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虫る?展の余韻

日本随一のセンス佳き古物コレクターだとぼくが勝手に崇敬している小林 眞(マコト)さん。造形や佇まいに圧巻の存在感があるものばかりの蒐集品の一部を飾ったり、気まぐれで販売したりもする世田谷区羽根木のギャラリー「Out of museum」を営んでいる。昆虫好きのDNAを見事に継承した長男、小林真大さんとの蛾を中心にした企画『虫る?』展を催しているので、ぜひ遊びに来てくださいとお誘い受けた。マコトさんからのお声掛けを光栄に感じ、一年ぶりに店へ向かった。

扉を開けるなり視界奪われたのは壁面、棚、机を埋め尽くす蛾、蛾、蛾のオンパレード。圧倒的物量の迫力にまず息を呑み、美意識の極みである什器、ディスプレイ手法に感嘆した。

高揚する気持ちが少し鎮まってきたら、ケースをじっくり覗き込む。蛾の羽に描かれた文様と色彩の創造性とバリエーションの多彩さにまた心眼が鷲掴みにされた。なるほど小林さん親子が幼少期から蛾に魅了され、尽きない採集欲に突き動かされ続けてきたのか理由が観て瞭然となった。たとえば貝だったらタカラガイのコレクションに貝殻蒐集家が執心するようになるのと同様。自然界が産む美の景色に虜となってしまったら、もっともっとと探求を重ねてしまう人もいる。その嗜好、志向の行く末にぼくは立ち会っているんだという感慨がこのある意味私的な空間で湧き上がってきた。

凄いものを眼にしてしまった。呆然としつつ、マコトさんに前もって打診、依頼していたものを撮らせてもらう。以前、マコトさんの私物コーナーで眼に留まったセミ型の小物容れ。ずっと気になっていたのだが、この機会に単体で写真に収めておこうと願ったのだ。

何かと飽きっぽいぼくは決して一種を集め尽くし大切に保持する者にはなることはできない。けれど、さまざまなジャンルにおいてそのときどきに夢中になったり、たまらなく好きだと直観が走った個体は可能ならば画像に留めたくなる。そういう意味では、ぼくは変質、偏執的なコレクターのひとりと言えるのかもしれない。裏側にmade in JAPANと刻印されたこのセミは造形センスと抽象化された背中の文様にどこか西欧の洗練を想起させる。たしか我慢強いセミを幸運を招くアイコンとして崇め、愛でるフランスの蚤の市で出会ったと朧げな記憶を起こすマコトさんいわく輸出用に制作されたものかなぁと。

うーん、実物を改めて凝視して欲しくてたまらなくなった。だけど、これは非売品。ならば、スナップするだけでなく、最近熱中してる張子DIYでカタチをなぞり写してみようと家に帰ってから着手。

世界一美しいドライヤー、1964年西ドイツ製『Braun HLD231』でゆっくりふんわり乾かしながら新聞紙と和紙を10層ほど紙粘土で成形した型に貼り重ねていく。すると、羽の文様をあえて立体的にデフォルメした表現が消え入ってしまった(笑)ので、すべての紙を剥がして型を露わにした。張子は和紙の積層によって現物に比して細部が曖昧に優しくぼやけ、ふっくらと柔和なシルエットになるのが美点だけど、これは変容が過ぎてしまったので、半日近い作業の手間を嘆きつつ、速やかに諦めた。

そしてダイソーのアクリル絵の具で着色。実物よりかなり軽薄な趣きは、呪術的なインドネシア東ティモールの容器に納めて眺め、印象を薄めた(笑)。

もともと不思議な白い粉で満たされていたこの容器は30年以上前にバリ島ウブドゥのアンティークショップで入手したのだが、神秘的な力を秘めているようで、実際、セミを入れたとたん窓の近くで鳴くはずのない時季はずれのセミが数度声を発して鳥肌が立った。生命を呼び覚ましてしまったのだろうか。邪鬼なものでなければ良いのだけれど。

気味が悪くなり、容器から出して居間の目下お気に入りのコーナーに飾った。横須賀野比海岸で遭遇した白金(プラチナ)の塊(ナゲット)と、それを砕いて顔料にして描いた榊 仁胡さんの水彩画のそばに配置したら、そうか!シルバーグレーつながりでこう着地したのか!と合点がいった。幾度も体験してきた偶然のようで、導かれた必然。またまた神妙な心地になった。

蛾の文様をレイアウトしてオフセット印刷したオリジナルポスターに居間で向き合い、

蛾展示とセミオブジェの写真をiPhoneの待ち受け画面に投影。一週間経った今も深い深い余韻に浸り、虫の美に耽っている。

#虫る
#小林真央
#outofmuseum
#セミ

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