縄文のヴィーナスを張子に
にわかに縄文土偶への関心が急上昇中の自分。とはいっても埴輪や土器の造形、佇まいにはまったく惹かれず、心奪われているのは土偶の数個体のみ。
人類文化学者・竹倉史人さんの著書『土偶を読む』を読んで、土偶は日々の食糧を産み出す多産で強靭な植物を写実的なモチーフにしたものという推察に強い共感を覚え、トチノミをボディデザインに取り入れたという『縄文のヴィーナス』は一目惚れしちゃいました。
職場にはトチノキが植っていて、9月下旬以降はその周辺にトチノミが無数に転がっていて、じっくり眺めるとヴィーナスの腰回りの造形そのものに思えてくるし、この実を食べに来るアカネズミを狙うマムシもよく見かけるもんだから、豊穣な食糧を護るマムシの眼とトグロ文様をヴィーナスに写したという竹倉説がすうっと腑に落ちてしまうのです。
という自分には身近な素材と景色を写したっぽい、長野県茅野市で発掘された『縄文のヴィーナス』。文様をミニマルにした簡素さと洗練のボディデザインに魅了され、実物を観に茅野市尖石縄文考古館まで出かけたいのですが、電車で片道7時間近く要する道のり。日帰り弾丸旅はしんどそうだし、張子でフォルムをなぞってみることにしました。
実物大でヴィーナスを掲載しているムック本を参考にまずは型づくり。宅配の梱包に使われていた厚紙がたまたまそばにあったので活用。異様に膨らみ出っ張ったお尻が最大の特徴で、それを意識しながらざっくりと。
紙粘土でぜんたいを成形し、乾かせば型の完成。この時点で実物と比してふっくら、かつ、かなりかけ離れたかたちですが、気にせず前へ進みます。実物同様、この張子型も自立するのですが、自身の手でかたち作ってみると、ヴィーナスがいかにバランスを苦慮したかがわかります。ヘルメットみたいなものをかぶる頭部はいかにも頭でっかちで、そのままだと倒れてしまいます。そうならないようお尻をたっぷり膨らませ、出っ尻にして重心を整えている。ヴィーナスを創作した縄文人の素晴らしいバランス感覚に驚嘆せざるを得ません。
あとで張子を型から外しやすいようサランラップで型を包んでから、ちぎった習字用半紙(和紙)と補強目的の新聞紙を水で溶いたヤマト糊を塗りながら最低10層ひたすら貼り重ねていきます。はじめに覆う半紙だけは水だけで貼るのがポイント。くびれが多々ある造形なのでラップが緩まないようテープでぐい、ぐいっときつめに巻き締めました。
新聞紙で包むと渋い雰囲気に。フランスとかの新聞紙を貼って、それだけで完成させてもおもしろいかもしれない。こんどやってみよう。さらに半紙を気が遠くなるくらい何時間も黙々と貼り重ねていきます。自分はこうした単純な反復作業が嫌いではないというか、得意かも。
一週間、自然乾燥させてカッターで2分割しつつ型から固まった外皮を剥がし取ります。入念に半紙を貼り重ねた甲斐あってわりときれいに型抜きできました。ヴィーナスはくびれ部分が多く、張子化は不器用なぼくにとっては難易度が高かったのですが、すんなり成功したのは嬉しく、今後はさらに複雑なかたちに挑もうと大いに自信がつきました。
左が張子、右が型。実物よりもさらにふくよかなボディになってしまい、またディテールがぼやけてます。その曖昧さ、おおらかさが張子の魅力で、意図せずデフォルメしたものができてくる点が面白いと思います。上手く型抜きできますように!と願いと祈りをこめて半紙を重ねれば重ねるほどヴィーナスは歳を重ねた熟年の体型となり、同時に母性も帯びてきました。
しかし、眼を描き、赤茶色に金色のラメ塗料を混ぜて着色したら、何やらおどろおどろしさが立ち現れてきましたぞ。居間の「縄文コーナー」が怪しさ倍増です!
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