。久しぶりに取り出した、、

「もしも、言葉に沈黙の背景がなければ、言葉は深さを失ってしまうであろう。」「愛の中には、言葉よりも多くの沈黙がある、『黙って!あなたの言葉が聞こえるように』」

「沈黙の世界」マックス・ピカート

、と表紙にある。

 パラパラとめくって行くと、「古代の言葉」という章では、こう書いてある。

 黄金時代についてのいくつかの物語の中に、人間はあらゆる動物や、樹木や、花や草の言葉を理解したと語られている。それは、沈黙の充溢から生まれ出たばかりの最初の言葉の中には、まだ一切を包んで、自ら四辺(あたり)に充満する力が存在していたことへの追憶のようのである。

同p58

 昨年から大学でSTの卵達に教えている。授業のひとつのテーマを「言語の始まり」にした。700万年頃前にチンパンジーと枝分かれしたヒトはいつ、どのように最初の言葉を獲得したのか、、を進化人類学などを基に講義してみた。

 STとしての手掛かりは生後の言語発達である。「個体発生は系統発生を繰り返す」の言葉を逆手に取ると、受精後からの胎児の成長から言語も系統発生の道筋を想像できるのではないか、、と思う。生後一年で初語を獲得し3語文を獲得する辺りまでをヒト(ホモ属)の進化の過程に照らし合わせる事ができるのではないか。(発達心理学の祖であるフランスのピアジェが似たような考えだったと最近知った)

 ピカートのこの文章は、詩的だが真実だろう。騒音のない森、動物の鳴き声や木々の揺れる音、また草原に吹く風の音、、、自然音だけの無音のような世界でヒトの言葉は生まれたに違いないからだ。人の音声はどこまでも届く際立つ音だっただろう。

 どの授業でも毎回のように質問をしていた私は、この先生にだけは最後まで一度も質問をすることはなかった。大きな知的欲求をもって、一言も漏らさず聴こうとして臨んだ授業なのに、である。計らずも「沈黙」の中で受けた唯一の科目だった。

📗12月に読んだ本
「道草」夏目漱石 岩波文庫
「胎児は見ている」T.バーニー 祥伝社
「『甘え』の心理」加藤諦三 大和出版
「女の脳・男の脳」大島清 祥伝社



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